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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

流行語・ベストセラー今昔

 すでに報道等でご存じかとは思いますが、12月1日に発表された2006年の流行語大賞で、「品格」という言葉が年間大賞に選ばれました。言うまでもなく、これは『国家の品格』(藤原正彦著)のベストセラー化とともに広まったもの。表彰式では藤原さんが「この本を書いたおかげで、品格のないことができなくなった。早く以前の生活に戻りたい」と挨拶され、場内の笑いを誘っていました。
 それと前後して発表されたトーハン、日販の「年間ベストセラー」では、ともに総合ランキングで『国家の品格』が1位、『人は見た目が9割』(竹内一郎著)が7位、『超バカの壁』(養老孟司著)が16位と、20位以内に新潮新書3点がランクイン。新書部門では1位~3位を独占いたしました。こうなふうに書くと自慢めいてしまいますが、それだけ多くの方々が新潮新書を読んでくださったということですから、ほんとにありがたいことだと思っています。

 流行語もベストセラーも狙って作れるものではありません。いろんな要素、偶然が重なって生まれる一種の社会現象であり、なんらかの形でその時代や世相を反映しています。だから毎年の流行語やベストセラーを見ていくと、その時代の空気が感じられてまことに興味深い。
 この週末も、『出版データブック1945~2000』(出版ニュース社)という編年形式の資料集を眺めていたら、あっという間に時間が過ぎておりました(すみません、私の場合、年表のたぐいを眺めるのが趣味なもので……。退屈な方は以下読み飛ばして下さい)。
 自分だけ楽しむのももったいないので、切りのよいところでちょうど50年前、1956(昭和31)年のベストセラーを並べてみましょう。

 1  太陽の季節(石原慎太郎著)――――新潮社
 2  夜と霧(フランクル著)――――――みすず書房
 3  四十八歳の抵抗(石川達三著)―――新潮社
 4  帝王と墓と民衆(三笠宮崇仁著)――光文社
 5  昭和史(遠山茂樹他著)――――――岩波書店
 6  女優(森赫子著)―――――――――実業之日本社
 7  異性ノイローゼ(加藤正明著)―――光文社
 8  連合艦隊の最後(伊藤正徳著)―――文藝春秋新社
 9  モゴール族探検記(梅棹忠夫著)――岩波書店
 10 飢える魂(丹羽文雄著)――――――講談社

『太陽の季節』は言わずと知れた石原氏のデビュー作にして芥川賞受賞作。3月に刊行されるやベストセラー1位に躍り出て、28万部の売れ行きを記録したそうです。この本から「太陽族」という流行語も生まれました。有名な「障子破り」のシーンのみならず、本書は文壇やマスコミを賑わせたようですが、この“やんちゃ”な青年作家が、50年後に都知事の職に就いていようとは誰が想像できたでしょうか。
 経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのがこの年。経済の復興もめざましく、神武景気という言葉も生まれました。テレビの受信契約は30万台を突破し、大宅壮一氏が「一億総白痴化」と表現したのもこの年です。出版界は戦後最高の出版点数を記録(新刊だけで約1万5千点)。出版社による初の週刊誌として『週刊新潮』が創刊され、週刊誌の時代が幕を開けた年でもありました。

 もう一つ、このランキングからは、1954(昭和29)年に始まる戦後第一次の新書ブームもうかがうことができます。『帝王と墓と民衆』『異性ノイローゼ』が光文社のカッパ・ブックス、『昭和史』『モゴール族探検記』が岩波新書と、10点中4点が新書なのです。
 オリエント学がご専門とはいえ、三笠宮殿下にご執筆いただくというのはカッパ・ブックスの勢いを感じますし、前年の流行語だった「ノイローゼ」でこんな商売をやってしまう機動力はさすが。岩波新書の『昭和史』は前年に出たものですが、論壇、学界に論争を巻き起こし、この年まで売れ続けました。梅棹忠夫氏は、『文明の生態史観』などの著作や国立民族学博物館初代館長として知られるとおり、今では学界の重鎮ともいうべき方ですが、実はこの『モゴール族探検記』が初の著作でした。原稿も見ないまま、30代半ばの若き研究者に「帰ってきたら探検記を書いてください」と頼む編集者の眼力も素晴らしいし、その期待に応えて一発で力作を書いた梅棹氏も見事というほかありません。
 それにしても、ベストセラーが流行語を生み出す社会のありようや、新書ブーム、週刊誌ブームなど、今とほとんど違いがないと思いませんか? 何かの流行現象や選挙結果などをとらえて「大衆社会」を批判する人がいますが、我々はとっくの昔から「大衆社会」の中に生きているのです。

 この前年、1955(昭和30)年には、日本初のトランジスタ・ラジオも登場しています。「TR55」というラジオのポータブル化の先駆けというべき商品を売り出したのは東京通信工業、後のソニーです。
 2005年までソニーのCEOを務めた出井伸之氏は、このとき早稲田大学付属高校の三年生。「このラジオで実況を聞きながら早慶戦を見に行きたい」と思っていたそうです。それが縁あってソニーに入社し、やがて16万人を率いる立場にまで上り詰めることになる訳ですから、人生というのはほんとにわかりません。
 今月刊ではその出井氏に、自らの舵取りについて率直に書いていただきました。題して『迷いと決断―ソニーと格闘した10年の記録―』。ソニーの何を変えようとし、何を実現できなかったのか。あるいは、あれだけの巨大企業を経営することがいかに難しいことなのか……。一人の企業人を通じた戦後史としても読んでいただけるのではと思います。
 出井氏は就任当初からインターネットのインパクトに注目し、恐竜を滅ぼしたとされる隕石になぞらえていました。実際、ネット世界のこの10年は、まさしく「激変」と呼ぶにふさわしいでしょう。その激変の道筋をわかりやすく説いた『ウェブ進化論』(ちくま新書)も今年のベストセラーになりましたが、今月刊では同書の著者である梅田望夫氏と作家の平野啓一郎氏に、「それならウェブ進化は人間をどう変えてゆくのか」というテーマで語り合っていただきました。こちらのタイトルは『ウェブ人間論』。生活スタイルから「知のありよう」まで踏み込んだ白熱の討論に御注目ください。

2006/12