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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

まだまだマイナー

 10月に朝日新書が創刊され、他にも創刊を予定している社もあるとかで、このところまた「新書の活況」について訊かれることが増えました。いわく、「朝日新書の創刊についてどう思いますか」「なぜ今、新書がこんなにブームなのでしょうか」「競争が激しくなって大変でしょう」「著者の取り合いになりませんか」等々……。
 私は評論家ではありませんので、他社の創刊や新書全般のことについてはコメントしようがないというのが正直なところ。「活気が出て、いいことだと思います」という程度のつまらない答え方しかできず、いつも申し訳なく思います。でも実際問題、競争が激しくなるといったところで、毎年7万点を超える新刊本が刊行されているわけですから、新書というジャンル内での競争など大した話ではありません。世の中にどんなにたくさんの本が出ていても、読まれるものは読まれますし、そもそも本というのは「競合しない商品」であり「絶対評価だけが頼りの商品」だともいえるのです。

 著者やテーマが重なるのではという懸念についてもご心配には及びません。当たり前の話ですが、新しく創刊、参入するというのは、「自分たちなら既存のものとは違った新しい試みができる。独自の新書を作れる」という決意なり自信なりがあってのことです(私たちの場合は「決意」しかありませんでしたが)。コンセプトも編集方針も先行する社とは自ずと違うわけで、実は競合するように見えて、重なるところはそう多くないのです。朝日新書の創刊ラインアップを見てもそれは一目瞭然。仮に今、私たちが創刊したとしても、おそらく人選は全く重ならないと思います。
 ですから他社の創刊は、新書売り場に注目が集まるという意味で、むしろ大いに歓迎すべきことなのです。
 それにしても不思議に思うのは、なぜ新書だけが、「今、新書がブームだ」「新書戦争勃発!」などという取り上げ方をされるのか、ということです。もちろん、作っている者の立場からすればありがたいと思っていますし、それがイヤだと言っているわけではありません。でもなぜ、「新潮新書が凄い!」「中公新書に注目!」ではなくて、「今、新書が――」なのでしょうか。
 この不思議さは、他のメディアに当てはめてみればお分かりいただけると思います。新聞がどんなにスクープを飛ばしても、「今、新聞が凄いことになっている」とは誰も言いません。週刊誌は毎週、取材合戦を繰り広げていますが、「週刊誌戦争勃発!」とは騒がれません。文庫だって、毎年のように新しいシリーズが創刊され、新書以上の加熱ぶりなのですが、もはや「文庫ブーム」とは言われない。取り上げられる場合は、ジャンルや媒体の種類ではなく、「産経新聞が面白い」「週刊新潮が元気だ」「講談社学術文庫がシブい」と、必ず個々のブランド、固有名詞が話題になるはずです。
 つまり「新書」は、現代の読者にとっては、メディアとしてまだ馴染みが薄いということを物語っているのだと思います。岩波新書が創刊されたのが1938年。戦後、1950年代に新書の第一次ブーム、1960年代に第二次ブームがあり、各社がこぞって参入しましたが、それが淘汰される中で、限られた読者層のためのメディアとして定着してしまった。だから書店の中でも奥まったところにありましたし、長らくマイナーな存在でした。それは基本的には今でも変わっていないのです。

「新書がブーム」と言われるようになったのは、世間が新書というメディアを「思い出した」ということだと思います。それには私たち新潮新書も少しは貢献できたのかもしれません。しかしそれはまだ、あくまでスタートラインに立ったというに過ぎないのです。
 各社が参入し、プレイヤーが増え、新書の売り場が活気づくのはいい。読者にとっても選択肢が広がるでしょう。問題はその先です。いつまでも「新書ブーム」と言われているようでは、単に物珍しい存在のままということです。「新書が」という主語から、「新潮新書が」「ちくま新書が」「文春新書が」と固有のブランド名で語られるようになって初めて、メディアとして成熟、定着したということになるのではないでしょうか。
 そのためには、やはり各社が独自のコンセプト、切り口で勝負し、それぞれの持ち味を発揮していくしかない。それが結果的に、新書の世界を豊かにすることにもつながります。少なくとも私たちは、「新潮新書らしい企画だ」「新潮新書ならやってくれると思っていた」と言われるような本を、これからも丁寧に作り続けていきたいと思っています。

 11月の新刊4点も「新潮新書ならでは」のラインアップですが、特に『会議で事件を起こせ』(山田豊著)と『環境問題の杞憂』(藤倉良著)は他社とは一味違う切り口でしょう。前者は、どの会社にも見られる「ダメな会議」の原因を洗い出し、「意味のある会議」に変えていくための処方箋を示した、すぐに役に立つ一冊。私も思わず「我が社の全員に読んで欲しい」と思ったほどです。『御社の営業がダメな理由』(藤本篤志著)に膝を打たれた方は、是非手にとってみてください。そして後者は、環境問題や健康問題の議論に潜む「根拠のない不安」や「非科学的妄想」を一刀両断。「なんだ、そんなに心配することないじゃないか」と思えてくる、世にもまれな「楽観的環境論」です。
 いじめが原因の自殺が相次いだり、必修科目の履修漏れ騒動で、教育をめぐる議論が盛んですが、教育論議は位相も局面も異なる問題が錯綜し、とかく拡散しがちです。誰もが自分なりの経験を踏まえていますから一家言ありますし、なかなか議論が収斂しません。教育問題を考える際のヒントとして、既刊本の『14歳の子を持つ親たちへ』(内田樹・名越康文著)、『授業の復権』『戦後教育で失われたもの』(森口朗著)、『東大法学部』(水木楊著)をお勧めします。膠着した議論に風穴をあける、鮮やかな「補助線」が見つかるはずです。

2006/11