新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

ビジネスと志

 わが編集部では月に一回、営業部の担当者との定例会議をもっています。編集部からは企画の趣旨を説明し、タイトルやオビについて営業サイドの意見を聞く。営業部は編集サイドの意気込みや戦略を聞いた上で、売り方の方針を考え、部数を決める。時には厳しい意見も飛び交いますが、編集部にとっては客観的な意見に接する貴重な場ですので、楽しみ半分、怖さ半分といった心境で会議室に向かいます。

 怖さ半分というのは、タイトルやオビについて鋭い意見が出てくるからだけではありません。実はこの場で、数ヶ月前に出した本の売り上げについても報告を受けるのです。これは編集者にとっては、試験の成績表を受け取るようなもの。これから出す本について議論するのは心踊るひとときですが、この“成績発表”の瞬間は、いつも胃が痛くなります。

 先日も6月の定例会議があり、胃の痛い思いをしたばかりなのですが、今回はまた特別でした。創刊して丸2年を過ぎたということで、2年間に刊行した全ラインアップの中から、売り上げの芳しくないもののデータが用意されていたのです。
 何事もそうですが、成功の事例からはあまり教訓は得られません。『バカの壁』がなぜベストセラーになったのか、正直に言えば私たちにもよくわからないし、その理由を分析しても今後の参考になるとは思えない。それよりも、自分たちが「いける!」と踏んでいた本が売れなかった場合、その理由を検証することには大いに意味があります。ふだんから個別にはやっていることですが、今回は改めて営業部がデータを整理してくれたのでした。
 もちろん私たちも、すべての本をベストセラーになどと思っているわけではありません。どの本も初版をきちんと売り切れば利益が出るように計算して出版されますし、重版がかかれば基本的には充分OKなのです。しかし、世の中そう甘くありませんから、なかなか重版にならないケースも出てきます。特に「内容はとても面白いし、自信作なのになぜ?」という場合が、いちばん頭を悩ますところ。この日の会議でも、「タイトルをこうすべきだったのではないか」「こういう打ち出し方があったのではないか」と意見が出ましたが、結局は明快な答えは出ずじまい(そりゃそうです。それが簡単にわかれば誰も苦労はしません)。
 まあそんなわけで、刊行する前は「どうしたら売れるだろう」、刊行した後は「どうして売れなかったのだろう」と、試行錯誤、暗中模索、七転八倒の毎日なのです。

 こんなふうに「売れる売れない」の話をすると、この業界ではなぜか「本は売れればいいというものではない」というお叱りを受けることがあります。しかし我々も道楽でやっているのではなく、ビジネスとしてやっているわけですから、まずは最低限の利益を確保しなければならないというのは当然のことです。どの本も重版できるように工夫をこらす。それが著者から原稿をいただく編集者の務めでもあると思っています。
 けれども一方で、「売れさえすればいいのか」と問われれば、それはまた違うと申し上げたくなります。実際のところ、現実に企画を発想するときには、むしろ「売れるかどうか」は念頭にないことがほとんどです。この人にこのテーマでどうしても書いて欲しい、この原稿の面白さをとにかく広く伝えたい、この著者のこの考えを多くの人に知って欲しい――どんな企画もまずは「伝えたい何か」から始まります。ビジネスになるかどうかは、その後のことです。というより、自分たちが面白いと思うものを世に問うために、それがビジネスになるように必死で知恵を絞っている、というのが実態に近いかもしれません。
 時には、「あまり売れないだろう」と予想できる場合でも、出版の判断をすることだってあります。この面白い原稿を世に出さないというのは、我々の名がすたる。たとえ短期的には売れなくても、新潮新書のイメージづくりにとってはプラスになるはずだ――などと、売れないことへの言い訳をあらかじめ用意しながら、どうしても出したいもの、出すべきものは出すのです。そこにはもう、ビジネス上の計算も理屈もありません。

 これはなにも、出版という仕事にかぎった話ではないでしょう。どんなビジネスであっても、まずは利益が第一ですが、それだけでは人も会社も長続きしない。
 今月刊行した『会社は誰のものか』(吉田望著)は、まさしくこうした「企業にとっての利益の意味」「会社で働くことの意味」をも問いかける1冊です。本書執筆のきっかけは今春世をにぎわしたニッポン放送買収騒動ですが、著者の吉田さんはご自分の会社員体験、起業体験を踏まえながら、「そもそも会社とは何か」という根本的な問題に迫っていきます。ネット企業がなぜ買収に走るのか、といった素朴な疑問に始まって、資本主義の歴史を俯瞰し、「ブランドと人材」という独自のアプローチから会社の本質を考えた本書は、これまでになかった会社論になっています。
 まずは売れなければいけない。しかし売れさえすればいいというものではない。そんな問いの中で毎日ジタバタしている私にとっても、とても腑に落ちる、得心のいく内容でした。とにかく多くの方に読んでいただきたいと思います。
「はじめに」から、吉田さんの言葉を一つ。
「企業は合理的に経営されなければ存続できません。しかしその根本では、どこか非合理な価値観をもっていなければ美しくないし、ブランドも作れません。欲と計算だけでは企業は長い風雪に耐えられず、そこには『志』が必要です」

2005/06