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善人たち

遠藤周作/著

1,870円(税込)

発売日:2022/03/28

書誌情報

読み仮名 ゼンニンタチ
装幀 舟越保武「聖クララ」 撮影:大谷一郎/カバー彫刻、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 286ページ
ISBN 978-4-10-303525-1
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2022/03/28

どこにも悪人はいない。それぞれの善意がすれ違っただけだ……。信仰、裏切り、未練、救い――。新発見戯曲は傑作揃い!

開戦直前にアメリカへ留学した日本人神学生を主人公に、現代まで通じる差別、分断、憎悪、格差などを鮮やかに描き出す表題作。小説版の三十年後の主人公が登場する「戯曲 わたしが・棄てた・女」、劇的きわまる時代物「切支丹大名・小西行長」。長崎市遠藤周作文学館で発見された、作家が最も充実した時期に書かれた戯曲集!

目次
善人たち
切支丹大名・小西行長 『鉄の首枷』戯曲版
戯曲 わたしが・棄てた・女

書評

さらに拡がる遠藤文学の世界

加藤宗哉

 遠藤周作の全戯曲は、全集(新潮社版)収録の六篇と、没後に公開された一篇の計七篇とされてきた。しかし没後二十五年目となる昨年暮、長崎市遠藤周作文学館であらたに三篇の未発表戯曲が見つかった。
 生前、なぜ作者がこれらを公表しなかったのかは分からない。いずれも四百字詰原稿用紙で百枚を越えており、丹念な推敲の跡はもちろん、末尾には「幕」の文字も記される。それらがこんど一冊にまとめられた。「善人たち」(初出「新潮」2022年3月号)、「切支丹大名・小西行長 『鉄の首枷』戯曲版」(同「波」23月号)、「戯曲 わたしが・棄てた・女」(同「小説新潮」2月号)の三作である。著者の代表的戯曲とされてきた「黄金の国」「薔薇の館」と比べても遜色はなく、余分な言葉を徹底して削ぎ落した点、ストーリーの凝縮という点で、遠藤戯曲の到達点を感じさせる。
 執筆時期は、著者自身の日記やエッセイなどから、五十代の半ばと考えられる。つまり小西行長の評伝を書きおえた昭和五十一年(著者五十三歳)から、純文学書下ろし長篇『』に取りかかる五十六歳まで――。かねてより温めていた戯曲稿を一気に三本書き上げたものの、多忙な作家の常、本業の『侍』執筆に取りかかって、仕舞いこんだ戯曲稿のことはすっかり忘れてしまったのか……そうだとすれば、やはり作家とは畏敬すべき存在である。
「小説より詩や劇のほうが上だという気持が心の底にある」(「『喜びの琴』を見て」1964年)という著者は自らの戯曲作法について、小説では十枚になることを一枚で書くように努めたと言う。すなわち登場人物の外貌、年齢、性癖は書かない。ト書きも最小限にとどめる。舞台の設定や状況、人物の年齢等は演出家の領分であり、肝要なのはあくまで台詞。第一、聖書には基督や十二使徒の外貌などどこにも書いていないではないか、と著者は書く。「私にとって劇とは人間と人間をこえたもの――つまり人間と超絶的なものとの闘い、もしくは関係にほかならない」(「劇と私」)。かといって話が決して難解にならないところが遠藤流の技法といえる。
「善人たち」の舞台は、日米開戦が間近いアメリカ・ニューヨーク州のオールバニイ。かつて高等教育の象徴と言われたこの町に暮す牧師補一家と、そこへ寄宿する日本人留学生のドラマだが、遠藤文学がアメリカのプロテスタント一家を扱うのはめずらしい。しかし何より注目すべきは、登場する人物たちが示す多彩な価値観と人生の様相だろう。牧師になるべく留学した日本人・阿曽の信仰と迷い、牧師補・トムの示す愛、信仰、正義、そして黒人の使用人・コトンが見せる忍耐と欲望、とりわけプエルトリコ人の恋人とニューヨークへ出奔し、愛にやぶれて帰郷した長女ジェニーの述懐には哀切が滲み、その個性と台詞は読む者を惹きつける。
 著者は聖書の“ペテロの否認”――「イエスなど知らぬ」と師を見棄てた弟子の挿話を取りいれ、その弟子に向けられた哀しげだが優しいイエスの眼差を、阿曽やジェニーにも注ぐ。戦争・人種・信仰というテーマのなかに、遠藤用語でもある「善魔」(人間の哀しみを理解せず、自分こそ正しいと他人を裁くもの)が垣間みえる。
 このペテロの挿話は本書収録の他の二篇にも見られ、イエスは「永遠の同伴者」として常に主人公の背後に置かれている。著者はかつて『わたしが・棄てた・女』というタイトルは「わたしが・棄てた・イエス」という意味を隠していると言ったが、今回の戯曲でははっきりと「ミッちゃん(主人公の女性)とイエスとが何と似通っているのだろうか」と一人の修道女に言わせる。さらに「切支丹大名・小西行長」では、削りこんだ台詞が行長の“内なる声”を浮きあがらせ、死にゆく行長に「同伴者イエス」が二重写しとなる。
 おそらく言葉にすれば二つになるようなもの――愛と憎しみ、誇りと汚辱、喜びと哀しみ、信ずることと否むこと――が台詞の行先で重なりあい、観客に主人公の魂の声を届ける、というのが遠藤戯曲のセオリーだろう。一昨年に話題をよんだ未発表小説『影に対して』(新潮社刊)に続いて上梓された本書で、遠藤周作の文学世界がさらなる拡がりを見せることは疑いもない。

