ホーム > 新潮新書 > 新書・今月の編集長便り > 究極の天気予報

新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

究極の天気予報

 今年の梅雨は例年より雨が少なく、関東地方では夏の水不足が心配されているようですが、それでも気が付けば今日もまた雨。傘を手放せない日が続いています。
 とはいえ、昔と比べてこの時期も過ごしやすくはなりました。なんと言っても、天気予報の精度が格段に上がったからです。少なくとも翌日の予報が外れることはまずない。週間予報もかなりの確度で信頼できます。
 その秘密は、やはりコンピュータにあるようです。もう十年ほど前の話になりますが、月刊誌の編集部にいた頃、気象庁の専門家を取材したことがありました。そのとき聞いた話では、現在の予報は統計的な手法ではなく、「現実の大気を可能な限り再現したモデルを作り、シミュレーションによって将来の大気の姿を導き出す」という手法をとっているそうです。気温、気圧、風速、湿度……現時点で得られるあらゆるデータを集めて、太陽の熱や地形といった条件を入れながら、大気の刻々の変化を計算する。その計算に時間がかかっていた頃はとても「予報」にならなかったけれども、コンピュータの長足の進歩によって、処理できるデータ量も計算の速度も驚くほど上がりました。それに従って、天気予報の精度も年々向上してきたというわけです。
 ただ、局地的な集中豪雨や、長期の予報はなおも難しいということでした。細かい雲の動きを再現できるようなデータ、1キロ四方単位のデータを集めるのは至難の業ですし、長期の予報になれば国を超えた広範囲なデータと緻密な計算が必要になるからです。
 ということは、逆に言うと「あらゆるデータの入った完全なモデル」がありさえすれば、シミュレーションによって局地的な天候から長期の気候変動まで予測できる、ということでもあります。「完全なモデル」というのは、要するにコンピュータ上に「もう一つの地球」を作るということにほかなりません。考え方としてはそういうことなのです。
 まさに究極の天気予報。それが実現すれば確かに素晴らしいことかもしれない。しかし、話を聞きながら、私はフツフツと疑問が湧いてきました。そもそも、そんな「完全なモデル」が作れるのだろうか。現実の自然は変数だらけだし、一人の人間の毎日の活動によって大気の様子は微妙に変わってくる。誤差の範囲内のデータであっても、それが積もれば影響は小さくないはず。現実にはまず不可能だし、実現しようとすれば膨大なコストがかかる。だいたい、全てを制御できるという発想自体が、ちょっと違うのではないか……。

 これと同じような違和感をおぼえるのが、近年の経済政策論争です。アメリカ型の市場主義の是非、不良債権処理が先かデフレ対策が先か、金融問題をどうするか……。いったい何が正しいのかさっぱりわからない。私自身も「正解」が欲しくて、ずいぶんいろんな本を読みました。けれども、どの論もどこか納得がいかないのです。その理由をつらつら考えてみると、いずれの論者も「自分の政策論は絶対に正しい。自分の主張どおりにやれば、必ず日本経済はよくなる」という姿勢において共通しているからなのですね。
 こんなことを書くと怒られるかもしれませんが、私は経済学ほど怪しい学問はないと思っています。経済は生き物であって、「おおよその解」はあっても、「絶対的な解」はありえない。過去の事例や法則からシミュレートしようとしても、時代も人々の意識も国の置かれた状況も全て異なる。変数が多すぎるのです。にもかかわらず、経済学者は、我こそは「絶対的な解」を知っていると主張します。
 始末が悪いのは、後になってから「あのとき私が主張した政策をとっていれば、こうならなかった」という論者です。当たり前の話ですが、経済は実験ができません。いくら議論しても、その時とれる政策は一つしかない。そして同じ条件が揃うことは二度とない。常にその時、その時が勝負であり、そこで政策判断が間違ったら、またその都度、「その時点での最適の解」を探していくしかないわけです。仮にその時点で最適と思われる政策をとったとしても、状況の変化に応じて、政策を変える必要も出てくるでしょう。経済政策の選択に必要なのは、柔軟さと決断力だけだと思うのです。

 先日、かつて韓国から北朝鮮に渡り、北朝鮮に幻滅して亡命された「元革命家」とお話する機会がありました。現代史の生き証人だけあって、実に興味深い話ばかりでしたが、「そもそも、なぜ共産主義を信じたんですか?」と質問したところ、こんな答えが返ってきました。「あのころの朝鮮(南北という意味)は、ほんとに貧しかった。なんとか世界に追いつくためには、計画経済が手っ取り早いと思ったんです。でも、経済は計画どおりに行くものではない、ということだけはよくわかりました。経済には無駄が必要なんですね」
 その話を聞きながら、なぜか「究極の天気予報」の話と、最近の日本の経済政策論争が頭をよぎったのでした。

 おかげさまで、養老孟司さんの『バカの壁』が売れています。すでに80万部を突破し、私も「なぜ売れていると思いますか」と質問される機会が増えました。それはなかなか一言では言い尽くせないのですが、本書を読めば「自分は絶対的に正しい」という思い込みの危うさがはっきりわかります。「絶対的な解」を安易に求めようとせずに、自分の頭で考えること――その大切さを、私自身も改めて気づかされました。
 タイトルの印象とは違った、奥の深い読後感が残るはずです。まだ未読の方は、ぜひ読んでみていただきたいと思います。

2003/07