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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

これぞ本当の「ニュースの天才」たち

 六本木ヒルズのヴァージン・シネマズで、いま『ニュースの天才』という面白い映画を上映しています。1998年にアメリカの政治雑誌「THE NEW REPUBLIC」を舞台に実際に起きた記事捏造事件を題材にしたもので、主演は『スター・ウォーズ エピソード2』でアナキン・スカイウォーカー役を演じたヘイデン・クリステンセン。自ら監督に売り込んだというだけあって、日常的に記事を「創作」していたスティーブン・グラス記者の“病気ぶり”を見事に演じきっています。

 記事のでっち上げ事件といえば、ピューリッツアー賞を受賞したワシントン・ポストの「ジミーの世界」(麻薬中毒の少年をルポした作品が、まったくの創作だった事件)や、朝日新聞の「伊藤律架空会見記」などの有名事件が思い出されます。これらはいずれも世間を騒がせた「大スクープ」であり、記者の野心が引き起こしたものでしたが、グラス記者のケースはちょっと違います。彼は27もの記事をでっち上げたそうですが、独自ネタとはいっても、「共和党集会での乱交スッパ抜き」とか「ハッカー少年がIT企業を恐喝」とか、いわばゴシップ的な「小ネタ」ばかり。伝統ある政治雑誌でなければ、さして注目も集めなかったのではないでしょうか。
 グラス記者に野心や功名心がなかったとは言いませんが、彼は「一発当ててやる」といった野心満々のタイプではなかったのだと思います。「このくらいのネタなら」「こんな話の方が面白いから」と小さな嘘を重ねているうちに味をしめてしまい、そのうち周囲にも期待されて引くに引けなくなってしまった。小心者のくせに嘘をつくのだけは抜群にうまい、気弱な詐欺師のような男。そんな人物像が浮かび上がってくる映画でした。
 私はこの映画を観ながら、かつて毎日新聞がスクープした「旧石器発掘捏造」の藤村新一氏のことを連想してしまいました。藤村氏は、捏造の瞬間を映したビデオを見せられたとき、取材に当たった記者に、帰り際、「ありがとう」と語ったそうです(新潮文庫『発掘捏造』毎日新聞旧石器遺跡取材班より)。「神の手」などともてはやされているうちに、もう後戻りができなくなっていたのでしょう。「ニュースの天才」も「神の手」も、彼らの行為は許されるものではありませんが、嘘をつき続ける人間には、なんともいえない哀しさを感じてしまいます。

 もちろん「ニュースの天才」という邦題は遊び心のある皮肉ですが、実際のところで言えば、記事の捏造というのは技術的にはそんなに難しいことではありません。まるっきりの独自ソース、独自ネタなどと言われてしまえば、他人には検証しきれないからです。嘘に対する良心の呵責という壁を超えることができさえすれば、じつは簡単に「向こう側」に行けてしまうのです(まあ、それをできる人はめったにいないからこそ、彼は「天才」なわけですが)。
 その意味では、グラス記者は単に最も安易な道を選んだだけの人間に過ぎない、とも言えます。本当の「ニュースの天才」とは、一歩間違えば「向こう側」に落ちてしまうかもしれないギリギリのところで踏みとどまりながら、世間をあっと言わせるようなスクープを放ち続ける記者のことではないでしょうか。
 では、そんな記者が果たしているのか? いるんですね、これが。
 今月刊の『仁義なき英国タブロイド伝説』(山本浩著)をお読みいただければ、必ずや膝を打っていただけることと思います。タブロイド判(日本の夕刊紙のサイズ)で知られるイギリス大衆紙の記者たちこそ、これぞまさしく本当の「ニュースの天才」!というべき人たちなのです。
 タブロイドの記者たちは、捏造などというチンケなことはやりません。その代わり、ネタを仕入れるためなら、潜入取材、隠し撮り、情報源の囲い込みと、もう何でもあり。バッキンガム宮殿に召使いとして雇われ、二カ月住み込みで働いた後、「英王室の警備体制はなっていない。もし私がテロリストなら、女王陛下を容易に暗殺できた」と暴いた記者。自らも犯罪者のふりをして国際的な窃盗集団に接触し、ベッカム夫人誘拐計画を「スクープ」した記者……。ゴシップだけではありません。時の政権をめぐって、批判と擁護に分かれて大キャンペーンを展開。そのブレア政権で2003年まで首相スポークスマンや首相府情報・戦略局長を務めたアレスター・キャンベルも元タブロイド紙記者でしたし、そしてまたそのキャンベルも、イラク戦争をめぐってメディアとの戦いに敗れ、ダウニング街を去ることになります。
 なんというダイナミズム。なんというプロ根性(まあ、業界内で壮大なマッチポンプをやっているだけという気もしますが)。

 タブロイドが小気味よいのは、チャチな正義なぞ振りかざさないところです。知りたいことを探り、調べたいことを調べ、書きたいことを書く。あとは、さあ面白いから読んでくれ……。いやいや、なかなかそんなふうにはできません。
 新潮新書も2年目半ばを過ぎ、この1月で100点を超えます。新しい試みをどんどんやるぞ!と意気込んでいたつもりが、ひょっとしたら惰性に流され、創刊の時の気持ちを忘れてしまっているかもしれません。年末にこのような本も出したことですし、せめて心意気だけはタブロイドにあやかりながら、新年も読み応えのある面白い本を元気に送り出していきたいと思っています。
 2005年もご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2004/12