新潮新書

新しい年の始まりに

2025年、新たな年が始まりました。人それぞれに、新しい目標を立てた方も少なくないと思います。もっとも、私自身はこれまで「新年の誓い」を立てたことがありません。性格ゆえか年齢のせいかはわかりませんが、一度としてそうした気分にならないのです。
それでも、聞けば「なるほど」と感じる言葉もあります──「メメント・モリ」──ラテン語で、もとは「人間いつ死ぬかわからないから楽しめ」というのが原義だったようですが、転じて「常に死を想え」という、ちょっと戒めめいた定番フレーズになったとか。これなら一年、あるいは人生のどの地点でも、原点に立ち返ることができそうです。
今月の新刊、『スターの臨終』(小泉信一・著)は、「デイリー新潮」で注目された連載「メメント・モリな人たち」から、反響の大きかった29人の最期の生き方をまとめました。「板橋のドブ」で死ぬことが理想と語った渥美清、余命1年を宣告されながら女優への執念を絶やさなかった川島なお美、葬儀で「幸せな人生だった」と自らの声で語った田中好子、舌がんで入院中にも冗談を飛ばしたケーシー高峰etc.時代を彩った有名スターたちはどのように生き、そして死んでいったのか......。新年早々、死の話とは縁起でもないと感じる方もいるかもしれませんが、自身がんを患い、本書の刊行を待たずに他界した名物記者が遺した、不思議と前向きな気持ちになる"死に際"の物語です。
『私の同行二人―人生の四国遍路―』(黛まどか・著)は、「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしてきた著者による異色の俳句紀行です。これまでスペイン・サンティアゴ巡礼道(800キロ)、韓国プサン─ソウル(500キロ)、四国遍路(1400キロ)などを踏破してきましたが、今回は88札所に別格20か寺を加えた1600キロもの旅路。連日の酷暑に土砂降りの雨、降りだす雪、転倒によるケガや道迷いなど、相次ぐアクシデントに見舞われながらも歩みをとめません。自身の半生を振り返りながら、数知れない巡礼者の悲しみとともに巡る二度目の歩き遍路、結願までの「同行二人」を丹念に綴りました。
「嗜好」という言葉を聞くと、コーヒーやお酒やタバコ、辛いものや甘いもの、というイメージが浮かびます。もちろん、好きや嫌いは人それぞれですが、理念や信念といった高尚な語感にくらべると、いささか低俗な印象がついて回ります。また最近は健康上の理由や自己管理という面から、あまり好ましくない傾向のようにもいわれます。けれど、ほんとうにそうでしょうか。現代を生きる私たちは、仕事であれ私生活であれ、いつも何らかの「目的」と、それを効率よく達成するための「手段」とにがんじがらめになっていて、その見えない呪縛は年々強まっていくようにも感じられます。そうした現代において個々人の嗜好、いいかえれば自由にはどんな値打ちがあるのか──『手段からの解放―シリーズ哲学講話―』(國分功一郎・著)では、哲学者カントの論考をもとに真摯かつスリリングに考究していきます。ロングセラー『暇と退屈の倫理学』、前著『目的への抵抗―シリーズ哲学講話―』に続く國分哲学の新境地です。
もちろん、嗜好も度を過ぎれば野放図で自堕落にもなり、果てはわが身を滅ぼすことにつながりかねません。昨年、大谷選手の元通訳による巨額詐欺事件で、スポーツ賭博やギャンブル依存症は広く一般に知られるようになりました。しかし、何が原因で、なぜ犯罪にまで発展してしまうのか、そのメカニズムはほとんど知られていません。多くの人が馴染みあるパチンコや競馬から宝くじやスポーツ振興くじまで、賭博天国といわれる日本での依存症者は約200万人、その悪影響に苦しむ人は少なくとも1000万人ともいわれます。脳が壊れ、家族が壊れ、果ては「闇バイト」にも手を出し......『ギャンブル脳』(帚木蓬生・著)は、精神科の臨床医にして数々の文学賞を受賞した作家による、戦慄の論考です。