(かとう・むねや 作家/元「三田文学」編集長)
波 2022年4月号より
単行本刊行時掲載

なぜ“面従腹背”の劇を書いたか

加藤宗哉

「伝記というものは勿論、その人物と自分とのつながりがなければ書けない」と、遠藤周作は「小西行長伝」の連載開始にあたって記した(「歴史と人物」昭和50年12月号)。
 伝記に限らず小説でも戯曲でもそうだろう。この場合は、戦国の切支丹大名・小西行長の生き方と信仰に、作家は自分の人生の断面を見たのである。幸か不幸か、小西行長という人物に関する資料はきわめて少ない。心の動き、信仰のありようを、当時の宣教師たちも報告していない。その限られた戦国の史実に、作家は自分と同種の人間の辛さと苦しさを重ねた。
 たとえば彼ら二人は、神を信じたから基督教の洗礼を受けたわけではなかった。『鉄の首枷―小西行長伝』には、「行長が父と共に受けた便宜的な洗礼の水はこの日から彼の人生の土壌に少しずつしみこんでいく」とある。遠藤周作の場合はではなくだったが、「便宜的な洗礼」であったことに変りはない。受けなさいと言われたから少年は洗礼を受け、それが母との約束だったから生涯棄てなかった。
 行長は太閤秀吉に仕えながら、“表と裏の顔”を使いわけて生きた。朝鮮への侵略戦争では、「戦う意志がない」ことを知らせるために敵と交戦した。それでいて味方の大本営へは勝利の報告をしている。戦場以外の場でも、たとえば彼は基督教を棄て去ったかのように振る舞いつつ、宣教師や高山右近を密かにかくまっていた。
 面従腹背――作家が行長にその生き方を背負わせたのは、それが自身の苦境やウシロめたさに通じていたからである。かつて、父から棄てられた母に、息子は神戸、西宮で育てられ、言われるとおりに教会へ通い、「勉強は駄目だが、おまえは大器晩成」と守られ、それでも何度かの旧制高校受験に失敗すると、自分から母の家を出て東京の父を頼った。経済的な問題があったとはいえ、その東京の家には父の若い再婚相手もいるのである。……たとえば夕食の膳を囲むとき、西宮でひとり食卓にむかう母を思わぬはずもない。
 だが、息子はやがてこの父親をも裏切る。引き取られた時から、父が示した大学進学の条件は一つ、「医学部を受験すること。でなければ学資は出さぬ」。その言葉に頷くふりをし、だが結局は背いた。「医学部を受験した」と言いながら実際に受けたのは、文学部――それは母が願う“信仰と学業”の並立する世界である。文学部合格が明らかになって父は息子を勘当する。彼は追いだされ、母の伝手で都内のカトリック寮へと移っていく。実業という父の世界ではなく、文学という母の求める領域世界へ。

 〇

 作家になった遠藤周作の二冊目の書下ろし長篇は、『死海のほとり』である。この小説はのちに本人が認めたように、読者からは「キリスト教の臭いが強すぎるので、ウンザリ」(『人生の同伴者』)されたが、作品には書き手の敢然たる意志、他の作家が示したことのないテーマが示されていた。すなわち、(1)苦しむ人間の傍らにイエスはいる(遠藤的表現を借りれば「永遠の同伴者」)、(2)そのイエスの愛を受けついで生きることが“復活”、というその後の遠藤文学を形作っていく二つの核である。ちなみに、「永遠の同伴者」には、たとえば四国でのお遍路の、弘法大師と二人で寺をまわる「同行二人」のイメージが重なっていたし、“復活”には「肉体的な蘇りではなく、誰かが愛を行うときイエスはそこに復活している」という独自の解釈が含まれていた。
 にもかかわらず、『死海のほとり』は読者・文壇の関心を得られず、本人としては「クサった時期がちょっとありました。それで次のウォーミングアップをするまでに」(同前)というわけで、「小西行長伝」に取りかかったのである。
 行長はたしかに、高山右近のように清冽には生きられなかった。だが、弱い人間だからこそ、そして中途半端な生き方しかできない男だからこそ、作者は自らのドラマの主人公に彼を選びだす。

