ぬしさまへ
1,430円(税込)
発売日:2003/05/22
- 書籍
誰よりもか弱いのに、誰よりも名推理! それは強い味方が憑いているから!?
江戸の大店の若だんな・一太郎は、めっぽう身体が弱く寝込んでばかり。そんな一太郎を守っているのは、他人の目には見えぬ摩訶不思議な連中たち。でも、店の手代に殺しの疑いをかけられたとなっちゃあ黙っていられない。さっそく調べに乗り出すが……。病弱若だんなと妖怪たちが繰り広げる、痛快で人情味たっぷりの妖怪推理帖。
書誌情報
読み仮名 | ヌシサマヘ |
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発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-450702-3 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 歴史・時代小説 |
定価 | 1,430円 |
書評
明るい小説
小説は、負のエネルギーによって書かれるものが多い。これまでの日本の小説は特にその傾向が強く、明るく希望に満ちた作品は少数派に属するような気がする。たとえば、武者小路実篤のような、人生を正面から肯定しようとする態度は、現実離れした思想主義と揶揄されがちであるが、稀有な個性としてぼくは大いに認めたい。暗さ、重さ、深刻さこそ小説の条件であるかのごとくもてはやされ、能天気な明るさを盛り込むと、とたんに小説らしさが失われると考えられがちだ。小説というメディアは、「明るさ」よりも「暗さ」のほうが似合う。
昨今のエンターテイメントを見ても、登場人物たちの過去に深刻なトラウマを負わせ、その克服をストーリー展開の牽引力としてラストのカタルシスに導こうとするケースが多々見られる。
確かに、そのほうが小説は書きやすい。ぼく自身、『らせん』を執筆していて、主人公のキャラクター作りに苦しみ、物語が動かなくなってしまったとき、幼いわが子を不注意で亡くしているというトラウマを、主人公の過去に書き加えたところ、思わぬ方向にストーリーが流れ始めたという経験がある。
では、逆に、明るく能天気な小説は、書くのに難しいのか。綱渡りになるだろうとは思う。一歩間違えれば、それこそ小説らしさは失われるけれど、うまくすれば他には見られない独自の世界を築くことができる。いずれにせよ、危ない橋を渡ることになるため、明るい小説執筆に挑む作家は少ないのではないか。
ぼくも選考委員に名を連ねる日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を『しゃばけ』で受賞してデビューされた畠中恵さんは、そんな少数派のひとりとお見受けする。
本作『ぬしさまへ』はその続編にあたる。舞台は徳川期の江戸。主人公は廻船問屋兼薬種問屋を営む大店の若だんな、一太郎。病弱ですぐに寝込む跡取り息子で、両親から溺愛されるさまは、「大福を砂糖漬けにしたようなもの凄い甘さ」と表現される。この若だんなには、佐助と仁吉という、ふたりの手代が片時も離れずにつき従う。「天上天下に一番の大事は若だんなと心得る」この二人は、水戸黄門ならば助さん格さんといったところで、腕っ節は強く、実に頼りになる。それもそのはず、ふたりは人間に姿を変えた妖怪であり、またの名を犬神、白沢というのだ。
一太郎の元に集うのは、佐助、仁吉を始め屏風のぞき、鳴家といった妖怪たちで、にぎやかなことこの上ない。かわいいキャラクター満載でどいつもこいつも絵になる奴ばかりだ。
さて、病弱な若だんなと妖怪たちがどんな活躍をするかといえばこれがなんと捕物帖。自分に思いを寄せる女が殺され、嫌疑をかけられた仁吉のために真犯人を探したり、親友の作った菓子を食べた直後に死んだ老人が仕掛けた罠を暴いたりと、この若だんな、病弱ながら世のため人のため、知力を尽くして、東奔西走する。
金持ちの家に生まれ、両親から溺愛され、何不自由なく育ってきたせいかどうか、一太郎は、心が優しく、ものすごくいい奴として描かれる。普通なら、主人公に何らかのトラウマでも持たせるところだろうが、そんなものはまるでなく、パターンを無視した設定がぼくの目には好ましく映る。パターンにはめれば、さらに小説は書きやすくなるからだ。
このユーモアと愛嬌いっぱいの世界は、作家自身のキャラクターによって作り出されているに相違なく、となると、畠中さんって、作家らしからぬすごくいい人間なのではないかと邪推したくなる。作家にとって一番嬉しいのは人格ではなく作品を褒められることと承知の上で、作家のキャラクターに惹かれてしまうのだ。たぶん、ほんわかと暖かく、善意に満ち、ユーモアたっぷりの面白い人に違いない。
「虹を見し事」のラストで、作者は、一太郎にこう独白させる。
「私は……私は本当に、もっと大人になりたい。凄いばかりのことは出来ずとも、せめて誰かの心の声を聞き逃さないように」
なんという善人。よりよく成長したいと願う一太郎の姿は、ビルディングスロマンの香りを漂わせ、これまたさわやかな読後感だ。
たまには明るい小説もいい。
(すずき・こうじ 作家)
波 2003年6月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
畠中恵
ハタケナカ・メグミ
高知生まれ、名古屋育ち。名古屋造形芸術短期大学ビジュアルデザインコース・イラスト科卒。2001年『しゃばけ』で第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。ほかに『ぬしさまへ』『ねこのばば』『おまけのこ』『うそうそ』『ちんぷんかん』『いっちばん』『ころころろ』『ゆんでめて』『やなりいなり』『ひなこまち』『たぶんねこ』『すえずえ』『なりたい』『おおあたり』『とるとだす』『むすびつき』『てんげんつう』『いちねんかん』『もういちど』『こいごころ』『いつまで』、ビジュアルストーリーブック『みぃつけた』(以上『しゃばけ』シリーズ、新潮社)、『ちょちょら』『けさくしゃ』(新潮社)、『猫君』(集英社)、『あしたの華姫』(KADOKAWA)、『御坊日々』(朝日新聞出版)、『忍びの副業(上)・(下)』(講談社)、『おやごころ』(文藝春秋)、エッセイ集『つくも神さん、お茶ください』(新潮社)などの著作がある。