それでも、聞けば「なるほど」と感じる言葉もあります──「メメント・モリ」──ラテン語で、もとは「人間いつ死ぬかわからないから楽しめ」というのが原義だったようですが、転じて「常に死を想え」という、ちょっと戒めめいた定番フレーズになったとか。これなら一年、あるいは人生のどの地点でも、原点に立ち返ることができそうです。
今月の新刊、『スターの臨終』(小泉信一・著)は、「デイリー新潮」で注目された連載「メメント・モリな人たち」から、反響の大きかった29人の最期の生き方をまとめました。「板橋のドブ」で死ぬことが理想と語った渥美清、余命1年を宣告されながら女優への執念を絶やさなかった川島なお美、葬儀で「幸せな人生だった」と自らの声で語った田中好子、舌がんで入院中にも冗談を飛ばしたケーシー高峰etc.時代を彩った有名スターたちはどのように生き、そして死んでいったのか......。新年早々、死の話とは縁起でもないと感じる方もいるかもしれませんが、自身がんを患い、本書の刊行を待たずに他界した名物記者が遺した、不思議と前向きな気持ちになる"死に際"の物語です。
『私の同行二人―人生の四国遍路―』(黛まどか・著)は、「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしてきた著者による異色の俳句紀行です。これまでスペイン・サンティアゴ巡礼道(800キロ)、韓国プサン─ソウル(500キロ)、四国遍路(1400キロ)などを踏破してきましたが、今回は88札所に別格20か寺を加えた1600キロもの旅路。連日の酷暑に土砂降りの雨、降りだす雪、転倒によるケガや道迷いなど、相次ぐアクシデントに見舞われながらも歩みをとめません。自身の半生を振り返りながら、数知れない巡礼者の悲しみとともに巡る二度目の歩き遍路、結願までの「同行二人」を丹念に綴りました。
「嗜好」という言葉を聞くと、コーヒーやお酒やタバコ、辛いものや甘いもの、というイメージが浮かびます。もちろん、好きや嫌いは人それぞれですが、理念や信念といった高尚な語感にくらべると、いささか低俗な印象がついて回ります。また最近は健康上の理由や自己管理という面から、あまり好ましくない傾向のようにもいわれます。けれど、ほんとうにそうでしょうか。現代を生きる私たちは、仕事であれ私生活であれ、いつも何らかの「目的」と、それを効率よく達成するための「手段」とにがんじがらめになっていて、その見えない呪縛は年々強まっていくようにも感じられます。そうした現代において個々人の嗜好、いいかえれば自由にはどんな値打ちがあるのか──『手段からの解放―シリーズ哲学講話―』(國分功一郎・著)では、哲学者カントの論考をもとに真摯かつスリリングに考究していきます。ロングセラー『暇と退屈の倫理学』、前著『目的への抵抗―シリーズ哲学講話―』に続く國分哲学の新境地です。
もちろん、嗜好も度を過ぎれば野放図で自堕落にもなり、果てはわが身を滅ぼすことにつながりかねません。昨年、大谷選手の元通訳による巨額詐欺事件で、スポーツ賭博やギャンブル依存症は広く一般に知られるようになりました。しかし、何が原因で、なぜ犯罪にまで発展してしまうのか、そのメカニズムはほとんど知られていません。多くの人が馴染みあるパチンコや競馬から宝くじやスポーツ振興くじまで、賭博天国といわれる日本での依存症者は約200万人、その悪影響に苦しむ人は少なくとも1000万人ともいわれます。脳が壊れ、家族が壊れ、果ては「闇バイト」にも手を出し......『ギャンブル脳』(帚木蓬生・著)は、精神科の臨床医にして数々の文学賞を受賞した作家による、戦慄の論考です。
2025/01