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旅に心誘われる物語


 Yonda?Mail購読者の皆さん。ゴールデン・ウィークは、満喫されましたでしょうか。東京では新緑が目映く、ハナミズキが満開です。これから見頃の花を愛で、思いのほか広い日本をたまにはじっくり旅してみるのもいいものです。そんな気持ちを誘う小説『ロスト・トレイン』(中村弦)をご紹介します。

「日本のどこかに、誰も知らない廃線跡がある。それを最初から最後までたどると、ある奇跡が起こる」。主人公の牧村は、奥多摩の廃線跡で出会った鉄道マニアの平間老人と、世代を超えて酒を酌み交わす仲になる。だが、吉祥寺の居酒屋〈ぷらっとほーむ〉で、まぼろしの廃線跡の話をしてほどなく、老人は消息を絶ってしまう。牧村は、彼を慕う〈テツ〉仲間の菜月と共に、その足跡を追って東北へと向かう。そこで、二人が見たものとは──。

 2008年、『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語―』で、「日本ファンタジーノベル大賞」大賞を受賞、デビューした中村弦さんの2作目となります。

 この小説は、次々に違う貌を見せる不思議な物語です。あらすじにも記したとおり、鉄道マニアの25歳の若者と62歳の老人との出会いから始まる。〈テツ〉でなければ置いてきぼりを食らうのではないかと躊躇するが、さにあらず。オタクの琴線をくすぐるキーワードをちりばめながらも、世代を超えた人間同士の繋がりに進んでいく。

 そんななか、謎の言葉を残して、老人は失踪。ここで俄にミステリアスな様相に転じる。そして、行方を探すことになるが、そこでは老人のテツ仲間の若い女性が登場する。同じ目的に向かう若い男女ならば、一気に恋愛へと動き出しそうだが、静かにゆったりと揺れていく。そこがこの著者ならではの趣と言えます。

 そして、ラストに訪れる幻想的な光景に息を呑む。主眼となるのは、家族でもない三人が、なぜ、互いの存在を想うのか──。その意味を問うために、「鉄道」や「まぼろしの廃線跡」が大きな役割を果たしている物語なのです。

 カバー装画は、新海誠氏のアニメ作品「雲のむこう、約束の場所」から使わせていただきました。


 この小説の世界を、どういう絵で読者に届けようかと考えた時、新海さんのアニメーションが浮かんだのです。「雲のむこう、約束の場所」のほか「秒速5センチメートル」においても、新海さんの作品には、鉄道や駅や線路が多く登場します。それは、単なる「移動手段」としてではなく、物語の中で登場人物たちを繋ぐ「鍵」となっていると感じます。

『ロスト・トレイン』にも、同じにおいを感じ、「これしかない!」と確信したのです。描かれた物語は、登場人物も読者対象もまったく異なります。しかし、いずれの作品も、少年少女だった頃の記憶や思い出が、鉄道や廃線跡を使いながら、線路を走り続ける人生に繋がっていると感じます。

『ロスト・トレイン』の見本が出来上がった日、「雲のむこう、約束の場所」のアニメを観ました。これまでに繰り返し観てきたのですが、装画のシーンになった時、思わず声を上げていました。「間違いなかった」と。

 評論家の川本三郎氏も、著書のなかで『ロスト・トレイン』をこう評しています。

「素晴らしい鉄道ファンタジーである。ここにも、ジャック・フィニイの『ゲイルズバーグの春を愛す』や『銀河鉄道の夜』に通じる、鉄道好きの幻の鉄道への想いを感じ取ることができる」(『小説を、映画を、鉄道が走る』川本三郎著より)

 この小説を読み終えたら、たまには飛行機や新幹線ではなく、各駅停車の列車に乗って、美しい日本の風景を眺めながら旅してみるのはいかがでしょう。大切な人と一緒に、あるいは大切な人を思い出しながら。


(新潮文庫編集部M.S)

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2012年05月10日   今月の1冊
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