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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

心あらたまる季節に

 桜が咲き、木々が芽吹き始めるこの時期は、一年でいちばん気持ちが浮き立つ季節です。私が通勤で使っている電車の沿線には毎年サクラソウらしき紫色の花が咲く一画があって、それを車窓から眺めるだけで、つい幸せな気分になります。ちょっと大げさかもしれませんが、菜の花や桜や春の花々を見るたびに、日本に生まれた幸運に感謝したくなります。この時期は毎朝、日本の四季の素晴らしさを味わい、そのまま遊びに行きたくなる気持ちを抑えながら、会社に通う日々です。
 そんな季節に新年度が始まるという仕組みも、まことによくできたものだと思います。街にはちょっと大きめの制服に身を包んだ中学生や、真新しいスーツを着込んだ若者たちの姿――。先日は小社でも、新入社員たちが研修の一環として編集部にやってきました。会社もまた新しい年度が始まります。昨年度がどれだけ業績が良くても、またリセットして新しい仕事に取り組まなければなりません。新入社員を相手に話をしているうちに、なんとなくこちらも新年度に向けて気持ちが切り替わっていくから不思議です。

 フレッシュマンたちに影響されて心があらたまるのはよいのですが、一方で新年度を迎えるたびに、自分が歳を重ねているのも実感せざるを得ません。改めて数えてみたら、入社してから丸20年。自分が新入社員の頃に「怖い先輩」と思っていた人の年齢もとっくに過ぎており、その割には相変わらずこちらは成長しておらず、愕然としてしまいます。
 だんだん新入社員たちの年齢も自分の息子の代に近づいて来ますから、つい「親父」のような目で見てしまう。そういえば、少し上の先輩から、「新入社員の親が自分よりも若いと知った時にはショックだった」と聞いたことがあります。そんな日が来るのも、そう遠くなさそうです。
 自分の息子たちと「青年」「若者」をダブらせてしまうからか、どうも私は最近よく目にしがちな「今は生きづらい世の中。若者がかわいそう」というような論調が好きではありません。過去に比べて現在が格段に「生きづらい」とは全く思わないし、自分も20代まではしんどかったという記憶があるからです。特に学生の頃は自分に何ができるのかよくわからず、不安な毎日を送っていたように思います。仕事に就いた後も、職業選択に確信を持てるようになったのは何年も経ってからです。おそらく誰もがそのようにして歳を重ねてゆくのではないでしょうか。だから若い世代には、どうか“猫なで声”には惑わされないで、たくましく生きて欲しいと願っています。

 今月刊の一冊『人生の鍛錬―小林秀雄の言葉―』(新潮社編)は、新しい生活を迎える若い人たちに、そして「元・青年」たちにも改めて読んでいただきたい本です。我が国の近代批評を代表する人物にして、「人生の教師」でもあった小林秀雄の言葉の中から、胸に響く416を選び、編み上げました。
 私が心に残った言葉をいくつか挙げてみます。もはや余計な説明は不要でしょう。括弧内は発表年と年齢です。

◆「自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ」(1932年、30歳)

◆「どんな強い精神力も境遇を必ずしも改変し得ないが、強い精神力が何かのかたちで利用出来ぬほど絶望的な境遇というものは存しない」(1934年、32歳)

◆「どんな時代にしたって人間としての真の確信というものを掴えるのは、生まやさしい仕事ではないし、ほんと言えば青年などの手に合う仕事ではない。時代の反映であろうが、生理的反映であろうが、精神の不安は青年の特権である、という考えを僕は自分の青年時代の経験から信じている」(1937年、35歳)

◆「僕はただもう非常に辛く不安であった。だがその不安からは得をしたと思っている。学生時代の生活が今日の生活にどんなに深く影響しているかは、今日になってはじめて思い当る処である。現代の学生は不安に苦しんでいるとよく言われるが、僕は自分が極めて不安だったせいか、現代の学生諸君を別にどうという風にも考えない。不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいいではないか。学生時代から安心を得ようなどと虫がよすぎるのである」(1937年、35歳)

◆「不平家とは、自分自身と決して折合わぬ人種を言うのである。不平家は、折合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが」(1946年、44歳)

◆「独創的に書こう、個性的に考えよう、などといくら努力しても、独創的な文学や個性的な思想が出来上るものではない。あらゆる場合に自己に忠実だった人が、結果として独創的な仕事をしたまでである。そういう意味での自己というものは、心理学が説明出来る様なものでもなし、倫理学が教えられる様なものでもあるまい。ましてや自己反省という様な空想的な仕事で達せられる様なものではない。それは、実際の物事にぶつかり、物事の微妙さに驚き、複雑さに困却し、習い覚えた知識の如きは、肝腎要の役には立たぬと痛感し、独力の工夫によって自分の力を試す、そういう経験を重ねて着々と得られるものに他ならない」(1939年、37歳)

 新潮新書は4月で創刊4周年を迎えます。『人生の鍛錬―小林秀雄の言葉―』(新潮社編)のほか、『高層難民』(渡辺実著)、『できる会社の社是・社訓』(千野信浩著)、『本能の力』(戸塚宏著)という新刊3点と、さらに好評既刊の14点も加えて、「4周年フェア」を行います。季節感を出して、今回は全て桜色を基調にしたオビにしてみました。書店でお見かけの際は、ぜひ手にとってみてください。

2007/04