白洲正子全集 第七巻
6,270円(税込)
発売日:2002/01/10
- 書籍
日本文化の美しさを教えてくれた“語り部”の全貌を明らかにする、初の全集。
二十代の頃初めて出会った美しい観音像への感動を静かに胸に秘めつつ、和歌山から長野まで、各地の仏を訪ねた「十一面観音巡礼」と、三十一文字から華やかな宮廷文化を現出させた「私の百人一首」。
目次
十一面観音巡礼
聖林寺から観音寺へ
こもりく 泊瀬
幻の寺
木津川にそって
若狭のお水送り
奈良のお水取
水神の里
秋篠のあたり
登美の小河
竜田の川上
姨捨山の月
市の聖
清水の流れ
白山比メの幻像
湖北の旅
熊野詣
こもりく 泊瀬
幻の寺
木津川にそって
若狭のお水送り
奈良のお水取
水神の里
秋篠のあたり
登美の小河
竜田の川上
姨捨山の月
市の聖
清水の流れ
白山比メの幻像
湖北の旅
熊野詣
私の百人一首
六十の手習 序にかえて
一 天智天皇 秋の田の
二 持統天皇 春すぎて
三 柿本人丸 あし引の
四 山部赤人 田子の浦に
五 猿丸大夫 おく山に
六 中納言家持 かささぎの
七 安倍仲麿 天の原
八 喜撰法師 わが庵は
九 小野小町 花のいろは
十 蝉丸 これやこの
十一 参議篁 わだのはら八十島かけて
十二 僧正遍昭 あまつ風
十三 陽成院 つくばねの
十四 河原左大臣 陸奥の
十五 光孝天皇 君がため春の野にいでて
十六 中納言行平 立ち別れ
十七 在原業平朝臣 ちはやぶる
十八 藤原敏行朝臣 住の江の
十九 伊勢 難波がた
二十 元良親王 わびぬれば
二十一 素性法師 今こむと
二十二 文屋康秀 吹くからに
二十三 大江千里 月みれば
二十四 菅家 此たびは
二十五 三条右大臣 名にしおはば
二十六 貞信公 小倉山
二十七 中納言兼輔 みかのはら
二十八 源宗于朝臣 山里は
二十九 凡河内躬恒 心あてに
三十 壬生忠岑 有明の
三十一 坂上是則 朝ぼらけ有明の月と
三十二 春道列樹 山川に
三十三 紀友則 久方の
三十四 藤原興風 誰をかも
三十五 紀貫之 人はいさ
三十六 清原深養父 夏の夜は
三十七 文屋朝康 白露に
三十八 右近 忘らるる
三十九 参議等 浅茅生の
四十 平兼盛 しのぶれど
四十一 壬生忠見 恋すてふ
四十二 清原元輔 契りきな
四十三 権中納言敦忠 逢ひみての
四十四 中納言朝忠 逢ふことの
四十五 謙徳公 哀れとも
四十六 曾禰好忠 由良のとを
四十七 恵慶法師 八重むぐら
四十八 源重之 風をいたみ
四十九 大中臣能宣 みかきもり
五十 藤原義孝 君がため惜しからざりし
五十一 藤原実方朝臣 かくとだに
五十二 藤原道信朝臣 明けぬれば
五十三 右大将道綱母 歎きつつ
五十四 儀同三司母 忘れじの
五十五 大納言藤原公任 滝の音は
五十六 和泉式部 あらざらむ
五十七 紫式部 めぐり逢ひて
五十八 大弐三位 ありま山
五十九 赤染衛門 やすらはで
六十 小式部内侍 大江山
六十一 伊勢大輔 古への
六十二 清少納言 夜をこめて
六十三 左京大夫道雅 今はただ
六十四 権中納言定頼 朝ぼらけ宇治の川霧
六十五 相模 恨みわび
六十六 大僧正行尊 もろともに
六十七 周防内侍 春の夜の
六十八 三条院 心にも
六十九 能因法師 嵐ふく
七十 良暹法師 さびしさに
七十一 大納言経信 夕されば
七十二 祐子内親王家紀伊 音にきく
七十三 前中納言匡房 高砂の
七十四 源俊頼朝臣 憂かりける
七十五 藤原基俊 契りおきし
七十六 法性寺入道前関白太政大臣 和田の原こぎ出てみれば
七十七 崇徳院 瀬をはやみ
七十八 源兼昌 淡路島
七十九 左京大夫顕輔 秋風に
八十 待賢門院堀河 長からん
八十一 後徳大寺左大臣 ほととぎす
