新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

占いと博打

 明けましておめでとうございます。
 今年は穏やかな正月でしたが、皆様どのように過ごされたでしょうか。
 私はといえば、「元日の年賀状書き」。あとは食って飲んで寝る、という典型的な寝正月で、外出したのはせいぜい近くの神社に初詣に行ったくらいのもの。おかげで4キロも太ってしまいました。
 初詣といえば、いつも不思議に思うのは、おみくじのことです。どこの神社のおみくじも必ず番号が書いてあって、限られた種類しかないのがわかっている。でも、書いてある文言につい一喜一憂してしまうんですね。
 おみくじだけじゃありません。私はあまり占いを信じる方ではないのですが、それでも雑誌やスポーツ紙を買うと、つい占い欄には目を通してしまう。いろいろ配信されてくるメルマガでも、占いものだけは毎朝目を通してしまいます。何パターンかしかないのはわかっているのに、都合のいいことが書いてあると、「よっしゃ、今日は調子がいいぞ」などと浮かれる始末です。
 こんなに占い好きなのが日本人特有のことなのか万国共通なのか(それとも私だけ?)、そのあたりはよく知りませんが、これから先、どんな時代、どんな社会になっても、きっと占いだけはなくならないと思います。言うまでもなく、人間には「未来」が見えないからです。
 来年のことを言うと鬼が笑う、とはよく言ったもので、どんな天才にも未来のことだけはわからない。一寸先ですら、誰にも知ることはできない。だから占いをのぞいてみたくなるし、厄除開運のお守りは買ってしまうし、縁起をかついでしまう。運勢ということを前にすると、何やら人智の及ばない世界を感じ、謙虚にならざるを得ません。
 それで思い出すのは、博打です。古今東西、博打が存在し続けているのも、じつは同じ理由からではないでしょうか。博打でカネを稼ごうなどと本気で思っている人は少ないはず。未来が見えないから、「運」というものの正体をつかみたいたいから、人は博打にハマるのではないでしょうか。

 私自身は博打は麻雀くらいしか知りませんが、その魅力はよくわかります。昨年刊行した『小博打のススメ』の中で先崎学さんも「健全に楽しめば、麻雀ほどおもしろいゲームはない」と書いていますが、私も学生時代はずいぶんやったくちです。
 こんなことを書くと笑われてしまいそうですが、麻雀を打っていると、「なんだか人生と同じだなあ」と実感する瞬間があるんですね、困ったことに。
 4人でやるゲームですから、自分の思うようには決していかない。技術だけでも運だけでも勝てない。勝負どころと引きどころを間違うと勝てない。降りてばかりいては絶対に勝てない……。なかでも痛感するのは、「くさったらおしまい」ということです。
 博打の世界には「盆面(ぼんづら)」という言葉があります。要するに打ち手の態度のことですね。負けても気持ちよく負ける。決して他人のせいにしたり、ツキのなさを呪ったりしない。そんな人を「盆面がいい」といいます。自分の配牌の悪さを嘆いたり、つかない時に当たり散らしたり、不機嫌になったりするような人は、逆に「盆面が悪い」です。こういう人は、まず負けます。くさったり、呪ったりすると、不思議とツキが逃げていくんですね。どこか私たちの生きている日常に似ていると思いませんか?
 正月早々、何やら胡乱な話で恐縮ですが、お屠蘇気分の世迷いごとと笑って読んでくださいませ。
 まあ、そんなわけで、今年も私は「盆面」だけはよくありたいと思っています。昨年は新潮新書も幸い好調でしたが、今年の風向きなどわかるはずもありません。逆風でも不調でも、嘆かず、くさらず、がんばっていきたいと思います。どうか本年もご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

 では、恒例の(勝手に恒例にしてしまいますが)今月刊のご案内を――。
日露戦争―もうひとつの「物語」―』(長山靖生著)は、日露戦争開戦百年に合わせた企画ですが、これまでとは全く違う視点で日露戦争を捉え直した意欲作です。今でこそ「劇場型戦争」という言葉もあるように、戦争はメディアを通して「消費」されるものであるという認識がありますが、実は百年前の日露戦争ですらそうだったというのです。日露戦争が当時の日本人にとって、どれだけ「娯楽」であったか。森鴎外、夏目漱石、田山花袋といった作家たちの言動、あるいは戦争を大いにビジネスチャンスとした新聞・雑誌の興亡を丹念に追いながら、「もうひとつの日露戦争」を浮かび上がらせます。
家庭という病巣』(豊田正義著)は、児童虐待、DV、殺人など、いまや「犯罪のための密室」と化した現代の家庭に迫った戦慄のルポルタージュです。
エルメス』(戸矢理衣奈著)は、ブランドの中のブランドというべきエルメスの秘密を明らかにします。エルメスを第三者の立場から研究した本は、おそらく世界でも初めてではないでしょうか。
 そして『日本はどう報じられているか』(石澤靖治編)は、今の日本が世界の人々の目にどのように映っているか、各国の報道を通じてあぶり出そうという試みです。国によって誤解や偏見が残っていたり、無視や嘲笑のニュアンスまであったりと様々ですが、これがまぎれもない「現在の日本像」なのです。驚いたり、あきれたり、腹を立てたりしながら、お読みいただければと思います。

 2004年も第一弾から新潮新書はエンジン全開です!

2004/01