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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「新書らしい」って何?

 2月に発売された「中央公論」(2008年3月号)誌上で、「新書大賞」なるものが発表になりました。要は昨年1年間に刊行された新書の中から優れた作品を選び顕彰すると共に、読書案内としても役立てようという趣旨のようです。まあ、投票の方法などには一考の余地があるものの(私もお付き合いでやむを得ず投票しましたが、やはり編集者は入れない方がフェアでしょうね)、新書全体を盛り上げようという試みそのものは結構なことだと思います。
 栄えある2007年の大賞に輝いたのは福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)。これは誰もが納得といいますか、ほぼ予想どおりの結果でしょう。むしろ私が個人的に興味をおぼえたのは、「中央公論」誌の記事の論じ方と、福岡さんの受賞インタビューとの間の微妙な「ズレ」についてです。

 同誌の編集部がまとめた記事では「『新書らしい新書』の復権か」という小見出しが掲げられ、いろいろな人のコメントを使いながら「『生物と無生物のあいだ』こそ新書らしい新書である。それが1位に選ばれたことが素晴らしい」というトーンでまとめられています。ともかくキーワードは、繰り返し登場する「新書らしい新書」という言葉です。
 ところが福岡さん自身はインタビューでこう語っています。「『生物と無生物のあいだ』は、スタイルの実験でした。単に生物学をやさしく語ったものではなくて、むしろ自分の体験を綴った、個人史的な部分もある。こういうスタイルは、ずっと昔の岩波新書なら難色を示されたかもしれないけれど(笑)」。つまり、ご自身の著作は実験的な新しい試みであり、これまでの新書とは一味違った新書であるという認識なのです。
 私自身の読後感も福岡さんに近いものでした。個人の体験や考察と科学史的な解説が絶妙なバランスで織り交ぜられ、静かに自問自答するように語られてゆく。新書ではあまりお目にかかれない、優れたエッセイという印象でした。福岡さんのお仕事の根底には、「科学とは真実を語る文体の一つに過ぎない」というような諦観があって、それが独特の叙述スタイルにつながっているようにも思います。少なくとも「新書らしい新書」などというレッテルは贔屓の引き倒しというか、ちょっと違うと思うのです。いったいなぜ、こんなズレが生じてしまうのでしょうか。

 新書というのはつくづく不思議な存在です。例えば、「文庫らしい文庫」「単行本らしい単行本」などと言われても何のことかわからない。「新書らしい新書」という表現も、本当はそれと同じくらいナンセンスなはずなのですが、なぜか新書だけはそんな言われ方をしてしまう。
 実はここに新書というものの特殊性があるような気がします。誰しもそれぞれに「新書のイメージ」を持っていて、その「新書らしさ」について語りたがる。「新書らしい、らしくない」という具合に、正統と異端を区別したがる――。つまり、新書はそれだけ「思い入れの強い」対象だということなのです。おそらくそれは、新書が「若き日の読書」「青年期の読書」と不可分のものだからではないでしょうか。
 突拍子もない喩えかもしれませんが、新書をめぐる言説というのは、どうも「卒業生の母校談義」に近いものがあります。「俺たちの頃は素晴らしかったなあ。先生たちも立派だった。ところが最近はどうよ。全然ダメじゃないか」。卒業生たちはそれぞれの母校像を持ち、「母校かくあるべし」と語りたがります。そして時々、評判のいい生徒を見つけては、「うちの学校らしい生徒が久しぶりに出てきた」と誉めるわけです。
 私自身の気分は、卒業生にして母校に赴任してきた中年教師といったところ。うるさいOBたちの気持ちもわかるけれども、世の中も学校も日々変わり続けているし、こちらはただ懐かしんでいるわけにはいかないのです。

 1938年に岩波新書が創刊されてから今年で70年。この間、様々な新書が出ては消え、新書の性格も時代によって変わり続けてきました。岩波新書の旧赤版では、川端康成の短編集(1938年刊『抒情歌』、「伊豆の踊子」も所収)が出ていたのをご存知ですか? 新書は書き下ろしであるべきと言う人がいますが、例えば岩波青版の初期に出た『私の信条』(1951年刊)などは、「世界」に連載された20人のコラムをまとめたアンソロジーです。でも、書き下ろしでなくとも充分に面白い。また青版の代名詞のように言われる丸山真男の『日本の思想』(1961年刊)にしても、実は書き下ろしではありません。前半2章は論文再録、後半2章にいたっては講演録の再録です。
 強すぎる思い入れの中で、新書の歴史はどうも「思い込み」で語られることが多いような気がします。例えば岩波、中公、講談社現代の「御三家時代」が長かったように言われますが、講談社現代新書の創刊が1964年、クリーム色のお馴染みの装幀が定着したのは1970年代の初めですから、1994年のちくま新書創刊までは実質30年足らずしかないのです。それに「御三家」と言っても、狙う方向はかなり違っていました。
 中公新書の巻末に、1962年の創刊時に記された「中公新書刊行のことば」が載っています。この文章がなかなか興味深いのです。「その義務は、たんに専門的知識の通俗化をはかることによって果たされるものでもなく、通俗的好奇心にうったえて、いたずらに発行部数の巨大さを誇ることによって果たされるものでもない」。これは明らかに、当時の出版界を席捲していたカッパ・ブックスへの揶揄でしょう。「私たちは、知識として錯覚しているものによってしばしば動かされ、裏切られる。私たちは、作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない」。これは岩波新書を強く意識した文章のように読めます。先行する二つのビッグブランドと一線を画すことを宣言しているのです。

 中公新書を創刊した大先輩たちは、決して「新書らしさ」などとは言わなかったのではないでしょうか。彼らが目指したのは「中公新書らしさ」だったはずです。
 私も今、同じような気持ちでいます。「新書らしい新書」よりも、「新潮新書らしい新書」と言われた方が嬉しい。それぞれの新書がそれぞれの持ち味を発揮すれば、新書の可能性はぐっと広がるし、新書全体も豊かになるのです。少なくとも私たちは創刊以来5年間、そう考えてやってきました。
 福岡さんは前出のインタビューで、今の新書は懐の深い「実験の場」といった観があり、面白いものが出てくるようなダイナミズムがある、と語っています。まさに我が意を得たり、という思いです。その意味では、『生物と無生物のあいだ』は「新書らしい新書の復権」ではなく、「今の新書らしい新書の登場」と言うべきでしょう。いや、「現在の講談社現代新書らしい新書」と評すべきなのです。

 最後に私事ではございますが、この3月をもちまして編集長を交替いたします。創刊以来、5年にわたりまして、新潮新書及び当メルマガをご愛読いただき、ありがとうございました。最後まで長くなってしまいましたが、なにとぞ御容赦ください。後任はきっと私よりも短く、そして面白く書いてくれることでしょう。引き続きご愛読のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2008/03