 行長の行動を一つ一つ見ると、我々にもこの幼少に洗礼を受けて右近ほどの烈しい信仰を持てなかった男の性格やこの時の怯えや苦しみが読みとれるのだ。(略)行長には神をほとんど問題にしなかった長い時期があったが、神はいつも彼を問題にしていた。神はこの右近追放を踏み台にして行長にもおのれの内面を見るよう仕向けたのである。(『鉄の首枷』)

 この間の行長の動向について、「波」3月号掲載の戯曲は、台詞以外の要素(ト書き・装置など)をできる限り消し去ることによって、逆に評伝作品では表せない迫力と華やかさを浮きあがらせる。そして、たとえば言葉にすれば二つに分かれてしまうもの――希望と絶望、生と死、誇りと汚辱、悦びと哀しみが台詞の先で二重写しとなり、行長の内なる叫び声を観客に届けてくる。
 この戯曲は、当然ながら著者が小西行長の調査・取材を終えた1977年(54歳)から、おそらくは1981年(58歳)までの間に書かれている。1981年と区切るのは、「波」2月号にも記した六十一歳で逝った芥川比呂志についてのこんな文章が遺されているからである。

(彼の誘いによって)私の心には戯曲を書くことの情熱が燃えあがったが、やがて芥川さんがふたたび病床に臥され、亡くなられると、まるで風船のちぢむようにこの情熱はちぢみ、消えていった。その後芥川さんのように手をとって教えてくれる演出家と仕事をする機会がなかったからである。泥を金にしてくれる演出家と協力する悦びを持てないのは何といっても残念でならない。(カッコ内は筆者、「芥川比呂志さんとの思い出」、「家庭画報」昭和62年10月号)

 恩人の死は、1981年のことであった。遠藤周作はすでに戯曲から離れている。だがそれから四年後、作家はふたたび小西行長を自らの主人公に選びとる。ただし、今度は小説『宿敵』として――。このときすでに作家は六十二歳。
 歴史小説はこれ以後かつてないペースで書き続けられ、戦国三部作『反逆』『決戦の時』『男の一生』、切支丹大名・大友宗麟を主人公にした『王の挽歌』、そして七十二歳での『女』まで、あたかも時代小説作家のごとく書き継いだ。そのほとんどが上下二巻であり、この間の総執筆量(歴史小説のみ)は三千数百枚にのぼっている。
 そして何より、これらが(1)同伴者イエス(あるいは人間を超えた大いなるもの)、(2)人間の弱さ、(3)哀しみへの共感――という三角形の構図を作りあげるところが、他にはない遠藤文学独自の世界なのだが、今回そこへこの戯曲が加えられたことの意味はきわめて大きい。

(かとう・むねや 作家/元「三田文学」編集長)
波 2022年3月号より
単行本刊行時掲載

小説・評伝とは一味違う行長劇――その“内なる声”と、舞台の華やかさ

加藤宗哉

 評伝『鉄の首枷―小西行長伝』が書かれた昭和五十一年、遠藤周作は五十三歳、おそらく作家として気力・体力の漲る時期にいた。二十代と三十代の終りで結核による長期療養を強いられたものの、それを乗りこえてからのおよそ二十年はこの作家が最も精彩を放った時代といえる。代表作『沈黙』『』を世に送り、狐狸庵山人としての“ぐうたら”シリーズはそれぞれ何十万部という売行を示した。一方で、深酒や不眠をものともせず、テレビ・コマーシャルに、トーク番組に、ときには松田聖子と腕を組んでスタジオに登場もした。
 ところがそんな時期、小説家は密かに四百字詰原稿用紙で計三百枚近くになる戯曲、結局は発表することのなかった戯曲を、たてつづけに三篇も完成させていたのである。三篇とは「波」2月号掲載の「切支丹大名・小西行長」、「戯曲 わたしが・棄てた・女」(「小説新潮」2月号掲載)、「善人たち」(「新潮」3月号掲載)で、いずれも昨年、長崎市遠藤周作文学館で発見された。なにより、遠藤文学の最大テーマ“人間の魂に寄りそう基督キリスト”というイメージが、小説とはまったく異なる言葉=台詞によって浮き上がるのがその価値である。
 そういえば、もともと戯曲への想いは強かった。

