関東大震災と東京市内の駅

 今日は9月1日、防災の日です。大正12年9月1日、相模湾を震源域とする関東大震災が発生、10万人以上が死亡するという大災害になりました。神奈川県内を走る東海道本線は、地震や地震に伴う土砂崩れなどでたいへんな被害が出ました。被害の様子は「写真サイト」にて駅ごと、区間ごとに写真を整理しご紹介しています。
 ここでは「写真サイト」でご紹介できなかった東京市内の駅をいくつかご紹介します。上野、万世橋、錦糸町など地震後の火災で見るも無惨な姿に変貌しています。写真は『大正十二年 鉄道震害調査書』(鉄道省)より。写真説明文は内田宗治氏にお願いしました。また内田氏による特別企画「関東大震災と鉄道」は日本鉄道旅行地図帳「東日本大震災の記録」のp44~47に掲載しています。


総武線、両国橋(現両国)~錦糸町の高架橋梁上の光景。この区間では高架橋の橋脚の多くが切断、移動、沈下などの被害を受け、線路が激しく歪んだ。両国橋~錦糸町~亀戸は全線にわたり火災に包まれもした


全焼した上野駅の様子。地震発生当日は無事だったが翌日午後、東の浅草方面から火の手が迫る。駅員数十人が岩倉鉄道学校と駅との間にある貨物掛詰所、浴場、貨物ホーム上家を破壊し、江戸時代さながら、延焼防止の破壊消防に努める。駅前に停車中の市電も1台倒壊させた。その甲斐なく付近の火勢は一段と強まり、午後5時30分、駅舎は焼けおちた


内部が全焼した煉瓦造りの万世橋駅本屋。現在の神田~御茶ノ水に明治45年開業、駅舎は東京駅本屋と同じ辰野金吾による設計。万世橋本屋は地震の揺れによる被害はなかったが、駅付近は猛火に包まれ、駅前に運転不能となっていた市内電車にまず火が移り、それにより駅舎の便所及び駅舎前に積み上げられていた避難者の荷物へと延焼し、駅全体に燃え広がった


御茶ノ水方面から見た万世橋駅。右側が煉瓦造りの駅本屋。写真には写っていないが地震発生の際、神田方面行きの3両編成の電車が同駅に進入しようとしていた。激震でホーム上家の鉄柱4本が折れ、そのうちの1本、2mほどのものが、走行中の2両目車両の乗降用扉を破壊して車両を突き刺したが、幸いにも乗客に怪我はなかった


全焼した神田駅。高架上に線路とホームがあり、写真はその下の状況。地震発生の7時間後に周囲から猛火が迫った。駅員は、重要書類や備品、乗客の手小荷物を、四方煉瓦造りの駅内階段下の倉庫に入れて守ろうとしたが、近くに避難者が持ち込んだ多くの荷物があったため、これが導火となりすべて焼失してしまった。神田駅の待合室やホームに避難していた約550名が、逃げ場もなくここで焼死するという傷ましい事態も発生。駅に停車中だった中央線の電車(電動車2両、付随車1両の3両編成)も全焼した


<投稿日:2011年09月01日>
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