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新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

創刊の日の風景

 出産予定日と試験の発表が同時に来るようなもの――。編集者にとって、本の発売日をひとことで言えば、そんな感じでしょうか。書店に並んでいる姿を早く見たい。でも、ちゃんと手にとってもらえるだろうか……。楽しみ半分、不安半分。まして今回は新潮新書という新シリーズの創刊でしたから、発売日前後はそわそわし通しでした。

 創刊時の10点がほぼ店頭に出揃った4月10日。会社に行く前に、通勤途中にある書店と都心の大型店を覗いてみました。「おー、あったあった」。実際に書店に置いてあるのを見ると、さすがに感慨ひとしおです。近所の書店の新書売場では、なにやら昔からあったような顔をして平積みされています。一方の大型店では、パネルポスターやPOPが飾られ、気が遠くなるくらいの冊数が積んでありました。しばらく見ていると、何人かのお客さんが手にとってパラパラとめくる仕草。思わず後ろから「そのままレジに持っていってください」と念力を送ってしまいました。
 会社に着くと、おつき合いのある関係各社から、お花やお酒が届けられており、びっくりするやら恐縮するやら。編集部では手作り感覚の地道な作業ばかりなので実感が湧かなかったのですが、自分たちの思っていた以上の広がりで「創刊」というお祭りが進行している感じなのです。その期待の高さに少々たじろぎつつ、緊張感を新たにしたのでした。

 創刊時に最も懸念していたのは、イラク戦争の行方でした。戦局の節目と重なってしまうと、世の中は新書の創刊どころじゃない。関心を持ってもらえないかもしれない。大丈夫だろうか……。そんな不安がよぎったのも事実です。
 私たちは一生のうちで何度か「歴史の変わり目」を実感する時があります。たとえば1989年から1991年にかけての、ベルリンの壁崩壊、イラクのクウェート侵攻、ソ連崩壊。そして一昨年の「9・11」がそうでした。今回のイラク戦争も、やはり大きな「転換点」として歴史に刻まれるのは間違いありません。
 新潮新書の創刊は、何の因果か、このイラク戦争の真っ最中の時期とぶつかることになりました。創刊分のすべてを校了したのが開戦前日の3月19日。そして、創刊分が店頭に並んだ4月10日の新聞一面は「フセイン体制崩壊」――。私も書店を覗きに行った時、鞄の中に新聞3紙を入れていたくらいですので、まったく関心を持ってもらえなかったとしても不思議ではなかったのです。
 しかし、ありがたいことに、発売直後から反応は上々でした。おかげさまで週明けには、早くも何点かの増刷が決まりました。

 今回の創刊に際して、心から感謝申し上げたいのは、書店の方々の熱意に対してです。私たちは「事実上の最後発」である以上、何をしなければならないかを考え続けてきました。その結論が、「われわれの創刊をきっかけに、新書売場自体を盛り上げたい」ということでした。「本の世界への入り口」としての新書が活性化することは、必ずや出版界全体のためにもなる。そう確信して、「新書をもっと読もう」というコピーの入ったポスターも作ったりしました。
 それに書店の方々が共感してくださったのです。ある大型店では独自に「新書をもっと読もう」というキャンペーンを展開中です。また、「そこまで言うなら、新潮新書の編集長として、他社の新書を推薦して欲しい」という声もいくつかあり、恥ずかしながら私がセレクトした他社の新書を並べてくださったところも何店かあります。お役に立てたかどうかはわかりませんが、こうした書店の方々に、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。

  創刊時のラインナップとして、坪内祐三さんに『新書百冊』をお書きいただいたところにも、編集部の姿勢、心意気を感じ取っていただければと思います。本書は、坪内さんが自ら読んできた新書から百冊を取り上げながら、いかに新書で鍛えられたかを綴った「読書自伝」であると同時に、時代背景や新書のありようにまで言及した「新書論」でもあります。
 坪内さんは、あとがきにこう記しています。
「『新書』というメディアをテーマに、まさに『新書』という器で、私は、読書という時代を超えた文化や文化行為の力強さを、特に若い人たちに伝えるべく、この本を書いた」
 是非、ご一読いただきたい一冊です。
 今後も、新書全体を盛り上げようという姿勢だけは貫いていくつもりです。
 というわけで(また前口上が長くなってしまいました)、「今月の脱帽」と題してこのコーナーの最後には、毎回、他社の新書で「これはヤラれた!」と思わず感服したものをご紹介していこうと思います。第一回は、昨年のもので、書店さんに頼まれたセレクションにも入れたお薦めの一冊を。

●『現代アラブの社会思想─終末論とイスラーム主義─』池内恵(講談社現代新書)
 日本の場合、アラブやイスラム研究は、奇妙な左翼史観のものや、「ひいきの引き倒し」のような議論がけっこう多いのですが、本書はそういうところから距離を置いた自由さがあります。クールな姿勢で、かつ詳細で緻密な研究姿勢には、これぞ「地域研究」の果実という感じを受けました。私たちはアラブやイスラムというと、何やら昔の思想がそのまま現代に生きているように思いがちですが、本書によれば、実は西側社会のサブカルチャーやオカルト思想が現代アラブやイスラムの思想に影響を及ぼしているというのです。今回、アメリカ軍がバグダッドを制圧した時のあっけなさに、「聖戦はどこに行ったの?」と違和感をおぼえた方も多かったはず。当たり前のことですが、世界はお互いに影響しあっており、どの社会も時代によって変質しているのです。異文化を見るときに、「こうであるはず」という先入観で見てはいけないと実感させられました。中東を見る目が変わる本です。

2003/04