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今月の1冊


『ぼく東綺譚』や『ふらんす物語』で知られる永井荷風の埋もれた名作「つゆのあとさき」が、ついに新潮文庫から刊行されました。

 本作は、大正ロマンの雰囲気が残る銀座で、カッフェー「ドンフワン」のトップを張る女給・君江と彼女に執着する男たちの駆け引きを描いた物語です。
 当時のカッフェーとは、接客のない純粋に珈琲や紅茶を楽しむ喫茶店「純喫茶」とはちがい、女給が客の隣に座って接待を施し、客は女給にチップを払うという、キャバクラ、ラウンジ、ガールズバー、コンカフェのような存在でした。お気に入りの女給目当てにカッフェーへ通う客も多く、中にはパトロンとなる人もいたようです。永井荷風自身も40代後半ごろから、このカッフェーに足繋く通うようになり、「つゆのあとさき」が誕生したといいます。
 超人気女給の君江に振り向いてほしい、自分だけを愛してほしいと願う男たちは、デートに連れ出したり、贈り物をしたりと、あの手この手を使って気を引こうとします。しかし、当の君江は物欲もなく、やきもちも焼かず、本心も明かさない、秘密にする必要がないようなことでも、深く聞かれるほど堅く口を閉じて何事も語らず笑顔でごまかすという、ミステリアスな女性でした。

 本作を社内で読んでもらったところ、意外にも20代や30代の女性社員から大きな反響があり、「魔性の女」「悪女小説の傑作」「私たちの君江」など主人公の君江に対する崇拝にも似たような言葉が次々と飛び出しました。
 本書には、「つゆのあとさき」の他に、荷風が女給の身の上話を聞き取った珍しい小品「カッフェー一夕話」、巻末には川端康成「永井荷風氏の『つゆのあとさき』」、谷崎潤一郎「『つゆのあとさき』を読む」も収録しています。今も昔も変わらない男女関係のもつれ、多くの文豪を唸らせた最高のヒロイン......。荷風作品を読んだことがない方にこそ、読んでほしい一作です!

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2025年01月15日   今月の1冊


 年明け早々の重版となり、話題となった新潮文庫刊・原田ひ香著『財布は踊る』。
 物価高、上がらない賃金など、「自分のお金をどう守るか」「どう増やしていくか」という問題はどんな人でもいまや無関係ではいられない話題となっているかと思います。
 けれど、そうはいっても、例えば「クレジットカードの利用明細を毎月確認しない」「どんなサブスクに入っているか忘れている」「電子マネーで何を買ったか覚えていない」等々、家計の実は危ないサインをなんとなく見逃してしまう人は多いのではないでしょうか。
 この小説の登場人物たちもまたそうです。
 原田さんの巧みなストーリーテリングの中で、彼らは皆お金にまつわる大きな失敗や挫折、どうしようもない苦しみを経験しますが、その最初の躓きは、本当に些細なことからだったのです。
 皆真剣に人生を生き、それなりの用心深さや考えがあってお金と向き合う人たちが、けれど様々な困難に直面していき、思いもよらぬ沼へとはまり込んでいく。
 そのリアリティには「はっ」とさせられたり、「ゾッ」とさせられたりすること間違いなしです。
 そうして登場人物達に共感したり、時には「こんなことしたらダメに決まってるのに」とハラハラさせられたりしながら読み終わると、「ところで今、私の財布の中にいくら入っているかな?」と気になってくることでしょう。
 小さくとも大きな「お金の貯まる人生」の一歩を、もっといえば、お金に苦しまない人生のためにはどうすればよいかを考えるきっかけになる、そんな希有な小説体験を是非。

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2025年01月15日   今月の1冊


 虚空に詩を捧げる/形ないものにひそむ/原初よりの力を信じて(「詩の捧げ物」)。
 2024年11月13日、詩人・谷川俊太郎さんが逝去されました。最新文庫『ベージュ』は、谷川さんがさいごに編んだ文庫詩集であり、単行本刊行時に未収録の作品から谷川さんが自ら掲載する詩を選び書き下ろしを加えた作品でもあります。
 日本人の想いを代弁し、寄り添い、共にうたい、声を上げつづけた詩人、谷川俊太郎。本作には声優の斉藤壮馬さんの解説が収録されています。
「かつて子供だったあのころ、言葉以前の感覚で確かに感じていたあの世界のきらめきを、ぼくはこの詩たちから間違いなく感じとったのだ。それは誰にも譲れないぼくだけの宝物であり、ぼくだけの詩なのだ」(「解説」より一部抜粋)
 生前、斉藤さんの解説をお読みになった谷川さんは「とても面白かったです、ありがとう」という言葉をのこされています。
 また、装幀のウサギのモデルは、谷川さんが晩年傍に置かれていたぬいぐるみです。「アバターとかあるでしょ。これ、そういう感じで。こういうものがあるほうがいいんですよ、年寄りは」。そうおっしゃっていた谷川さんについて、尾崎真理子さんは『詩人なんて呼ばれて』(新潮文庫)の中でこう書かれています。「そうか、子ウサギにこころを乗せれば、いつでも、どこまでも、バーチャルな旅に出られる。それが詩人。......凄い」。
 谷川さんがこころを乗せた子ウサギは、いま谷川さんの遺した詩集のうえで、谷川さんが「顔は割といいんですよね」と言っていた印象的な黒い瞳で、まっすぐに前を見つめています。
 その詩は、いまも私たちのとなりに――。谷川さんが遺したことばのおくりものを、新潮文庫よりお届けいたします。

