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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

大相撲の話

 毎回そうですが、今回も以下に書くことは、あくまでも私個人の見解で、新潮社や編集部の意見ではありません。
 何のことかといえば大相撲です。どうも私にはよくわからないのです。身内で花札をやっていた程度の人まで、会見に引っ張り出して謝罪させる必要があるのか。
 報じているメディア(特にテレビ)の伝え方も理解できません。テレビ局に麻雀や賭けゴルフをやった人がいないはずがありません。ある有名なキャスター氏は、賭け麻雀が大好きだったと聞きました。仄聞するところでは数十万円が動いていたとのことでした。
 身内の賭けはともかく、野球賭博はいかんだろう、暴力団の資金源だ、と怒られるかもしれません。それはそうなのでしょう。これまたテレビを見ていたらご意見番と称するタレントが「芸能界ならこんな不祥事を起こしたら一発でクビだ(だから処分やむなし)」という旨のことを言っていました。うそつけ、と思いました。確かに「一発でクビ」になるが、すぐに戻ってくるじゃないか、と。長年芸能界にいて、まったく暴力団の影も見たことがないなどという話は全然信用できません。
 大体、素人にはこんなに早く処分を決めてしまう必要があるのかがわかりません。黒とか灰色の人は出場停止にしたうえで、徹底的に調べて、どういう処分がいいのかをじっくり考えても誰も困るまいにと思うのです。「膿を出す」というのは、あくまでもたとえです。本当に体内に膿がある場合はすぐに出したほうがいいのでしょう。が、今やっているのは「厄介払い」じゃないかという気がします。
 報道によれば、貴乃花親方は「最下位から再出発させたらどうか」というアイデアを出していたそうで、これはいい思い付きだなあと思いました。きっと盛り上がるし、本人も必死でやるだろうし、なぜもっと検討しなかったのか不思議です。日頃は「再チャレンジの重要性」を説いている人たちが黙ってしまうのも不思議です。ちょっと前の大物政治家の疑惑については「推定無罪だ」と一所懸命弁護していた人たちが、力士や親方に対して同様の弁護をしないのも不思議です。
 私が好きなタイプの小説や映画では、悪事に手を染めて追放されたボクサーは、大抵、その後食い詰めてマフィアの用心棒になっています。そういうことにならねばいいが、と心配になります。
 処分するなというのではありません。とにかく急いで結論を出そうとすることに、なんだか嫌な感じがしてしまうのです。
 7月の新刊『即答するバカ』(梶原しげる・著)のタイトルの由来も、このへんの感じと関係があります。とかく急いで結論を出して答えるのが望ましいような風潮に対して、「本当にそうなのか?」と著者は疑問を投げかけています。それで人間関係がうまくいくのかね、と。タイトルから誰か身近な人の顔が浮かんだならば、ぜひ開いてみてください。

 他の4点もご紹介します。
『読む人間ドック』(中原英臣・著)は、自分で病気を発見するのに役立つ本です。「肩がこる」「顔がほてる」といった身近な症状に深刻な病気が潜んでいることもあります。一家に一冊、新書版の「家庭の医学」です。
『降ろされた日の丸―国民学校一年生の朝鮮日記―』(吉原勇・著)は、敗戦時、朝鮮半島で何が起きていたかを少年の目で綴った貴重な記録。米軍の機嫌を取るために、知り合いのお姉さんが慰安婦として差し出されるなど、衝撃的なエピソードも多いのですが、読後は爽やかな感動に包まれることを保証します。
『ポスト・モバイル―ITとヒトの未来図―』(岡嶋裕史・著)は、携帯電話が過去の遺物となる近未来にはどんな技術があり、それは人間をどう変えるのか、がテーマの一冊。「えーっ、ケータイはなくならないだろう」と思った方こそ読んでみてください。SFに出てくるような技術が次々実現しているのに驚くはずです。
 最後に『死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張―』(美達大和・著)。現在も服役中の著者が描く、刑務所の中の「懲りない凶悪犯」の姿には驚き、呆れ、憤りを感じます。むろん、死刑は「要る」とか「要らない」とか即答できる問題ではありません。しかし、他の誰にも書けないリアルな服役囚の実態は、この問題について考える際に知っておくべきことだと思います。

2010/07