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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

言葉の受け止め方について

 嫌いだから絶対に使わない言葉や言い回しは人それぞれあるようです。もちろんそんなもん一切ないという寛容な人もいるのですが、本を書く人にはある程度のこだわりがある方が多いようにも思えます。
 私が絶対に使わないのは、文末の(笑)というやつです。理由は長くなるので書きませんが、これが嫌だという同志はある程度はいる気がします。別に他人が使うぶんにはいいのですが。
 何となく避けてしまうのは「アスリート」という単語で、その理由は多分、当初この言葉を得意げに使っていた運動選手があまり好きじゃなかったとかそういうどうでもいいものです。それ以外には単純に私がちょっと年を取っていて、時おり片仮名を気恥ずかしく思うからだと思います。だから「エディター」なんてのも使いません。
 使わないようにしているのに油断すると使うのは「必死」という言葉です。他人様についてはいいけれども、自分のことに関しては使わないようにしたいと思っています。そんな大層な仕事はやっていないので。調子に乗っているときとか、疲れて感情的になっているときとかについ使いそうなので用心しています。
 11月の新刊の一冊『社畜のススメ』(藤本篤志・著)のタイトルを話し合った際、「社畜」という言葉を巡って意見が分かれました。
「とにかく言葉の響きそのものが嫌。使わないで欲しい」と強い嫌悪感を示したのは年配の社員。「いや、フツーに『俺たち社畜だから』って使いますよ」と軽い感じで言ったのは若い社員。
 世代によって「社畜」という言葉の印象はかなり異なるようでした。結局、これだけ受け止め方が分かれるのならば、かえって面白いということで、このタイトルに落ち着きました。
 内容は「石の上にも10年という気持ちで修行しろ」「未熟な癖に自分なりの個性を発揮しようなんて思うな」等々、巷の自己啓発本への強烈なアンチテーゼとなっています。若い人はもちろん、自信を失っている中間管理職、管理職の方にも一読をお勧めいたします。

 他の3点もご紹介します。
『原発賠償の行方』(井上薫・著)は、法律家の目で原発賠償問題を冷静に俯瞰、検討した一冊。事故後、政府が繰り返してきた無法行為を厳しく指摘しながら、今後のための論点を整理していきます。
『いけばな―知性で愛でる日本の美―』(笹岡隆甫・著)は、若き次期家元の手によるいけばな入門――と聞いた時点で「俺には関係ない」と思う男性も多いことでしょうが、そう言わずにちょっと開いてみてください。著者によると、いけばなで必要なのは「感性」よりも「論理」で、プラモデルを組み立てるのが好きな男性にはとても向いているのだそうです。確かにこの入門書を読むと、いけばなはもちろんその背景にある日本文化全般についても極めて論理的に頭に入っていきます。ぐいぐい読める入門書です。
『一流選手の親はどこが違うのか』は、世界的テニスプレイヤー杉山愛さんの母親であり、コーチでもあった杉山芙沙子さんによる教育論。自身の経験の他に、石川遼さん、宮里藍さん、錦織圭さんのご両親にも取材した結果をまとめたものです。ここに挙げた選手はいずれも成績はもちろん普段の言動も素晴らしく、「あんないい子、どうしたら育つのか」と思った方も多いのではないでしょうか。その疑問への答えが本の中では示されています。
 こういう教育を受けていれば、もっと素直な人間になれたと思いますが、もう手遅れです。

2011/11