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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

現代人の探しものは

『推し、燃ゆ』が芥川賞を受賞し、「推し活」が流行語大賞にノミネートされたのが5年前のこと。一時の流行どころかいまではすっかり世間に浸透し、過熱するファンダムやSNSでの炎上騒ぎなどトラブルもしばしばです。
 かつて柳田國男は日本人の伝統的な自然観として「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」という有名な概念を提唱しましたが、「推し活」も元をたどれば前近代のハレにつながり、昭和・平成の消費社会を通り過ぎた令和のいま、新たなライフスタイルとしてこの国に定着しつつあります。そのメカニズムをあざやかに解き明かす『推したちとどう生きるか』(三宅香帆・著)は、現代の日本人が生きていくうえで生活の中に何を求め、どんな幸せを探しているのかをあらためて考えさせます。
 今年もまた夏の甲子園に向けて、各地で地方予選が始まろうとしています。飛びすぎる金属バット、投手の球数制限、出場校のスキャンダル対応など、高校野球周りの問題が語られるとき、「頑迷固陋な高野連」というナラティブがしばしば登場しますが、本当にそうなのでしょうか? 『高野連』(広尾晃・著)は、その設立以来の歴史から地方の現場の声まで、高野連の過去と現在を丹念に描く異色のノンフィクション。高校野球が一大興行となったいま、「教育の一環」という理念の限界と、改革の方向性を提案します。
『すべての人の死因は生まれたことである』(池田晶子・著)は、ロングセラー『14歳からの哲学』で知られる哲学者のアンソロジー。「癌だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである」「死んで楽になる保証など、どこにもない」「かつて長寿がめでたいことだったのは、端的に、それが珍しいことだったからである」「病気のひとつも知らないと、人の心はヒダがなくなる」「死があるゆえの生である」などなど、難解な哲学用語を排し、徹底的に日常のことばで綴った「生老病死の哲学」。若者から高齢者まで、尽きせぬ日常の悩みごとが遠ざかる痛快なエッセイ集です。
2026/07