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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

そう捨てたものではありません

 正月に帰省先で生まれたばかりの甥っ子と過ごしたせいか、久しぶりに家族で昔のビデオを見てみようかという話になりました。押し入れの奥から取り出したのは、15年前に買った8ミリビデオ。探してみるとテープも30本くらい見つかりました。本当はDVDに入れ直すとかすればよいのでしょうが、無精かつ機械に弱いもので、編集もせず撮ったまんま放ってあったのです。
 もともと長男が生まれた時に衝動買いしたものですから、さぞ親バカ映像だらけだろうと思って見始めたのですが、テープが記録していたのはそれだけではありませんでした。いちばん古いビデオには15年前の正月の様子がそのまま残っていました。今はもうなくなってしまった、私が生まれた家。農機具の入っていた古い納屋には、旧式のカローラと青い軽トラックが見えます。そして正月の宴席には、亡き祖父、祖母、父の姿も……。
 まだみんな元気だったんだな、としんみりしかけたところに、続いて出てきたのがとりあえずまだ20代だった自分たち夫婦。その服装や髪型の怪しさ、とりわけ妙に大きなメガネの古さに、思わず爆笑してしまいました。

 15年前といえば、つい最近のことだと思っていましたが、考えてみればこの間、世の中はずいぶん変わりました。まず何より、IT分野の急速な進展。インターネットやケータイの普及が我々の生活をどれだけ変えたか、言うまでもないでしょう。家電のデジタル化も凄まじく、8ミリビデオがこんなに早く隅に追いやられるとは思いもしませんでしたし、家庭のパソコンで映像を編集できる時代が来るとは想像もつきませんでした。
 1992年はまだ宮沢内閣で、金丸副総裁が佐川急便事件で辞任したり、細川さんが日本新党を結成したり、といった頃。翌年自民党の分裂で55年体制が崩壊、非自民連立政権ができて小選挙区制に移行。自社さ連立、自自公連立なんて時期を経て、結局は小泉前首相の一人勝ちになろうとは……。15年前には安倍首相はまだ国会議員にすらなっていませんでした。
 経済をめぐっても、なんとも目まぐるしい。バブル崩壊、不良債権問題、金融破綻、長期不況、デフレ、構造改革……。そういえば、官官接待やノーパンしゃぶしゃぶ接待が問題になったこともありましたっけ。大蔵省や銀行の権威が地に落ちた時代でもありました。

 そうした紆余曲折を経て辿り着いた今、この現在――。正月の新聞を読んでいると、やれ「格差社会」だ「失われた世代」だと、社会はますます混迷する一方で、日本はお先真っ暗という感じです。しかし、本当に日本はそんなに悪くなっているのでしょうか?
 格差が広がっているといわれますが、幸いにして餓死が増えているという話は聞きません。むしろ、スーパーや家電量販店、あるいは100円ショップやドラッグストアなどを覗くと、モノは溢れ、体感物価は安くなっています。年収何千万とか何億という人のことは知りませんが(知りたくもない)、好きな本を読み、普通に生活を送る分には、以前よりもずっと暮らしやすくなっていますし、少なくとも私たちが子供の頃よりは社会全体の生活水準は明らかに上がっていると思うのです。
 本当の貧困や飢餓、生命の危険がなおも残る世界にあって、太りすぎや生活習慣病が社会問題になるようなこの日本で「格差」や「喪失」を論じること自体、何だかとても贅沢な悩みという気がしてなりません。
 確かに、新年早々から凄惨な殺人事件や政治家のスキャンダルに接していると、世も末という感じもしてきます。しかしそういう感慨も今に始まった話ではありません。毎年何か大きな事件が起こるたびに「この国は大丈夫か」という空気になりますが、それでも日本社会は必ず乗り越えてきたのです。
 政治も悪くなったといわれますが、政治家の質は昔からこんなもの。むしろ、派閥政治や密室政治が許されなくなり、役所もよりオープンに公正になってきたという点では、以前よりもだいぶマシになったのではないでしょうか。
 もちろん教育問題や高齢化対策等々、個別のイシューでは改善すべき点はまだたくさんあるでしょう。しかし、「課題」がなくなることはそもそもあり得ないわけです。15年の来し方を振り返ってみれば、全体としてはそんなに悪くなっているわけではない。日本はそう捨てたものではないのです。いろいろあったのに高い生活水準でこれだけの安定を保っているのですから、世界史的に見ればそれだけでもう上出来ではないでしょうか。

 マスメディアや知識人は商売柄、常に危機を煽る傾向があります。問題点を指摘するのが仕事ですからそれはやむを得ない面もあるのですが、「混迷の時代」とか「不透明だ」とか「危機の瀬戸際」などという常套句は鵜呑みしないことです。いつの時代だって「混迷」で「不透明」で「瀬戸際」なのですから。
 小林秀雄がもう70年も前にこんなことを書いています。
「混乱していない現代というものが、嘗てあったであろうか、又将来もあるであろうか」
「あらゆる現代は過渡期であると言っても過言ではない」(新潮社『小林秀雄全作品 第11集』所収「現代女性」より)
 先が見えなくて不安なのはみんな同じ。先が見えないから面白みがあるのもみんな同じ。あまり悲観的になりすぎてもロクなことはありません。目の前の課題から目をそらしてはいけませんが、しかし過度の悲観もまた目を曇らせます。

 新潮新書はこの1月刊で200点に達します。毎月毎月、試行錯誤しながら手探りでやって参りましたが、読者の皆様に支えられてなんとかここまで来ることができました。
 新聞やテレビに比べれば、本の影響力というのは圧倒的に小さいかもしれませんが、本にしかできないこと、本だからこそできることもあります。
 マスメディアの論調に流されず、少しでもお役に立てるような「視点」「ヒント」を提供すべく、また1年、読み応えのある本を世に送り続けていきたいと思います。
 本年も新潮新書をどうぞよろしくお願い申し上げます。

2007/01