新潮新書
パンデミックと売れ行き
複雑系というと科学方面の用語ですが、それとは全然関係なく、複雑な気分になる本があります。出した以上は売れて欲しいのだけれど、売れる状況を考えると、喜んでもいられない、という類のものです。複雑系統とでもいえばいいでしょうか。
たとえば『新聞社―破綻したビジネスモデル―』(河内孝・著)。元毎日新聞常務取締役である著者が新聞ビジネスの様々な危機について、具体的なデータを盛り込んで詳述しています。大手新聞社の深刻な経営実態について著者の筆は鋭く、特に自身の出身母体である毎日新聞社については「ナイアガラの滝の縁まで来ている」と指摘しています。むろん、著者は同社が滝から転落することを望んでいるわけではありません。むしろそうならないように、という強い思いがあるからこういう表現になるのでしょう。
しかし皮肉なことに、こういう本は取り上げた対象が危機になればなるほど関心を集めることになります。同書が大きな反響を呼んだのも、新聞社の危機的状況のあらわれだと思います。
2月に刊行した『パンデミック』(小林照幸・著)も、似たような性格を持っています。2月に刊行したこの本が、4月末から急に売れ行きを伸ばし始めました。もちろん例の新型インフルエンザ発生がきっかけです。
原則として本は売れたほうがいいのだけれども、「どんどんパンデミックが話題になればいい」とはとても思えません。複雑な気分です。
5月新刊をご紹介します。まず、『身内の犯行』(橘由歩・著)。この本も、ちょっと複雑系統です。この本は、親が子を、子が親を、妻が夫を、夫が妻を、祖父が孫を……と、とにかくあらゆる形態での家庭内殺人についての詳細なルポから成り立っています。今や国内で起きる殺人事件の半分以上がこうした「身内が身内を殺す」犯行だといいます。
著者は、どのようにすればこうした不幸な事件を減らせるか、について真剣に考察しています。決して「身内の犯行ブーム」を期待しているのではありません。
『霊と金―スピリチュアル・ビジネスの構造―』(櫻井義秀・著)も、重いテーマを扱っています。「科学ではわからないことがある」といったコピーを武器に、弱った人を不安に駆り立て、そして「癒し」に法外な値段を付けて売る。そんなスピリチュアル・ビジネスの手口、社会的背景、さらに既存宗教と金の関係まで広範に考察した意欲的な作品です。
『イカの神経 ヒトの脳みそ』(後藤秀機・著)は、近頃の安易な「脳ブーム」の本とは一線を画した一冊。カエルやイカの神経に始まり、ヒトの脳みそまで、科学者たちが神経をどのように解明していったか。そのドラマが生き生きと描かれています。ちなみにイカの神経は、すべての生物の中でももっとも太く、実験に最適なのだそうです。
最後の一冊、『「お通し」はなぜ必ず出るのか―ビジネスは飲食店に学べ―』(子安大輔・著)は、読めば外食が10倍は楽しくなり、さらにブームを読む能力が10倍増すること請け合いです。飲食店プロデューサーである著者が解説する「潰れる店」と「行列店」の差、長続きするブームと、すぐに廃れるブームの差などには、きっと唸らされるはず。タイトルの疑問「お通しはなぜ~」も、答えを聞けば深く頷くこと間違いなし。複雑ではなく、すっきりした読後感が得られる一冊です。
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