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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

そんな言い方ないだろう・実録編

 おかげさまで、4月に刊行した『そんな言い方ないだろう』(梶原しげる著)が好評です。前著『口のきき方』に続き、しゃべりのプロである梶原さんが、巷にはびこる「気になる物言い」を徹底解剖。溜飲が下がり、なおかつ自分のしゃべり方を点検する上でも役に立ちますので、未読の方はぜひご一読ください。
 それにしても、日頃、「どうしてそんな言い方をするかなあ」と感じることが、いかに多いか。皆さんもそれぞれに体験があるかと思いますが、私が最近、見聞きしたケースを二つほど――。

 まずは先日、スーパーに買い物に行った時の話。
 靴売り場で靴を選んでいた時のことです。試し履き用の椅子に腰掛け、選んだ靴を履き比べていると、幼稚園児くらいの男の子とその父親が通りかかりました。すると突然その子供が、私が腰掛けていた椅子の脇にちょこんと腰掛けてきたのです。
 一人用のものとはいえ、子供一人が座るスペースはありますから、「買い物で疲れたんだろうな」と思って、それだけなら気にも留めなかったはずなのですが、息子の行動を見た父親の物言いがいけません。
「ちょっとここに座らせてくれる?」
 もちろん私にも常識はありますので、「どうぞどうぞ」とにこやかに対応したのですが、腹の中ではこの言葉にカチン。
「なんで俺が、見ず知らずのお前にタメ口をきかれなきゃいけないんだ。見ず知らずの他人様にものを頼む時は、言い方ってもんがあるだろう」
 こんなセリフが喉まで出かかりました。
 見れば父親は私と同じかちょっと下くらいの年齢で、普通の身なりをした人です。年相応の分別があるなら、「すみません。ちょっと座らせてもらえますか」とか、せめて「すいませんね。子供が疲れちゃって」とか、言葉のかけ方はいくらでもあるでしょうに。
 おまけに、その後の行動にはもっとびっくり。しばらくすると、この父親、「じゃ、もういい?」。子供が「ウン」と頷くや、私には一言もなしに、そのまま「行こうか」と2人で手をつないでスタスタと歩いて行ってしまったのです。
 いったい何なんだこれは? 俺は人間扱いされていないってこと?――私は親子の後ろ姿を見送りながら、怒りを通り越して、しばし呆然としてしまいました。

 もう一つは、友人の体験談。
 この友人は民間レベルでの青少年教育を進めており、優秀な高校生たちを集めて各界の大人達の話を聞かせたり、合宿生活をさせたり、そんな活動をしています。
 その一環として、高校生たちを東南アジアに連れていった時のこと。夜中の3時頃、ホテルで寝ていた友人のところに、日本から電話がかかってきました。参加した女子生徒の父親からで、「娘の部屋にかけても電話に出ない。心配で眠れない」と言うのです。友人は、「こんな時間に非常識な。大方、誰かの部屋で話し込んでいるに違いない」とは思ったものの、預かっている責任がありますから、子供達の部屋を確認に行ったそうです。
 案の定、その女子生徒も含め、何人かが別の部屋に集まっていました。友人が女子生徒に「お父さんから電話が来て心配していたから、電話しなさい」と言ったところ、「父は異常に心配性なだけですから、ほっといていいですよ」という返事。
 日頃から子供たちに寛大な我が友人(女性です)も、さすがにキレました。
「あなたのおかげで、こっちがどれだけ迷惑してると思っているの! 私は明日の準備を済ませて、ようやく寝たばかりだったのよ。まずは私に謝るのが先でしょ!」
 厳しいお説教が始まったのは言うまでもありません。
「親は子離れしていないし、非常識。子供は礼儀知らずで、口のきき方がなっていない。まったく、この親にしてこの子ありよ!」

 日本語の乱れというと、若者言葉がよく話題になりますが、私は言葉は変わっていくものだから、言い回しについてはそう目くじらを立てなくてもよいと思っています。むしろ、他人に対する気遣いや常識を欠いた物言いの方が、はるかに問題です。日本社会からコミュニケーションの常識が失われつつあるとすれば、それはとても困った事態ではないでしょうか。我が身を振り返りつつ、そんなことを痛感する今日この頃であります。

 では、6月刊のご案内を――。
会社は誰のものか』(吉田望著)は、今春、ライブドアによるニッポン放送買収問題で突きつけられた問題に、ネット企業に詳しい著者が独自の角度から挑みます。「株主か経営者か従業員か」などという単純な議論ではありません。元電通社員にして、現在は企業経営者でもある著者が、「ブランド」「志」という意外なキーワードを使って展開する斬新な会社論に、ぜひご注目ください。
観光都市 江戸の誕生』(安藤優一郎著)は、「最先端の観光地としての江戸」にスポットを当てた、これまでにない江戸論。当時の主な観光施設といえば寺社ですが、ご開帳や見せ物による集客がどれだけの経済効果を持っていたか。そこでは今の広告と同じようなことが行われていたし、都市化が進んだからこそ、花見や庭園が求められるという現象もありました。本書を読めば、江戸は「現在と地続き」なのだということが実感できます。
被差別の食卓』(上原善広著)は、世界各地の被差別民による「ソウルフード(魂の食物)」を訪ね歩いた、渾身のルポです。アメリカ、ブラジル、ネパール、ブルガリア、イラク、そして日本……。それぞれの社会で差別された人々が、貧困の中からどのような食文化を育んでいったのか。あのフライドチキンも差別された黒人たちによって独自に作り出された食べ物だったとは。若きノンフィクション・ライターの意欲作にご期待ください。
もしも義経にケータイがあったなら』(鈴木輝一郎著)は、義経失脚の謎を現代の経営理論で読み解いた異色の歴史もの。あれだけの実績を上げながら、なぜ義経は頼朝に追いつめられてしまったのか。放映中の大河ドラマでも相変わらず「悲劇のヒーロー」として描かれるようですが、手練れの作家による鋭い分析で、意外な実像が浮かび上がってきます。私は「なるほど!」と何度も膝を打ちました。楽しみながら、義経を見る目が変わります。

2005/06