立ち読み:新潮 2019年11月号

第51回新潮新人賞 受賞者インタビュー
暴力を追いかける/中西智佐乃

――「尾を喰う蛇」は、病院に介護士として勤める興毅が、非常に鬱屈した日々の中で、患者である老人や同僚、家族への憎悪を募らせ、次第に暴力に呑まれていく過程を描いています。本作が生まれた経緯を教えてください。
 はじめは、満州を舞台に四十枚程書き進めていました。その資料として加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』や高校の歴史の教科書等を読むうちに、何故日本人はこういうタガの外れた状態でどんどん突き進んでしまったのかと、戦争に対してあまりにも根本的な疑問を持つようになりました。戦地でのことは「仕方がなかった」という認識が、当時の人々にはやっぱりあったのだろうと思い、そのことが強く残りました。もしあの時代の流れに私が生きていたら、彼らと同じように流されていただろうし、「仕方がなかった」という感覚も、十分持ちうると思いました。
 では何故、こんなにも「戦争はいけない」と叫ばれている現代においても、「仕方がない」という感覚が我がことのように実感できるのかと考えた時に、いや今だって、しばしばそういう現実を目にする、労働の中にそれらは常にあるのだと気づいたんです。
「暴力」は止まることなく、「仕方がなかった」という言葉を盾に起こり続けているのではないか。それらは本当に「仕方がなかった」のか? そもそも「仕方がなかった」とは何だ? 暴力に正しさは有りうるのか? 暴力で人はどのように追いつめられるのか? 追いつめられたとき、それでも仕方がなかったと思えるのか? 疑問が疑問を呼びました。そして、戦争という暴力を経験した老人と、「仕方がない」暴力を受ける若者の接点として、介護の現場を思いつき、プロットが動き出しました。

――介護描写のリアリティが選考会でも注目されました。
 昔、祖母が入院していた病院でいろんなご老人を目にしました。温和で介護士さんに好かれている方がいる一方で、「私を見て」という主張の強い人や、我儘ばかり言う人もなかにはいます。介護士も聖人君子じゃないから、ただ車いすに乗せ換えるだけでも「痛い」と苛立つ患者に対して、「どうせ痛いなら少しぐらい痛くしたって同じ」と、つい思っても不思議じゃない。介護の現場では人の肌と肌が尋常でなく触れ合いますが、その状況そのものが暴力に結び付きやすくなるのではないかと思います。他には保育の現場もそうですね。普通に生きていて、例えば電車に乗って人の髪が触れるだけでも気になるのに、それどころでない接触が日々続くなかで、ちょっとした痛みは日常に溶けて過剰になる。これぐらいなら大丈夫、と少しずつ強く肩を押してみる、それが気づかないうちに痣になっている。
 第三者の目がないのは怖いことですよね。生活を共にすると仕事の場であっても、家庭のようにドメスティックな空間になっていきます。家庭内で起こる「事件」というものは、その家庭内では「当たり前」という認識から起こっていることも多いのではないかと思います。たとえば普通の会社の中にも、はたから見ると異常なことはたくさんあります。戦争は一見大きなサークルだけど、そのなかの小さなサークルのなかで「正常」だと思われていることがたくさんあった。だから作中の入院患者の老人、「89」も「北口」も、戦中に自分がやったことを戦後に「異常」だとみなされてもその感覚に追いつけないし、変に自分を押し込めて生きていくほかなかったのではないかと思います。