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2024年12月15日   今月の1冊


 歳末が近づき、今年も「しゃばけ」シリーズの文庫最新刊が店頭に並ぶ季節となりました。帰省のお供やクリスマスプレゼントとして、毎年楽しみにしてくださっている方も多いのではないでしょうか。
「しゃばけ」シリーズは、病弱な若だんなと妖たちがお江戸の難事件を解決していく物語で、本作『こいごころ』は第21弾となる作品です。累計1000万部突破の超大人気シリーズですが、じつは各巻読み切りの構成となっているため、最新刊から読んでも楽しめます。
 本作『こいごころ』では、寝込んでいる若だんなのもとに、2匹の妖狐が訪ねてきます。妖狐から頼みごとをされた若だんなは、名僧の力を借りようと寺に向いますが、そこには化け狸にまつわる思いもかけぬ事件が待っていました。そして、妖狐に隠された秘密とは!? 表題作の「こいごころ」に加え、若だんなの生まれた日を祝おうとしてとんでもない騒動が巻き起こる「せいぞろい」など、優しさと切なさにあふれる5編が収録されています。
「しゃばけ」は、小学生から100歳以上の方まで幅広い世代から愛されているシリーズで、親子や三世代でファンという方もたくさんいます。文庫解説を執筆してくれた俳優の南沢奈央さんも親子でファンだといい、解説では"「しゃばけ」シリーズにまた新たな名作の誕生である"とも書いています。
 ちなみに、今回はシリーズ累計1000万部突破を記念して特製の金太郎飴を作りました。しゃばけシリーズでおなじみの妖怪・ 鳴家 やなり をモチーフにしており、東京・三ノ輪の老舗である金太郎飴本店とのコラボによって実現した特製飴です。今回は、ここでしか手に入らないこの限定飴を抽選で読者300名にプレゼント。応募締切は来年2025年1月15日(当日消印有効)なので、お見逃しなく。
 そして、今回の文庫発売と同時に「しゃばけ」シリーズのアニメ化も発表されました。放送は来年2025年の予定です。読んでから観るか、観てから読むか――話題のシリーズを、この機会にぜひご一読ください!

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2024年12月15日   今月の1冊


 江戸の「本屋」蔦屋重三郎は、めざましい活躍を見せた出版人でした。山東京伝や滝沢馬琴、十返舎一九、喜多川歌麿といった才能を見出した蔦屋重三郎。まさに江戸一有名な版元でした。

 ところが、重三郎の活躍をよく思わなかった人物がいました。老中松平定信。彼に目をつけられた結果、蔦屋は厳しく取り締まられ、まったく身動きできなくなります。時の権力に理不尽に商売を潰された重三郎。40歳過ぎの屈辱でした。
 だが、彼は沈まなかった。密かに大企画に取り掛かります。老中の意表を突き、「蔦屋重三郎、ここに復活!」といえるような絶対企画。それが「東洲斎写楽」のプロデュースだったのです。時は45歳。重三郎が死ぬまで、残り3年の大仕事でした。

 写楽といえば謎の絵師。しかし本書の読みどころは、写楽の謎解きではありません。
 蔦屋重三郎が、いかに「写楽」を前代未聞の絵師として作り上げ、「写楽」刊行を実現させたのか。本書は、いわば「写楽」プロデュースの内幕を描いただけでなく、時の権力や、時代の流れに抗った「一人の本屋」の物語でもあるのです。
 とくに冒頭で「プロジェクト写楽」が動き始めるあたりは、「ページを繰る手が止まらない」と評論家の細谷正充さんも絶賛です。中盤からはスパイコンゲーム風、そして「写楽抹消」の最終盤は、まさかのどんでん返し......。
 デビューから10ヵ月。「写楽」は絵だけを残し、忽然と姿を消します。それから2年余りのち、蔦屋重三郎は写楽プロジェクトの謎を抱いたまま亡くなりました。享年48。「出版人としての矜持」を守り切った重三郎の戦いとは――。稀代の「本屋」の心意気に胸躍る傑作です。
 野口卓『からくり写楽―蔦屋重三郎、最後の賭け―』(新潮文庫)は発売中です。

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2024年11月15日   今月の1冊