八十二 道因法師 思ひわび
八十三 皇太后宮大夫俊成 世の中よ
八十四 藤原清輔朝臣 長らへば
八十五 俊恵法師 夜もすがら
八十六 西行法師 なげけとて
八十七 寂蓮法師 村雨の
八十八 皇嘉門院別当 難波江の
八十九 式子内親王 玉の緒よ
九十 殷富門院大輔 見せばやな
九十一 後京極摂政太政大臣 きりぎりす
九十二 二条院讃岐 わが袖は
九十三 鎌倉右大臣 世の中は
九十四 参議雅経 みよしのの
九十五 前大僧正慈円 おほけなく
九十六 入道前太政大臣 花さそふ
九十七 権中納言定家 来ぬ人を
九十八 従二位家隆 風そよぐ
九十九 後鳥羽院 人もをし
百 順徳院 百敷や
一 天智天皇 秋の田の
二 持統天皇 春すぎて
三 柿本人丸 あし引の
四 山部赤人 田子の浦に
五 猿丸大夫 おく山に
六 中納言家持 かささぎの
七 安倍仲麿 天の原
八 喜撰法師 わが庵は
九 小野小町 花のいろは
十 蝉丸 これやこの
十一 参議篁 わだのはら八十島かけて
十二 僧正遍昭 あまつ風
十三 陽成院 つくばねの
十四 河原左大臣 陸奥の
十五 光孝天皇 君がため春の野にいでて
十六 中納言行平 立ち別れ
十七 在原業平朝臣 ちはやぶる
十八 藤原敏行朝臣 住の江の
十九 伊勢 難波がた
二十 元良親王 わびぬれば
二十一 素性法師 今こむと
二十二 文屋康秀 吹くからに
二十三 大江千里 月みれば
二十四 菅家 此たびは
二十五 三条右大臣 名にしおはば
二十六 貞信公 小倉山
二十七 中納言兼輔 みかのはら
二十八 源宗于朝臣 山里は
二十九 凡河内躬恒 心あてに
三十 壬生忠岑 有明の
三十一 坂上是則 朝ぼらけ有明の月と
三十二 春道列樹 山川に
三十三 紀友則 久方の
三十四 藤原興風 誰をかも
三十五 紀貫之 人はいさ
三十六 清原深養父 夏の夜は
三十七 文屋朝康 白露に
三十八 右近 忘らるる
三十九 参議等 浅茅生の
四十 平兼盛 しのぶれど
四十一 壬生忠見 恋すてふ
四十二 清原元輔 契りきな
四十三 権中納言敦忠 逢ひみての
四十四 中納言朝忠 逢ふことの
四十五 謙徳公 哀れとも
四十六 曾禰好忠 由良のとを
四十七 恵慶法師 八重むぐら
四十八 源重之 風をいたみ
四十九 大中臣能宣 みかきもり
五十 藤原義孝 君がため惜しからざりし
五十一 藤原実方朝臣 かくとだに
五十二 藤原道信朝臣 明けぬれば
五十三 右大将道綱母 歎きつつ
五十四 儀同三司母 忘れじの
五十五 大納言藤原公任 滝の音は
五十六 和泉式部 あらざらむ
五十七 紫式部 めぐり逢ひて
五十八 大弐三位 ありま山
五十九 赤染衛門 やすらはで
六十 小式部内侍 大江山
六十一 伊勢大輔 古への
六十二 清少納言 夜をこめて
六十三 左京大夫道雅 今はただ
六十四 権中納言定頼 朝ぼらけ宇治の川霧
六十五 相模 恨みわび
六十六 大僧正行尊 もろともに
六十七 周防内侍 春の夜の
六十八 三条院 心にも
六十九 能因法師 嵐ふく
七十 良暹法師 さびしさに
七十一 大納言経信 夕されば
七十二 祐子内親王家紀伊 音にきく
七十三 前中納言匡房 高砂の
七十四 源俊頼朝臣 憂かりける
七十五 藤原基俊 契りおきし
七十六 法性寺入道前関白太政大臣 和田の原こぎ出てみれば
七十七 崇徳院 瀬をはやみ
七十八 源兼昌 淡路島
七十九 左京大夫顕輔 秋風に
八十 待賢門院堀河 長からん
八十一 後徳大寺左大臣 ほととぎす
八十二 道因法師 思ひわび
八十三 皇太后宮大夫俊成 世の中よ
八十四 藤原清輔朝臣 長らへば
八十五 俊恵法師 夜もすがら
八十六 西行法師 なげけとて
八十七 寂蓮法師 村雨の
八十八 皇嘉門院別当 難波江の