――中西さんの個人的・文学的来歴を教えてください。
 特に不自由なく、幼稚園から大学まで通わせてもらい、会社に就職することが出来ました。小説は十代の頃から何年かに一回、短いものを書いていましたが、ちょっと思い出しただけで顔から火が出そうなぐらい酷い出来でした。その後社会人になって改めて推理小説を書きましたが、これも相当酷いものでした。それから二年くらい一人で書いていたのですが、朝ドラ「芋たこなんきん」を見た母から大阪文学学校を勧められ、確かに一人でやっていてもよく分からんと、入学しました。雑居ビルにある教室前の廊下が「大丈夫か?」と思うぐらい暗くて不安になりましたが、そこに通ったことで今作が書けました。実践重視の学校で、とにかく書かされる。長いもので一〇〇枚程度を二、三か月に一作、年間で四本を仕上げました。合評ではめちゃくちゃ叩かれますし、時々褒められることもありつつ、でもやっぱりめちゃくちゃ叩かれました。体力的な問題から二年くらいで一旦辞めて、そこから四、五年書きませんでした。プロになるどころか、もう書かないかもしれないとすら思いました。そのくせ仕事が落ち着いて心や身体が元に戻ってきたら、いけしゃあしゃあとまた書きたくなった。自分の決断なんてその程度だよなと思いました。ひとまず趣味として、ぼちぼちやっていこうと、二十代の終わりに大阪文学学校に入りなおしました。
 復帰して一作目が、やはり酷評され、「次、みとけよ」という闘志というか、怒りが湧きました。二作目を読んだ先生と生徒さんに新人賞に応募をするよう勧められ、今に至ります。はじめはメフィスト賞はじめエンターテインメントの賞に応募していたのですが、アドバイスを受けて純文学系の賞に応募すると予選を通過して、自分の方向性が分かりました。
 小学校のころは「なん者ひなた丸」シリーズ、「パスワードは、ひ・み・つ」シリーズや、学校の図書館や教室の後ろに並んでいる本を読んでいました。なかでも『ジキル博士とハイド氏』にハマったのを覚えています。小説以外でも少女漫画誌の「りぼん」「なかよし」「花とゆめ」を愛読していましたし、「金田一少年の事件簿」、「名探偵コナン」、そのほかジャンプ系の漫画も大好きで、今でも読んでいます。中学に入って、知人に借りた村山由佳さんの『天使の卵』を読んで、大人の小説もいけるなと、いきなり村上龍さんの『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』を手に取りました。さすがに身の丈に合わず全然理解できなかった(笑)。高校生になった頃ハリー・ポッターの一作目が出て、またも授業そっちのけで読みふけりました。狗飼恭子さんや桜井亜美さんの作品や、旅行エッセイも好きでした。妹尾河童さんの『河童が覗いたインド』とか。
 大学では文学部だったので読書量が一気に増えました。特に小川洋子さん、吉本ばななさん、浅田次郎さん、高村薫さん、小野不由美さんの「十二国記」シリーズ、また「涼宮ハルヒ」シリーズや「彩雲国物語」シリーズも好きでした。卒論は宮部みゆきさんの『火車』論です。
 社会人になって一番よく読むのは村上春樹さん。『ねじまき鳥クロニクル』を読んで数日後、会社でコピーをとっている時に、ぶわっと、突然救われたような気持ちになったのを覚えています。あの現象が一体何だったのか、未だによく分からないのですが……。森見登美彦さん、津村記久子さん、村田沙耶香さんも大好きです。

――次回作の構想を教えてください。
「アルコ&ピースのD.C. GARAGE」や「ヨブンのこと」が大好きなので、ラジオを題材にしたものや、六十歳で免許をとった高齢ドライバーの二十年間、アイドルと宗教の関係、実際の事件を題材にしたものなど、いろいろとあります。しかしやはり「暴力」と「貧困」というテーマは、絶対に出てきてしまうと思います。大阪文学学校に通うまでは宮部みゆきさんのように、一つの事件に関わる違う立場の人々を俯瞰して人間を描く、というようなことをやりたかったのですが、やりたいこととできることは違うようで……私が書くとどうしても、暴力を受ける側の話になってしまいます。
 話は変わりますが、今、保育士さんの御給料が過酷な環境に対して、見合っていないように思います。お母さんたちは「よう見てもらってありがたい」と言いつつも「保育料高い」と主張もする。彼女たちも仕事でお迎えが遅れるたびに、延長料金がかかってしまうという切迫した状況にあるので、そう言いたくなるのも分かります。けれど保育士さんは命を預かっているから、想像以上にストレスがかかっていて、例えば子供が少しこけるだけでも強い恐怖を感じる、というような精神状態なんです。加えてお遊戯会はじめイベントが近づくと、帰宅後もピアノの練習をしなくてはいけない、衣装のスカートを縫わなければいけない。そういう時間外労働が顧みられていません。この重労働に対してあまりにも低い対価しか出ないとなると、当然違う仕事をしたいということになり、人出が減る。
 こういう状況の中で起こる出来事に対し、どう思いますかと問う小説を書いていきたいと思います。ありがとうございました。

[→第51回新潮新人賞受賞作 尾を喰う蛇/中西智佐乃]