最後の努力―ローマ人の物語XIII―
2,860円(税込)
発売日:2004/12/23
- 書籍
- 電子書籍あり
帝国再建の懸命の努力も空しく、ローマは「ローマらしさ」を失っていく。
蛮族の侵入や政変が相次ぎ、未曾有の危機に陥った帝国に現れた二人の皇帝。ディオクレティアヌスは皇帝四人による領土の分割統治を実施し、コンスタンティヌスはキリスト教公認に踏み切った。しかし、帝国復権を目指した彼らの試みは、皮肉にも、衰退を促す結果を生んでいく――。塩野版ローマ帝国衰亡史、いよいよ佳境に!
(紀元二八四年―三〇五年)
(紀元三〇六年―三三七年)
参考文献
図版出典一覧
書誌情報
読み仮名 | サイゴノドリョクローマジンノモノガタリ13 |
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シリーズ名 | 全集・著作集 |
全集双書名 | ローマ人の物語 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | A5判変型 |
頁数 | 312ページ |
ISBN | 978-4-10-309622-1 |
C-CODE | 0322 |
ジャンル | 世界史 |
定価 | 2,860円 |
電子書籍 価格 | 1,540円 |
電子書籍 配信開始日 | 2015/03/20 |
書評
フィナーレに差し掛かった壮大な「業績録」
中東・イスラームがらみでにわか景気の「アラブ屋」に過ぎぬこの私が、『最後の努力―ローマ人の物語XIII―』の書評という大役に任じられた。既刊全巻を通読し、併せて著者の作品群や近年の随筆も取り出して再読した。そして、「勝負あった」とでもいうような感慨に胸を打たれた。
この巻で物語はコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認の時代に差し掛かり、宗教が政治領域を侵食してローマ帝国が決定的な変質を蒙る。おそらく作者にとって、理念としてのローマは本巻で幕を下ろしたのだろう。人間の可能性のあらゆる側面を十分に発現させてきたローマの歴史的使命がついに尽きた。予定の残り二巻では、政体としてなおも生き続けたローマの老残の日々を冷たく描ききってくれるにちがいない。
しかしそれだけではない。ローマ帝国の盛衰を描く過程で、作者がこれまでの作家生活を通じて問い、問われ続けてきた根本的な問題に、一つ一つ最終的な答えを出してしまっているような気がするのだ。
幅広く読者層をつかみ、実務家、政・官・財界人からも熱烈な支持者を数多く獲得してきた作者であるが、それでいてどこか収まりがたいところがあった。まず、「ジャンルは何なのか」という問題がある。私小説に支配された「純文学」ではない。かといって「エンターテインメント」も馴染まない。日本の「歴史小説」の厳然とした制度には属さず、しかし「ノンフィクション」というのも違和感がある。
最近のエッセイでは「強いて日本語に訳せば歴史評伝」という(「文明の衝突」『文藝春秋』二○○四年六月号)。しかしこれはおそらく一般向けに噛み砕いた説明、あるいは韜晦だろう。真意は第II巻(『ハンニバル戦記』文庫版第3巻~5巻)の冒頭にある。「ローマ人の物語」をラテン語で言えば「レス・ジェスタエ・ポプリ・ロマーニ」すなわち「ローマ人の諸々の所行」となる、という。ここで「所行」にあたるのは「ジェスタエ」(gestae)で、初代皇帝アウグストゥスが自らの事績を残酷なまでに簡潔に記し残した『アウグストゥス業績録』の「業績録(ジェスタエ)」に他ならない。
ジャンルを訝しむ声の背後には、要するに「そもそもこれは文学なのか」という失礼な問いがある。作者はこんな声に正面から取り合うことはしなかったようだ。声の主たちも気づいたら勝手に消えうせてしまっている。しかし作者が全く気にしていないというわけでもなかったようだ。別のエッセイでは、処女作当時の担当編集者から受けたとされる、「私的な心境を表現するのに適した文章があるならば、戦争や政治を叙述するのにもそれに適した文章があるはずだ、だからそれを見つけ、文学的でないと批判されようともかまわずにそれで書け」という教えを披露している(「プロとアマのちがいについて」『文藝春秋』二○○四年九月号)。
『ローマ人の物語』の巻が進むにつれて、青銅版に刻まれ鈍く深い光を放つ「業績録」にも見紛う文体を作者が確立したことは明らかである。文体と文学、という問題には、否応なく決着がついた。
そしてもう一つ付きまとってきた問いにも、容赦なく答えが出てしまっている。その問いは「今日的意義は何か」というものである。著者はかつて、所詮「昔のオハナシ」と擬態してみせた(「『今日的意義』について」『サイレント・マイノリティ』)。おそらく作者からいえば、もっと根本的なところで同時代と取り結んでいるつもりだったに違いない。
この作者はマキァヴェッリに自らの意を語らせることをよくする。『君主論』によれば、「なぜ、時代性(ネチェシタ)を重視するかというと、人間というものは、名誉であろうと富であろうと、各自が目的と定めたことの実現に向って進むとき、種々さまざまな生き方をするものだからである」(『マキアヴェッリ語録』)。「今日的意義」を問う人にも、「意外にも今日的意義が大きい」と評価する人にも、作者は心の中で「時代性を追い求めないはずがありますか?」とつぶやいていたのではないだろうか。
ベルリンの壁が崩れ、ソ連邦が瓦解し、湾岸戦争がわけもわからぬ間に終わってからさほど時を経ていない一九九二年の初夏に『ローマ人の物語』の第I巻は刊行された。この時点では、古代「帝国」の興隆と衰退を十五巻かけて描こうなどという計画はいかにも反時代的で、まさに「昔のオハナシ」と見られたにちがいない。しかし壮大なフィナーレに差し掛かった現在、イラク情勢はいよいよ帝国の辺境平定の様相を濃くし、世界各地で宗教急進派のシカリオイ(殺人者)が暗躍する。この作品の今日的意義を疑う者などいるだろうか。
もちろん作者が「時代性」を掴み取り続けてきたことは単なる幸運ではありえない。マキァヴェッリも言うように、先頭に立ち、何事かを成し遂げる人たちを仔細に検討するならば、「彼らがみな、運命(フォルトゥーナ)からは、機会しか受けなかったことに気づくであろう。そして、そのチャンスも、彼らには材料を与えただけであって、その材料さえも、彼らは自分の考えどおりに料理したのにも気づくにちがいない」。このことに、ほかならぬ作者自身が慄いているようである。
(いけうち・さとし 国際日本文化研究センター助教授)
波 2005年1月号より
著者プロフィール
塩野七生
シオノ・ナナミ
1937年7月7日、東京生れ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006 年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008ー2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2017年、「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻を完結させた。