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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

150年前と100年前

 今年の大河ドラマ『新選組!』が始まりました。三谷幸喜氏の脚本ということで大いに期待していたのですが、2回を見たところでは、「うーむ」という感じですね。
 三谷氏は「目線を低くして日常のディテールを描く」ために「ナレーションは使わない」「1話で1日の出来事を描く」という枷を自らに課したそうです。土方歳三や沖田総司ではなく、あえて近藤勇を主人公に設定したことといい、なかなか企みに満ちた作り方だなと思っていたのですが、今のところその企みのために、逆に無理をした作りになっているように思います。

 とにかく驚いたのは、初回で近藤、土方が佐久間象山のお供をして、桂小五郎、坂本龍馬と一緒に黒船を見物に行くシーン。もちろんこれは史実ではありません。確かに象山は黒船視察に行ったことはありますが、それは1853年、ペリーが最初に浦賀に来た時の話です。ドラマで描かれた1854年の再来日の時は、松代藩は幕府から警備を命ぜられ、象山は軍議役(参謀)として400人の兵を率いて横浜に向かっています。この二度目の来日の時に、象山門下の吉田松陰が密航を企て、象山もそれをそそのかしたとして投獄されたのは有名なエピソードです。
 近藤、土方が船で漕ぎ出そうとするシーンは松蔭の話を借りたものでしょうし、おそらく桂、坂本を早いうちに出しておく必要から、5人で見物ということになったのでしょう。むろんドラマですから、史実と違うと言って目くじらを立てることもありませんが、歴史を題材にした物語というのは「ひょっとしたら、そんなことがあったかもしれない」と思わせるところがミソ。もっとうまい嘘のつき方はいくらでもあると思うのです。
 例えば象山の使い方。象山は和漢洋の知識に精通し、海防八策を唱えたり、勝海舟や高杉晋作にも影響を与えた(そして勝海舟の妹と結婚しています)幕末の大思想家ですが、好奇心の塊のような人でもありました。私も長野市の象山記念館で見たことがありますが、自前の電信機を作り、日本初の電信実験を行なっています。ほかにも、地震予知器、電気治療器、大砲なども作っており、いわば「東洋のダ・ヴィンチ」というべき人物です。ペリー来航で警備にあたった時も、写真機を向けた米兵に対して、「その乾板は臭素性のものか、沃素性のものか」と質問したという話も残されているほど。
 どうせ登場させるなら、いろんな描き方ができる人物なのです。象山をうまく描くだけでも、尊皇、公武合体、攘夷、開国、倒幕、佐幕……の間で揺れた時代の空気が伝わってきますし、新選組の存在もより立体的になると思うのですが。

 まあ、物語の方は今後の展開に期待するとして、私が今回の『新選組!』で興味深かったのはキャスティングです。近藤役の香取慎吾が大河ドラマらしくないとかの批判も出ているようですが、演技のよしあしは別にして、私はこの軽さというか、若い役者の使い方がけっこう新鮮でした。
 考えてみれば、幕末維新期に活躍した人々は、みんな若いんですよね。1868年時点での数え年で言えば、近藤勇35歳、土方歳三34歳、沖田総司27 歳、桂小五郎36歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳……。それ以前に亡くなった人を見ても、坂本龍馬・享年33、高杉晋作・享年29、安政の大獄で斬首された吉田松陰も享年30、黒船に密航を企てた時は25歳という若さでした。
 当時と今とでは寿命も違うし、教育環境も教養も成熟の仕方も違う、という声があるかもしれません。しかし、二度目の黒船が来て日米和親条約が結ばれた 1854年は、たかだか150年前のことです。時代背景は変わっても、150年で人間の本質がそう変わるとは思えない。歴史上の偉人たちというと、何かとてつもなく立派だったように思いがちですが、それは親や先輩たちにいつまでたっても追いつけないと思う心理と同じではないでしょうか。歴史の資料ではいつもモノクロの写真で威厳ある感じですけれども、実際は色も匂いもある日常を生きていたわけですから。
 そう考えると、新選組の面々というのも、じつは「オレも一発でかいことをやってやる」と思っていた兄ちゃんたちだった、というのが実態に近いのではと思えてきます。ベテランの役者が重々しく演じるよりも、香取慎吾、山本耕史、藤原竜也というのが、意外にハマリ役なのかもしれませんよ。

 さて、日米和親条約が150年前なら、その50年後、つまり今から100年前の1904年(明治37年)、日本は近代史における大きな節目を迎えます。いうまでもなく、日露戦争です。
 今月刊の『日露戦争―もうひとつの「物語」―』(長山靖生著)は、この100年前の戦争を、当時の新聞・雑誌の扱いや作家たちの目を通して捉え直したものです。教科書ではまったく触れられませんが、日露戦争当時、新聞・雑誌が続々と創刊され、号外を競い、山のような戦記小説が書かれました。田山花袋は従軍記者として興奮しながら記事を書き、夏目漱石も勇ましい講談調の漢詩を作っています。今の日本人が異国の戦争をテレビで「消費」してしまうのと同じように、当時の日本人にとって日露戦争は大いなる「娯楽」でもあったのです。これまで書かれたことのない「もう一つの日露戦争史」として、ぜひご一読いただければと思います。
 本書を読めば、人間の時間の感覚というか、歴史の記憶の曖昧さも痛感させられます。私たちにとっては、もはや日露戦争は遠い昔のできごとですが、年表を見てみてください。昭和史に刻印された1945年の敗戦。日露戦争はそのわずか40年前の出来事なのです。「戦後」はもはや60年。戦前の日本人にとって、日露戦争がどれだけ身近なものであったか。そして日露戦争当時の人々にとって、幕末維新がどれだけ身近なものであったか。
 想像力を豊かにして歴史に向かい合わなければ。私は改めてそう思っています。

2004/01