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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

25年前の1冊の本

 明けましておめでとうございます。
 スマトラ沖大地震という未曾有の惨事のただ中で幕を開けた2005年……。刻々と報じられる痛ましい現実の中で、とても正月気分にはなれないという方も多かったのではないでしょうか。
 少しでも多くの方の無事と、早い復興を祈るばかりです。日本政府には迅速かつ効果的な援助をして欲しい。わけのわからないODAにではなくて、こういうときにこそ、きちんと税金を使って欲しい。一納税者として、心からそう思います。

 さて、2005年はキリのいい数字ということもあってか、何やら節目という感じがする年でもあります。戦後60年、55年体制から50年、日露戦争のポーツマス講和から100年……。アインシュタインの「特殊相対性理論」発表からも100年、夏目漱石の『吾輩は猫である』発表からも100年、なのだそうです。
 年表で100年前の出来事を眺めると、「そうか、まだこの時から100年しか経っていないのか」と思えてきますし、逆に戦後は60年、保守合同から50年といわれると、「もうそんなに経ったのか」という感じがします。人間にとっての「リアルな時間」は、せいぜい50年程度だということでしょうか。
 そんなことをぼんやり考えながら正月のテレビを観ていると、NHKが「25年ぶりのシルクロード!」と大々的にやっていて、ちょっとびっくりしました。あの『シルクロード』から、もう四半世紀が過ぎていたとは……。『新シルクロード』と一緒に放映された25年前の映像を観ながら、思わず感慨にふけってしまいました。
『シルクロード』が放映された1980年、私は高校1年から2年に上がる年でした。ちょうど世界史に興味を持ち始めた頃で、毎回の放送を食い入るように観たおぼえがあります。番組が終わってからも自分の中でのシルクロード熱はさめず、その「におい」のする本をあれこれ探して読みました。その中で、今でも印象に残っているのが、井上靖・岩村忍共著の『西域―人物と歴史―』(現代教養文庫、社会思想社)という本です。

 この本は二部構成になっていて、西域史を彩った張騫や班超といった人物伝を井上氏が担当し、西域の通史を京大名誉教授でその道の泰斗であった岩村氏が解説するという、まことに贅沢なものでした。井上氏の評伝の面白さもさることながら、私にとっては岩村氏がコンパクトに概観された西域・中央アジアの通史がまことに魅力的で、かつありがたかった。というのも、このあたりの通史といえば、当時は中央公論の『世界の歴史』で岩村氏が担当された「西域とイスラム」の巻くらいしか見あたらなかったからです。
 学校の世界史の授業では、西域、中央アジア、西南アジアあたりは、ほとんど「中国史のツマ」程度にしか扱われません。スキタイ、バクトリア、月氏、匈奴、エフタル、鮮卑、突厥、ウイグル……(こうやって並べるだけでも心ときめくものがあります)。イスラムが登場して一色に塗られてしまう前のこの地域の多彩な歴史は、なかなかまとまって読めるものがない。それを岩村氏は1冊の薄い文庫本の中でじつにわかりやすく解説されていました。モンゴルやイスラム帝国、ティムール帝国の世界史上の意味、シルクロードがなぜ忘れ去られ、19世紀に「再発見」されたのか――そのあたりの位置づけも非常に明解で、私はこの本から歴史の細部の魅力と、通史のダイナミズムの両方を学んだように思います。

 シルクロードでこの本のことを思い出して、久しぶりに書棚の奥から引っ張り出してみたのですが、巻末や奥付を見てちょっとした発見もありました。この現代教養文庫版は1980年12月に刊行されていますが、もともとは1963年に筑摩書房から「グリーンベルト・シリーズ」の1冊として刊行されていたものだったのです。
 グリーンベルト・シリーズというのは、1960年代に筑摩書房が出していた「新書」のシリーズです。もちろん高校生の頃の私は、そんなことはまったく気にもとめていませんでしたが、自分が影響を受けた文庫本が、かつての「第2次新書ブーム」の頃に出されて、その後、文庫に収録されたものだったとは……。
 今にして思えば、第2次新書ブームの後、埋もれていたこの本を、シルクロード・ブームに当て込んで文庫化した、という経緯だったのではないでしょうか。今ではこの文庫本も絶版になってしまいましたが、西域の歴史に負けず劣らず、「1冊の本の歴史」にもいろいろなドラマがあり、興味は尽きません。

 25年後に世の中がどうなっているのか、そして自分がどこで何をしているのか(たぶん生きてはいると思いますが)わかりませんが、願わくば「あのころ読んだ新潮新書のあの本が今でも忘れられないよ」といわれるようになりたいと思います。
 本は現実の前ではまったくの無力ですが、それでも一人の読者の心を動かすことだけはできる。それを信じて、今年も心に残る本、読んだ方に少しでも役に立てる本をコツコツと送り続けていきたいと思っています。
 本年も引き続き、ご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

 では、2005年第一弾の4冊を――。
世間のウソ』(日垣隆著)は、『敢闘言』や『偽善系』で知られる日垣氏による、鋭利な社会批評です。政治経済からメディアの言説に至るまで、世の「常識」のウソをえぐり出します。日垣氏は、『そして殺人者は野に放たれる』(小社刊)で昨秋、新潮ドキュメント賞も受賞されました。これもぜひ併せてお読みいただければと思います。
大切なことは60字で書ける』(高橋昭男著)は、ビジネス文書や手紙など日常的な実用文書において、言いたいことを伝えるためのコツを伝授します。いかにすればシンプルかつ説得力のある文章が書けるか、私も大いに勉強になりました(だったらこのメルマガも短く書けと言われそうですが……)。
横井小楠―維新の青写真を描いた男』(徳永洋著)は、幕末維新史の中で忘れられた感のある横井小楠について、新史料を駆使しながら描いた評伝です。坂本龍馬が師と敬い、勝海舟も一目を置いていた動乱期の異才の生涯を、改めて知っていただけたらと思います。
できる人の書斎術』(西山昭彦、中塚千恵著)は、各界の一線で活躍中の方々や、ビジネスマンの方々の書斎を紹介しながら、実現可能な「書斎ライフ」を具体的に提案します。日本の住宅事情の中で、実際に役に立つ工夫とヒントが詰まった1冊です。

2005/01