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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

松本清張再び!

 私はあまりテレビドラマは観ないのですが、現在放映中の『砂の器』(TBS系日曜夜9時枠)は毎週欠かさず観ています。原作はいうまでもなく松本清張氏の代表作の一つ(新潮文庫刊)。1974年には野村芳太郎監督の手で映画化され、これも名作として高い評価を得ています。そんな作品にテレビドラマとしてどう挑むのだろうか、という興味から観はじめたのですが、すっかりハマってしまいました。
 何より感心したのは、このドラマが原作や映画の雰囲気を活かしながら、両者とはまったく違う「倒叙推理」作品に仕立て上げられているという点です。倒叙推理というのはミステリの一形式で、要は犯人が最初からわかっていて、それが解かれていく過程を楽しむというもの。普通の謎解きミステリは、犯人やそのトリックが伏せられていて、それを解いていくという筋立てになりますが、倒叙推理はそれを逆手にとった手法です。例えば刑事コロンボのシリーズがそうですし、F・W・クロフツ『クロイドン発12時30分』、フランシス・アイルズ『殺意』、リチャード・ハル『伯母殺人事件』(いずれも創元推理文庫)などが傑作として知られています。
『砂の器』の場合、原作も映画もあくまで刑事の視点が中心で、和賀英良が犯人だとわかるのは最後という筋立てです。それをこのドラマ作品はまったく逆にひっくり返してしまった。確かにこれだけ著名な作品ですから、視聴者の大半はストーリィを知っていると考えなければならない。ストーリィを知っている人も楽しめる作り方とは何か――そんな発想からたどり着いた結論が、むしろ和賀を主人公に設定するという倒叙の手法だったのではないでしょうか。その上で、おそらく原作や映画とも違うであろう和賀の「秘密」を物語全体の謎として配置する。これはなかなかよく工夫された作りだと思います。
 このドラマを観ながら、私もつい原作を読み返したくなってしまいました。ストーリィがわかっていても、いろんな楽しみ方ができるのだということを、改めて実感させられた次第です。

 しかし考えてみると、「倒叙」という手法はミステリでは異端であっても、他のジャンルでは当たり前の手法です。例えば、歴史。ストーリィとして見た場合、歴史はすべて結果がわかっています。それでも歴史小説の魅力が減ずるわけではないし、むしろ筋を読者が知っているからこそ作者はいろんな遊びと冒険ができる。あるいは、その「筋」の中の空白を埋めようという試みも活きて来る。
 そういえば松本清張氏は、歴史から現代社会に至るまで、さまざまな「表の筋」を知った上で、それを疑い、見えない空白部分を掘り起こそうとされた方でした。その膨大な作品群を論評する資格など私にはありませんが、『昭和史発掘』シリーズや『火の路』など、その着眼点や調査力に何度圧倒されたことか。
 それを支えていたのは、あくことのない好奇心だったようです。晩年の清張氏を担当していた先輩編集者に聞いた話ですが、たとえ小説のための取材であっても、それはもう徹底していたそうです。とにかく根掘り葉掘り、相手に質問する。しかも決してその場ではメモを取らない。ホテルに帰ってから、取材相手の話や状況を克明にメモにしていく。万年筆で書かれたノートには、取材先の調度品の配置や灰皿の形まで記されていたそうです。
 そうした好奇心と取材が、最先端の情報を取り入れた小説や歴史研究を生み出したのですね。なにしろ『砂の器』の原作では、言語学や音響学の研究成果まで活かされていたわけですから。テレビドラマの放映を機会に、清張ワールドをもう一度探索してみるのもいいのではないでしょうか。

 新潮新書の今月刊にも、清張ファンの方にぜひお薦めしたい作品があります。タイトルは『黒いスイス』(福原直樹著)。なんだか清張作品の『黒い福音』みたいだと思われるかもしれませんが、内容はむしろ『聖獣配列』に近い線といえるでしょう。
 美しい自然と永世中立国のイメージで、日本では理想の国と見られがちなスイスですが、ナチスとの関係などその歴史をたどると実像はかなり違います。新聞社で長年ジュネーブ特派員を務めた著者が、丹念な取材でその「闇」を抉ったのが本書です。ロマ族(ジプシー)を抹殺するために行われた組織的誘拐、アルプスの地下で密かに進められた核実験計画、そして銀行によるマネーロンダリングの実態……。背筋が寒くなるようなルポルタージュです。ぜひご一読ください。
 他の三冊には新年度を迎える春にふさわしい作品を揃えました。
授業の復権』(森口朗著)は、戦後教育史に残る「授業のプロフェッショナルたち」の取り組みに光を当てます。学校の原点はあくまで授業であるという観点に立って、不毛な教育改革論争に一石を投じます。
40歳からの仕事術』(山本真司著)は、会社内でなにかと壁にぶつかりがちな40代のために、生き残るための「戦略」を伝授します。MBAだ何だと、若い層はいろいろ舶来品のスキルを身につけているようですが、40代には40代の戦い方があります。転職にはもう遅い「大人たち」のための福音の書と言えるでしょう。
英語の看板がスラスラ読める』(尾崎哲夫著)は、一味違った語学ものです。海外旅行に行ったときに、一番困るのは看板が読めないこと。逆にいえば、看板さえ読めればなんとかなる。そんなもどかしさを感じている方はぜひ手にとってください。海外旅行には行かないという人にとっても、看板の英語は短い中にあらゆる要素が詰まった「英語の先生」です。旅行気分で楽しみながら、英語力を付けるのも一興でしょう。本書は新潮新書初の「横書き」本です!

2004/03