白洲正子全集 第十二巻
6,270円(税込)
発売日:2002/06/10
- 書籍
日本文化の美しさを教えてくれた“語り部”の全貌を明らかにする、初の全集。
遠ざかっていた能の世界に正子を引き戻した能楽師・友枝喜久夫、その芸の真髄を見据えた「老木の花」、夫・次郎をはじめとする、多くは逝ってしまった知人たちを語って真情あふるる「遊鬼」、師・青山の実像に正面から取り組み、彼と小林秀雄との友情を活写した渾身の書「いまなぜ青山二郎なのか」など、凄みを増す眼差し。
目次
老木の花
老木の花
よもやま話
舞に明け舞に暮れる
よもやま話
舞に明け舞に暮れる
遊鬼――わが師 わが友
何者でもない人生 青山二郎
珍品堂主人 秦秀雄
小林秀雄の眼
小林秀雄の骨董
お公家さん
瞽女の唄
龍神の宿
遊鬼 鹿島清兵衛
福原麟太郎先生を偲ぶ
織司の余技 田島隆夫
創る 早川幾忠
早川幾忠氏を悼む
大島の土の子 菅原匠
二代の縁 高田倭男
北京の空は裂けたか 梅原龍三郎
大往生 梅原龍三郎
風の吹くままに 古澤万千子
さらば「気まぐれ美術館」 洲之内徹
こんにちは「気まぐれ美術館」
白洲次郎のこと
珍品堂主人 秦秀雄
小林秀雄の眼
小林秀雄の骨董
お公家さん
瞽女の唄
龍神の宿
遊鬼 鹿島清兵衛
福原麟太郎先生を偲ぶ
織司の余技 田島隆夫
創る 早川幾忠
早川幾忠氏を悼む
大島の土の子 菅原匠
二代の縁 高田倭男
北京の空は裂けたか 梅原龍三郎
大往生 梅原龍三郎
風の吹くままに 古澤万千子
さらば「気まぐれ美術館」 洲之内徹
こんにちは「気まぐれ美術館」
白洲次郎のこと
世阿弥を語る
第一章 世阿弥の能
第二章 波乱の生涯
第三章 能の美と芸術
第四章 世阿弥の晩年
第二章 波乱の生涯
第三章 能の美と芸術
第四章 世阿弥の晩年
いまなぜ青山二郎なのか
解説・解題
書誌情報
読み仮名 | シラスマサコゼンシュウ12 |
---|---|
シリーズ名 | 全集・著作集 |
全集双書名 | 白洲正子全集 |
雑誌から生まれた本 | 芸術新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | A5判 |
頁数 | 506ページ |
ISBN | 978-4-10-646612-0 |
C-CODE | 0395 |
ジャンル | 全集・選書 |
定価 | 6,270円 |
書評
波 2002年11月号より 「白洲正子全集」の魅力 「白洲正子全集」
個人全集を読む楽しみは、その代表的な述作に混じった小篇を読み、この人はこんなことも考えたり感じていたのかと、些細かもしれないけれども思わぬ発見をするところにある。
たとえば「白洲正子全集」第十四巻には文字通り「ささやかな発見」という短いエッセイがあり、そこにこんな話が書かれている。十歳の頃、学習院の遠足でお浜離宮に出かけ、少女正子は沖行く蒸気船を眺め「お前はえらいよ、西郷さんだよ、蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌ったという。そんなことはすっかり忘れていたが、それから七十年以上が経って白洲正子は友人に、「わたしはその歌に一生救われたのよ。それだけに頼って生きてこられたの」と言われてキョトンとする。友人は、わがままな亭主の勝手なふるまいに接する度に「お前はえらいよ、西郷さんだよ」と歌って気を紛らかしていたらしい。八十六歳の白洲正子は「考えてみればとるにもたらぬ話だが、案外とるにもたらぬささやかなものの中に人生にとって大事なことがかくされている場合は多い」と書いている。
もちろん、こんな話は『白洲正子自伝』には出て来ない。子供の頃の思い出と言えば、無口で不機嫌で自閉症に近かったと『自伝』には記している。しかし、一方では大きな声で「蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌って友達を笑わせる、何か彼女の生涯を貫いて発散した天衣無縫の明るさのようなものが感じられるだろう。彼女自身が気づいていない己の気質を「ささやかな発見」と呼んでいるように思われる。長生きをした人の全集ならでは味わえぬ読書の醍醐味である。
全集は歌で言えば私家集に相当する。一首の名歌が生れるまでに、いかに沢山の類歌がよまれ、モチーフを温める過程を必要としたか、それは私家集を読む者の共通した感慨であろう。全集も同じだ。
