新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

趣味は本棚

 子供の頃から「字が書かれたものを粗末にするな」と躾けられて育ったせいか、いまだに「本を捨てる」ということができません。この商売に就いてから、さすがに雑誌は捨てられるようになりましたが(揃っている場所が身近にあるので)、それでも創刊号とか終刊号とか、あるいはすぐになくなりそうなレアな雑誌はやはり捨てられません。
 商売柄、本は増える一方ですから、当然ながら我が家の本部屋は増殖し放題。床は象一頭分くらいは耐えられるように補強してあるため心配ないのですが、とにかくもう収容スペースがない。ちょっと前までは、ある程度になるとまとめて実家に送っていたのですが、さすがに最近は「いいかげんにしろ」と言われる始末。
 だいたい、本は実家に置いてあっても何の役にも立ちません。若い頃は好きな作家の作品を「古本屋を廻ってでも揃える」ことに命をかけていましたので、たとえば「山田風太郎の角川文庫赤紫背コンプリート・コレクション」などもあったりするのですが、実家の物置の中では宝の持ち腐れ。このあいだ実家に寄った時には、ある作家の作品を読み返したくなって、100冊を超える文庫全冊をまた東京に送り返してしまいました。

 そんなわけで、最近はちょっと収拾がつかない状況でしたので、先日の休みの日に本棚整理を始めてしまったのですが、これがどうにもいけません。どんなに必要に迫られている時でも、ひとたび始めると本棚整理は「至上の娯楽」になってしまうのです。
 なにしろ、自分の本棚には、基本的に自分が関心ある本、気に入って買った本しかありません。どんな大規模店でも作れない、自分にとっては「世界中でもっとも心地よい、唯一無二の本棚」なのですから。本棚をひっくり返すたびに、「かつて惚れた相手」が次々に出てきてしまい、つい読み耽ってしまいます。
 本棚の整理は、自分の脳味噌をシャッフルする感覚にも似ています。いっぱいになって出し入れしなくなってしまった本棚。ことに私の場合、前後2列に収納していますので、後ろの本は忘れてしまっています(もちろん読んでない本も山ほど)。それをごっそり出して整理し直すだけで、「かつてその本に関心を持った時の自分」を再発見できますし、一人でブレーンストーミングをやっている感じがしてきます。忘れていたことを思い出したり、意外なヒントを見つけたり。時にはそれで企画を思いつくこともありますから、実益としても決して侮れないのです。

 今回の棚卸しでも、ちょっと面白い本を見つけました。歴史ものの本棚の奥の方に、ちょうど10年前の「戦後50年」の時に出版された興味深い本がいくつか眠っていたのです(眠らせるなよと自分でツッコミを入れたくなりますが)。
 一冊は『〈もう一つの終戦秘話〉特別科学組―東京高師附属中学の場合』(佐々木元太郎、平川祐弘編著、大修館書店)。これは戦争末期から戦後直後にかけて行われた理数系の選抜英才教育の実験について書かれたもの。当時の日本にとって「科学技術を担う人材」の育成がいかに切実だったかがわかりますし、元大蔵大臣の藤井裕久氏もメンバーの一人だったのにはびっくり。もう一冊は『白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち』(中村祐悦著、芙蓉書房出版)。戦後の1949年、旧日本軍将校17人が蒋介石に招かれ密かに台湾に渡り、台湾軍の創設に関わっていたという秘史発掘もので、そんなこともあったのかと驚きつつ、10年目にしてようやく読んだのでした。
 自分で買っておいた本に驚いていたのでは世話はないですが、別の本棚の奥からは、なぜか10年前の『文藝春秋』5月号が出てきました。カバーストーリーは「オウム真理教 脱走者の手記」とありますので、おそらくこれ目当てで保存していたのでしょう(自分でもなぜとっておいたのか全く記憶にないのが、本棚探検の面白いところ)。ところがこの号をパラパラめくっていたら、なんと養老孟司さんの「さらば東大『象牙の塔』」という記事が……。さらに巻頭随筆を見ていくと、「『エコノミック・アニマル』の不思議」という、どこかで聞いたようなタイトル。筆者は多賀敏行さん。そう、新潮新書の『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった─誤解と誤訳の近現代史─』の原型はここにあったのです!

 これだから本棚整理はやめられません。こういう「快楽」に負けて、「物理的な整理」という所期の目的はいつも中途半端なままに終わります。今回も丸一日やったのに、結局は手を付ける前よりひどい有様。今度の週末もこの続きをやる羽目になりそうですが、果たして少しは片付くのやら……。

 さて、10年前もいろいろな本が出ましたが、今年の夏も「戦後60年」企画が各社で目白押し。もちろん新潮新書からは“真打ち”の登場です。タイトルはそのものズバリ、『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書―』(保阪正康著)。
 あれだけの戦争でしたから様々な「戦争体験」がありますし、それこそ戦後60年の間、山のような数の本が書かれてきました。しかし、あの戦争の全体像をコンパクトな形で整理し、その本質を喝破した本となると意外に見当たりません。本書は、昭和史研究で知られる保阪正康さんが、「あの戦争の本質」に正面から挑んだものです。
 独自の視点からの指摘が随所にありますが、私が特に目からウロコが落ちたのは、日本の指導部には「何をもって勝利、あるいは敗北とするか」という「戦争の終わらせ方」のイメージが、まったくなかったという点です。目的もはっきりしないまま戦争に突入し、退き際も間違えて、310万もの人々を死なせてしまった……。読めば読むほど腹が立ってきます。
 もはや現役世代は皆、戦争を知らない世代になりました。だからこそ、あの戦争の全体像をきちんと捉える努力を続けていかなければならないと思います。自虐史観でもなく、我田引水でもない、クールな太平洋戦争論がここにあります。ぜひご一読ください。

 他の今月刊は、以下の3冊です。
ヘミングウェイの言葉』(今村楯夫著)は、20世紀を颯爽と駆け抜けた文豪の「言葉」を取り上げながら、その魅力に改めて迫ります。一つだけ紹介するならば、「小説を書くときに作家は血の通った人間を創り出すのだ。人物ではなく人間を」――。「新潮文庫の100冊」の定番『老人と海』と一緒にどうぞ。
音楽ライターが、書けなかった話』(神舘和典著)は、数々のアーティストにインタビューしてきた著者が、とっておきの秘話を明かします。その意外な素顔に驚きつつ、「音楽ライターの取材現場は、ライブのような緊張感と感動にあふれている」という指摘には思わず納得。
カラフル・イングリッシュ』(牧野高吉著)は、「色」と「動物」を使った多彩な比喩表現を紹介した一冊。日本語でも「真っ赤なウソ」「青二才」「黄色い声援」など、色を使った比喩がたくさんありますが、英語ではどうなのか? ちょっとした比較文化のウンチクと一緒に、“色々な”英語表現が身に付きます!

2005/07