新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

60年という時間

 先日、『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』と『宇宙戦争』を観てきました。言うまでもなくルーカス監督とスピルバーグ監督の話題作。さすがというべき出来でしたが、内容はともかくとして、今回はちょっと感慨深いものがありました。
 『スターウォーズ』と『未知との遭遇』が日本で公開されたのは1978年。私はまだ中学生でした。あれからもう27年。まさか『スターウォーズ』がその後6作も作られ、その最終作を中学生と小学生の息子を連れて観ることになろうとは……。

 27年前といえば、まだ昨日のことのような感じですが、確かに一世代交代するのに充分な時間なのです。それをつくづく実感してしまいました。

 そう考えると、60年という時間も決して遠いものではない、むしろ身近なものに思えてきます。あの1978年の時点に立ってみれば、当時40代だった私の親の世代にとっては、1945年の敗戦もまだ「昨日のことのよう」なものだったのではないでしょうか。
 確実に二世代は交代しているけれども、まだ記憶を共有できるリアルな時間――60年というのは、そんな長さなのだと思います。
 実際、私たちの世代はまだ祖父母の世代の戦争体験にギリギリで接しています。私の身内でも、祖父のすぐ下の弟は硫黄島で玉砕していますし、妻の祖父はシベリアに抑留され、なんとか帰ってきました。祖父母やその兄弟たちの、それぞれの戦争体験を子供の頃にあれこれ聞いた記憶があります。
 しかしながら、私の子供達の世代には、もうそれは伝わらない。その意味では、記憶が風化していくギリギリのタイミングでもあります。
 戦争の話を記録に残そうにも、もう証言者がいなくなっていきますから、ダイレクトな取材はどんどんできなくなっていきます。10年後には、もう新たな取材はほとんど無理なのではないでしょうか。
 戦後60年という節目の今年は、おそらくあの戦争について検証する最後のチャンスなのです。

 そんな思いもあって、今月は新潮新書でも、昭和史研究で知られるノンフィクション作家の保阪正康さんに正面から挑んでいただきました。タイトルはそのものズバリ、『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書―』。
 保阪さんは、自虐史観でも我田引水でもないクールな視点から、あの戦争の本質を説き起こしていきます。そもそもあの戦争はなぜ起きたのか。戦局はどのように推移し、誰が何をし、何をしなかったのか。なぜあの段階までやめることができなかったのか。開戦に至る力学と、泥沼のメカニズムが、本当に手に取るようにわかります。
 陸軍ばかりが悪く言われますが、では海軍はどうだったのか。開戦に踏み切った指導部は、何をもって「勝利」と位置づけていたのか。結果はともかくとして、当初の目的はそもそも何だったのか――。長年の取材や実証的研究をもとに示される明快な分析には、まことに腑に落ちる思いがします。と同時に、インパール作戦などのくだりを読むと、こんなことで大勢が犠牲になったのかと憤りを禁じ得ません。
 この種の議論は、とかく「日本は」という形で、主語が抽象的になりがちです。しかしそうすると、状況を見れば防衛戦争だったという見方もできるでしょうし、結果を見れば侵略戦争だったという見方も出てきます。主語を「日本」にしてしまうと、見えるものが見えなくなってしまうのです。「軍部」というのもまだ抽象的です。参謀本部の誰が、軍令部の誰がという形で、具体的な形で検証していく必要がある。
 本書は、戦争の全体像をコンパクトに俯瞰しながら、同時にこの「具体的な検証」を丹念に行っているところに特徴があります。感情論に流されず、まずはあの戦争のメカニズムを知るための、まさに「教科書」として、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 「はじめに」から、保阪さんの思いがひしひしと伝わる一節をひとつ――。
「本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことがひとつの進歩のように思い込んでいるような気さえする。国民的な性格の弱さ、狡さと言い換えてもいいかもしれない。日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ」

2005/07