「白洲正子全集」には何度も繰り返し語られる話題がいくつもある。小学校に上る前、母親と共に維新前に大久保利通が逼塞していた京都の暗い家で暮したこと、結婚してまだ間もない頃に初めて大和の聖林寺を訪れ、そこで眺めた十一面観音のこと、苦労して手に入れた高価な紅志野の香炉を手放したときのこと、青山二郎と初めて出会ったときのこと、並べられた盃の値をつけてみろと小林秀雄に迫られたときのこと、そして西国巡礼の経験。あげて行けばまだまだあるが、それらの経験を、一つの器物をあちらから眺め、こちらから眺め、そして光の強弱を調整して眺めるが如く、白洲正子は繰り返し語っている。
一人の人間が一つのモチーフを生涯の中でどのように温めるか、言わばそれこそが作家の秘密であろう。その秘密に接近しようとすれば、全集を読むことから始める以外に道はない。
▼「白洲正子全集」全十四巻/別巻一は、発売中
たとえば「白洲正子全集」第十四巻には文字通り「ささやかな発見」という短いエッセイがあり、そこにこんな話が書かれている。十歳の頃、学習院の遠足でお浜離宮に出かけ、少女正子は沖行く蒸気船を眺め「お前はえらいよ、西郷さんだよ、蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌ったという。そんなことはすっかり忘れていたが、それから七十年以上が経って白洲正子は友人に、「わたしはその歌に一生救われたのよ。それだけに頼って生きてこられたの」と言われてキョトンとする。友人は、わがままな亭主の勝手なふるまいに接する度に「お前はえらいよ、西郷さんだよ」と歌って気を紛らかしていたらしい。八十六歳の白洲正子は「考えてみればとるにもたらぬ話だが、案外とるにもたらぬささやかなものの中に人生にとって大事なことがかくされている場合は多い」と書いている。
もちろん、こんな話は『白洲正子自伝』には出て来ない。子供の頃の思い出と言えば、無口で不機嫌で自閉症に近かったと『自伝』には記している。しかし、一方では大きな声で「蒸気ははしるよ、オナラは臭いよ」と歌って友達を笑わせる、何か彼女の生涯を貫いて発散した天衣無縫の明るさのようなものが感じられるだろう。彼女自身が気づいていない己の気質を「ささやかな発見」と呼んでいるように思われる。長生きをした人の全集ならでは味わえぬ読書の醍醐味である。
全集は歌で言えば私家集に相当する。一首の名歌が生れるまでに、いかに沢山の類歌がよまれ、モチーフを温める過程を必要としたか、それは私家集を読む者の共通した感慨であろう。全集も同じだ。
「白洲正子全集」には何度も繰り返し語られる話題がいくつもある。小学校に上る前、母親と共に維新前に大久保利通が逼塞していた京都の暗い家で暮したこと、結婚してまだ間もない頃に初めて大和の聖林寺を訪れ、そこで眺めた十一面観音のこと、苦労して手に入れた高価な紅志野の香炉を手放したときのこと、青山二郎と初めて出会ったときのこと、並べられた盃の値をつけてみろと小林秀雄に迫られたときのこと、そして西国巡礼の経験。あげて行けばまだまだあるが、それらの経験を、一つの器物をあちらから眺め、こちらから眺め、そして光の強弱を調整して眺めるが如く、白洲正子は繰り返し語っている。
一人の人間が一つのモチーフを生涯の中でどのように温めるか、言わばそれこそが作家の秘密であろう。その秘密に接近しようとすれば、全集を読むことから始める以外に道はない。
(あおやぎ・けいすけ 白洲正子全集編集委員)
▼「白洲正子全集」全十四巻/別巻一は、発売中
著者プロフィール
白洲正子
シラス・マサコ
(1910-1998)1910年東京生まれ。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立ち、米国留学へ。1928年帰国、翌年白洲次郎(1902〜1985)と結婚。古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆。『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など著書多数。1998年没。
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