八十九 式子内親王 玉の緒よ
九十 殷富門院大輔 見せばやな
九十一 後京極摂政太政大臣 きりぎりす
九十二 二条院讃岐 わが袖は
九十三 鎌倉右大臣 世の中は
九十四 参議雅経 みよしのの
九十五 前大僧正慈円 おほけなく
九十六 入道前太政大臣 花さそふ
九十七 権中納言定家 来ぬ人を
九十八 従二位家隆 風そよぐ
九十九 後鳥羽院 人もをし
百 順徳院 百敷や
解説・解題
書誌情報
読み仮名 | シラスマサコゼンシュウ07 |
---|---|
シリーズ名 | 全集・著作集 |
全集双書名 | 白洲正子全集 |
雑誌から生まれた本 | 芸術新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | A5判 |
頁数 | 478ページ |
ISBN | 978-4-10-646607-6 |
C-CODE | 0395 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 6,270円 |
書評
波 2002年11月号より 「白洲正子全集」の魅力 「白洲正子全集」
個人全集を読む楽しみは、その代表的な述作に混じった小篇を読み、この人はこんなことも考えたり感じていたのかと、些細かもしれないけれども思わぬ発見をするところにある。
たとえば「白洲正子全集」第十四巻には文字通り「ささやかな発見」という短いエッセイがあり、そこにこんな話が書かれている。十歳の頃、学習院の遠足でお浜離宮に出かけ、少女正子は沖行く蒸気船を眺め「お前はえらいよ、西郷さんだよ、蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌ったという。そんなことはすっかり忘れていたが、それから七十年以上が経って白洲正子は友人に、「わたしはその歌に一生救われたのよ。それだけに頼って生きてこられたの」と言われてキョトンとする。友人は、わがままな亭主の勝手なふるまいに接する度に「お前はえらいよ、西郷さんだよ」と歌って気を紛らかしていたらしい。八十六歳の白洲正子は「考えてみればとるにもたらぬ話だが、案外とるにもたらぬささやかなものの中に人生にとって大事なことがかくされている場合は多い」と書いている。
もちろん、こんな話は『白洲正子自伝』には出て来ない。子供の頃の思い出と言えば、無口で不機嫌で自閉症に近かったと『自伝』には記している。しかし、一方では大きな声で「蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌って友達を笑わせる、何か彼女の生涯を貫いて発散した天衣無縫の明るさのようなものが感じられるだろう。彼女自身が気づいていない己の気質を「ささやかな発見」と呼んでいるように思われる。長生きをした人の全集ならでは味わえぬ読書の醍醐味である。
全集は歌で言えば私家集に相当する。一首の名歌が生れるまでに、いかに沢山の類歌がよまれ、モチーフを温める過程を必要としたか、それは私家集を読む者の共通した感慨であろう。全集も同じだ。
「白洲正子全集」には何度も繰り返し語られる話題がいくつもある。小学校に上る前、母親と共に維新前に大久保利通が逼塞していた京都の暗い家で暮したこと、結婚してまだ間もない頃に初めて大和の聖林寺を訪れ、そこで眺めた十一面観音のこと、苦労して手に入れた高価な紅志野の香炉を手放したときのこと、青山二郎と初めて出会ったときのこと、並べられた盃の値をつけてみろと小林秀雄に迫られたときのこと、そして西国巡礼の経験。あげて行けばまだまだあるが、それらの経験を、一つの器物をあちらから眺め、こちらから眺め、そして光の強弱を調整して眺めるが如く、白洲正子は繰り返し語っている。
