新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

創刊9周年です

 4月新刊の『報道の脳死』(烏賀陽弘道・著)は、最近の新聞やテレビの報道について徹底的に検証、批判をした本です。その中でいくつか挙げられている新聞の陳腐な記事の類型のうちのひとつが「カレンダー記事」というもの。「あれから○年」「あれから○か月」といったタイプの記事だといえば、「ああ、あの手ね」と誰もが思い浮かぶことでしょう。
 もちろん何らかの節目にその出来事に思いを馳せ、風化しないようにする行為すべてを否定はできませんが、ルーティン化してしまった記事の多くは無意味である、と筆者は指摘しています。そう言われると、世の中にはカレンダー記事があふれていて、しかもほとんどは有益な情報ではないように思えます。大災害や大事故の被害者にとって「1年目」も「1年と1日目」も「1年と2日目」も同じような気がします。どこかで区切る必要があるにせよ、それは外部の人間の都合、「きりがいいから」といった事情に左右されることではないでしょう。
 と言いながら何ですが、今月は新潮新書の創刊9周年で、いつもよりも点数も多くしています。まあ惨事ではなく、おめでたい誕生日みたいなものなので、このカレンダー記事的行為は見逃してください。

 他の新刊5点をご紹介します。
『傷ついた日本人へ』(ダライ・ラマ14世・著)は、震災後、来日して行った講演を再構成したもの。「幸せとは何か」「苦しみとは何か」といった根源的な話を仏教の教えをもとに、子どもにでもわかるくらいやさしい言葉で説いており、心が洗われるような気持ちになります。
『背負い続ける力』(山下泰裕・著)は、不世出の柔道家の半自伝的人生論。山下さんの偉業は数えればキリがありません。203連勝、対外国人生涯無敗、怪我をしながらのロス五輪金メダル獲得等々。それだけに「人は何かを背負ってこそ強くなる」という言葉には重みがあります。
『恐山―死者のいる場所―』(南直哉・著)は、恐山にあるお寺の住職代理をつとめる著者による「恐山論」。イタコの口寄せというイメージばかりが先行していて、恐山がどういう場所かはあまり知られていません。「本当にイタコって死者を呼べるの」といった素朴な疑問に答えながら、いつしか話は「死者とは何か」という深いところに入っていきます。どこか恐ろしく、ヘヴィーでありながら救われるような気持ちにもなる本です。
『陰謀史観』(秦郁彦・著)は、近代史研究の第一人者による本格的な「陰謀史観」研究書。「○○の背後には●●がいる」「実はあれは△□の陰謀だ」といった陰謀史観は後を絶ちません。最近では「東日本大震災は地震兵器のせい」とか言っている人もいるそうです。明治維新以降、日本における陰謀史観にはいかなるものがあり、それがどのような害悪をもたらしたかについて、筆者は冷静に分析していきます。うかつに乗っかると、国を滅ぼしかねないことがよくわかります。
『雑巾がけ―小沢一郎という試練―』(石川知裕・著)は、約10年間小沢一郎氏の秘書をつとめた著者による「修行論」。住まいは4畳エアコンなし。休日は2週に1日程度。定期的に落とされる理不尽な雷……「史上最恐の上司」に仕えた経験から何を得たのか。過酷な修行の日々を赤裸々に綴っています。
 おかげさまで創刊9周年も無事に迎えることができました。
 今後ともよろしくお願いいたします。

2012/04