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新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

夢中にさせてくれるもの

 新潮新書が4月に創刊されたとき、編集部には読者の方からいろんな電話がかかってきました。たいていは「期待していますよ」という趣旨のものでしたが、その中に一つだけ、忘れられない電話があります。
 それは、かなりご高齢と思われる方からの、お叱りの電話でした。私たちは創刊時の新聞広告やチラシなどで「新書がもっと面白くなる」というコピーを使っていたのですが、「この『面白い』という言葉が気に入らない」とおっしゃるのです――。

 皆さんお気づきかどうか、近年創刊された新書には、いずれもそのコンセプトを一言で表現するようなキャッチコピーが付いています。例えば、文春新書は「今こそ、自分で、考える」、集英社新書は「知の水先案内人」、光文社新書は「知は、現場にある」といった具合です。
 今だから明かせば、もともと私はそんなコピーは必要ないという考え方でした。全体のコンセプトはラインナップを見ればわかることですし、そもそもシリーズについてのコピーなんて、読者にとってはどうでもいいことです。しょせんは編集者の自己満足であり、蛇足に過ぎない、そう思っていました。しかし、実際にやってみると、なければないでちょっと淋しいんですね。いろいろ考えた末に、「どうせなら、新潮新書の創刊をきっかけに、新書というメディア自体に注目が集まるようなものにしよう」ということで、ひとまず「新書がもっと面白くなる」というコピーを付けることにしたわけです(だからいまだに正式なコピーなんてものはありません)。
 まあコピーとしては単純すぎますし、表現が陳腐だというご批判はあろうかと思いましたが、「新書はまだまだ面白くできる」というのは、創刊にあたってのわれわれの確信でもありましたので、「そのまんまだけど、素直でいいかな」と思っていました。だから、この電話を受けたときには、ちょっと驚いたのです。
 かなりの読書家とおぼしきその方のお叱りの趣旨はこうでした。
「要するに新潮新書は面白主義ということか。新潮社のような伝統ある出版社が、面白さを追求するとは何事か。面白さを目指すというなら、私は買わない」
 うかがっていると、どうもこの方は「面白さ」という言葉に対して誤解があるようなので、「とにかく中身を読んでみてください」と縷々説明したのですが、結局は平行線。ご理解いただけないまま、電話を切られてしまったのでした。

 いい本とめぐり合い、それを読み終えたとき、私たちは、目からウロコが落ちたり、頭がスッキリしたり、熱く共感したり、ジーンと感動したり、大笑いしたりします。何らかの知的刺激を受けたり、未知の地平に連れて行かれるような感覚ですね。それを一言で表現する言葉は何か。英語で言えば、 interestingが一番近いのでしょうが、日本語ではやはり「面白い」という言葉しか私は思いつきません。
 実際、そういうポジティブな心の動きを表現する言葉として、昔の日本人は「面白い」という言葉を生み出したのではないでしょうか。「面白い」という言葉を辞書で引いてみると、愉快である、楽しい、心をひかれる、興趣がある、滑稽だ、おかしい……などいろいろな意味が載っていますが、広辞苑によれば、「面白い」のもともとの意味は、「目の前が広々とひらける感じ」なのだそうです。
「目の前が広々とひらける感じ」とは、これぞまさに本を読む愉しみや歓びそのもの。そう考えるとやはり「面白い」という言葉がピッタリきますし、むしろ「面白い」とは読書の醍醐味を表現するためにある言葉なのではないか、という気さえするほどです。
 思い返せば学生時代、友人たちと酒を飲みながら話すことはといえば、「最近どんな面白い本を読んだか」ということでした。「あれが面白いよ」と言って出てくる書名は、ミステリー、時代小説、SF、青春小説、古典文学、歴史書、ノンフィクション、評論、エッセイ、マンガ……と、あらゆるジャンルにまたがっていました。それぞれが自分の「面白い本」を語り、本の世界という「豊かな森」を探索し合うあの楽しさ。「面白い」という言葉で表現できるものこそが、ジャンルを超えて、「読むに値する本」に共通する価値だと私は思うのですが……。

 その関連でいえば、「エンターテイメント(entertainment)」という言葉についても、日本ではどうも誤解があるようです。辞書を引くと、娯楽、演芸、余興などと訳されていますが、本当はもっと奥の深い言葉なんですね。
 最近たまたま読んだ『出版ルネサンス』(佐野眞一他著、長崎出版、2003年6月刊)という本の巻末の座談会の中で、電通総研の四元正弘氏が実に“面白い”指摘をしています。
 エンターテイメントというのは、もともとは中世ヨーロッパの言葉で、何かが心の中に入ってきて(enter)、留まり続ける(sustain)こと。神のことを考えていなければならないのに、それ以外のことが心の中に入ってきて虜になってしまう、本来はそういう状態を指す言葉なのだそうです。つまり「無我夢中にさせてくれるもの」ということですね。ところが日本では、このエンターテイメントという言葉と、「アミューズメント(amusement)」という言葉がごっちゃになってしまっている。アミューズメントはギリシャ時代に由来する言葉で、やはり娯楽とか楽しみと訳されますが、こちらはむしろ「暇つぶし」というニュアンスに近いそうです。
 出版社が出すべき本は、その本来の意味での「エンターテイメント」であるべきなのに、「アミューズメント」ばかりが量産されているのではないか――四元氏は二つの言葉の違いに触れながら、今の出版界の現状についてこう指摘しています。
 私はこの部分を一読して、まさに、我が意を得たり、と思いました。私がいう「面白い本」とは、まさしく読む者をつかんで離さない、夢中にさせてくれるような本のことなのです。

 おかげさまで、新潮新書は12月刊の新刊も含めて合計48点、累計部数は8カ月で360万部に達しました。もちろん、『バカの壁』のヒットあってこその数字ですが、他の47点も、それぞれの著者と編集者の思いがこもった“面白い”作品揃いだと自負しています。
 2004年もまた、面白くて、夢中にさせてくれるような新書を出し続けて行きたいと思っています。引き続きご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2003/12