JR山田線(2)陸中山田駅の惨状に涙が出た

 山田線が盛岡から陸中山田まで開通したのは1935(昭和10)年のこと。線名に冠されるほど重要な町である。その中心に陸中山田駅がある。津波と火災。これ以上の惨状を思い浮かべることはできない。この惨状があまり話題にならないところが、この大震災の被害の深刻さを表しているとも言える。
 山田線が盛岡から陸中山田まで開通したのは1935(昭和10)年のこと。線名に冠されるほど重要な町である。その中心に陸中山田駅がある。津波と火災。これ以上の惨状を思い浮かべることはできない。この惨状があまり話題にならないところが、この大震災の被害の深刻さを表しているとも言える。
 私が言葉を費やすより、写真を見ていただきたい。やや古いが三宅俊彦さんからお借りした写真も掲載する。


1982(昭和57)年頃の陸中山田駅 撮影/三宅俊彦氏


陸中山田駅の正面。時計の針もなくなっている。 撮影/編集部 5月1日


津波に襲われ、火災にも見舞われた駅周辺。 撮影/編集部 5月1日


宮古方面上りホーム 撮影/編集部 5月1日


撮影/三宅俊彦氏 1982(昭和57)年頃


釜石方面下りホーム、本屋側 撮影/編集部 5月1日


釜石方面を望む 撮影/編集部 5月1日


跨線橋の屋根は焼け落ちたか流出したかで、なくなっている 撮影/編集部 5月1日


JR山田線 <投稿日:2011年06月27日>
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