私のような小説家には演劇というものに抜きがたいコンプレックスがある。小説より詩や劇のほうが上だという気持が心の底にある。(「朝日新聞」昭和39年5月15日付朝刊)

 そう打ちあけて、『沈黙』刊行(昭41)の直後、劇団「雲」の演出家であり俳優の芥川比呂志(慶應仏文の先輩)に勧められ、指導も受けながら「黄金の国」を書く。書き直しを重ねた第三稿での完成までには、芥川からのこんな強い叱責もあった。――登場人物の名を「A」とか「B」とするのは、あまりに役者への愛情がない。
 こうして小説家は、芥川を師とし戯曲を書くことに熱中する。遠藤戯曲にト書きは少ないが、その作品はときに登場人物の年齢さえ曖昧にしたまま、彼らの〈観念の葛藤〉を描く。……第一、聖書のなかに基督や十二使徒の外形、容貌、性格など何も書かれていない。だから遠藤周作は作中人物の肉体や声は俳優にまかせ、ただ内なる声だけを言葉にした。結果、発表された「薔薇の館」(昭44)、「メナム河の日本人」(昭48)も芥川の演出によって上演されたが、その芥川が昭和五十六年秋、肺結核のため六十一歳で世を去る。

青山の斎場で私は花に飾られた彼の写真とむき合った。(略)私が思いつづけたことは、もう一度、彼の芝居を見たかった、もう一度、彼に演出してもらいたかった(「新潮」昭和57年1月号)

 酒癖がお世辞にも良いとは言えなかった芥川と、遠藤周作はよく一緒に飲んだ。バーでアメリカ人プロレスラーに喧嘩を売り、「カモン・ベイビー」と拳を構える痩躯の老優に困り果てながらも、内心はつねにその体調が案じられてならなかった。筆者は当時、「芥川さんを本当に好きなのだな、遠藤先生は」と思った。だから、あるいは――と発見された原稿を前に考えてみる。この稿が書かれたのは、おそらく昭和五十二、三年かと推測するが、その頃ふたたび病状を悪化させていた芥川さんに、先生は最後となる上演作品を預けたかったのではないか。しかし……それは叶わず、原稿を抽斗の底へと仕舞いこんだ。いや……仮にそうだとしたら、やはり作家とは凄いものだとつくづく思う。思いも深い、推敲をかさねた作品を、いとも簡単に諦め忘れ去ることもできるのだから。
「波」掲載の未発表戯曲の幕開けは、秀吉による九州征伐の小西陣屋である。評伝『鉄の首枷』でいえば第四章になるが、戯曲は行長の出自や少年時代を辿らない。さらにフロイスら宣教師による資料も出さない。ただ登場人物たちの台詞が行長の内なる声と対立し、あるいは包み込み、作品のテーマを明らかにしてゆく。……それにしても、舞台の上はなんと華やかに賑わうのだろう。関白秀吉はむろん、高山右近、加藤清正、細川ガラシャ、石田三成――彼らが登場する場面は、まるで歌舞伎の連続する“見得”のごとくに観客を揺する。
 もう一つの見どころは、行長の侍女・あかねだろう。かつて遠藤周作は「女が書けない」と自嘲してみせたが、この侍女のなんと人目を惹くことか。歴史のなかに架空の人物を持ちこむのは先生得意の戦法で、かつて加藤清正と行長のライバル関係を描いた小説『宿敵』でも、実在しない行長の妻・を登場させて秀吉を暗殺させたりしたが、第二幕の終りは、あかねと司祭パードレの会話である。行長の〈面従腹背〉と〈信仰〉を傍で見つめ続ける侍女には心の同伴者という役割があるが、同時にそこからは静かな色香も匂いたつ。結局は行長の魂の声に呼応するこの傍役が、三幕以降(「波」3月号)でさらに印象を強めていくのが堪らない。

(かとう・むねや 作家/元「三田文学」編集長)
波 2022年2月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

遠藤周作

エンドウ・シュウサク

(1923-1996)東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、十二歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955年「白い人」で芥川賞を受賞、以後『海と毒薬』で毎日出版文化賞、『沈黙』で谷崎賞、『キリストの誕生』で読売文学賞、『侍』で野間文芸賞、『深い河(ディープ・リバー)』で毎日芸術賞など受賞作多数。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多い。海外でも広く読まれており、『沈黙』はマーティン・スコセッシ監督によって映画化された。他の作品に『死海のほとり』『イエスの生涯』『女の一生』『スキャンダル』『影に対して』などがある。

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