一人の人間が一つのモチーフを生涯の中でどのように温めるか、言わばそれこそが作家の秘密であろう。その秘密に接近しようとすれば、全集を読むことから始める以外に道はない。
▼「白洲正子全集」全十四巻/別巻一は、発売中
たとえば「白洲正子全集」第十四巻には文字通り「ささやかな発見」という短いエッセイがあり、そこにこんな話が書かれている。十歳の頃、学習院の遠足でお浜離宮に出かけ、少女正子は沖行く蒸気船を眺め「お前はえらいよ、西郷さんだよ、蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌ったという。そんなことはすっかり忘れていたが、それから七十年以上が経って白洲正子は友人に、「わたしはその歌に一生救われたのよ。それだけに頼って生きてこられたの」と言われてキョトンとする。友人は、わがままな亭主の勝手なふるまいに接する度に「お前はえらいよ、西郷さんだよ」と歌って気を紛らかしていたらしい。八十六歳の白洲正子は「考えてみればとるにもたらぬ話だが、案外とるにもたらぬささやかなものの中に人生にとって大事なことがかくされている場合は多い」と書いている。
もちろん、こんな話は『白洲正子自伝』には出て来ない。子供の頃の思い出と言えば、無口で不機嫌で自閉症に近かったと『自伝』には記している。しかし、一方では大きな声で「蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌って友達を笑わせる、何か彼女の生涯を貫いて発散した天衣無縫の明るさのようなものが感じられるだろう。彼女自身が気づいていない己の気質を「ささやかな発見」と呼んでいるように思われる。長生きをした人の全集ならでは味わえぬ読書の醍醐味である。
全集は歌で言えば私家集に相当する。一首の名歌が生れるまでに、いかに沢山の類歌がよまれ、モチーフを温める過程を必要としたか、それは私家集を読む者の共通した感慨であろう。全集も同じだ。
「白洲正子全集」には何度も繰り返し語られる話題がいくつもある。小学校に上る前、母親と共に維新前に大久保利通が逼塞していた京都の暗い家で暮したこと、結婚してまだ間もない頃に初めて大和の聖林寺を訪れ、そこで眺めた十一面観音のこと、苦労して手に入れた高価な紅志野の香炉を手放したときのこと、青山二郎と初めて出会ったときのこと、並べられた盃の値をつけてみろと小林秀雄に迫られたときのこと、そして西国巡礼の経験。あげて行けばまだまだあるが、それらの経験を、一つの器物をあちらから眺め、こちらから眺め、そして光の強弱を調整して眺めるが如く、白洲正子は繰り返し語っている。
一人の人間が一つのモチーフを生涯の中でどのように温めるか、言わばそれこそが作家の秘密であろう。その秘密に接近しようとすれば、全集を読むことから始める以外に道はない。
(あおやぎ・けいすけ 白洲正子全集編集委員)
▼「白洲正子全集」全十四巻/別巻一は、発売中
著者プロフィール
白洲正子
シラス・マサコ
(1910-1998)1910年東京生まれ。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立ち、米国留学へ。1928年帰国、翌年白洲次郎(1902〜1985)と結婚。古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆。『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など著書多数。1998年没。
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