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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

この愛すべき人々

 歴史との接し方はいろいろありますが、愉しみ方の一つは、やはり人物から入っていくことでしょう。戦国時代や幕末が人気があるのも、さまざまなキャラクターが揃った群像劇の面白さがあるから。飲み屋で「戦国や幕末で誰が好きか」なんて話をし出したら、それぞれが贔屓の人物を挙げ始めて収拾がつかなくなります。
 特に幕末維新期は傑物も多く、好みが分かれるところです。私もお気に入りの人物が何人かいますが、人間的な魅力という意味で一人挙げるとすれば、やはり勝海舟でしょうか。

 成し遂げた業績や器の大きさもさることながら、勝海舟の面白さは、何といってもその人物鑑識眼の鋭さです。『氷川清話』(講談社学術文庫版)を読むと、幕末の「偉人」たちを江戸弁で歯に衣着せず切りまくっていて、まことに痛快無比。海舟は西郷隆盛と横井小楠には一目を置いていましたが、それ以外の人物たちについてはこんな具合です。
「木戸松菊(注 木戸孝允)は、西郷などに比べると、非常に小さい。しかし綿密な男サ。使ひ所によりては、ずいぶん使へる奴だつた。あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがノー」
「藤田東湖は、多少学問もあり、剣術も達者で、一廉役に立ちさうな男だつたヨ。しかし、どうも軽率で困るよ。非常に騒ぎ出すでノー」
「佐久間象山は、物識りだつたヨ。学問も博し、見識も多少持つて居たよ。しかし、どうも法螺吹きで困るよ。あんな男を実際の局に当らしたらどうだらうか……。何とも保証は出来ないノー。あれは、あれだけの男で、ずいぶん軽はずみの、ちよこちよこした男だつた」
 自分の妹と結婚した佐久間象山に対しても、これですから。

 これらはまあ、身もふたも無い中にもどこかユーモラスな響きがありますが、その海舟も徳川慶喜に対しては厳しく、容赦がありません。さんざん建策しても容れられず、江戸の町を救った後も冷遇されたわけですから、当然といえば当然でしょう。
 今月刊の『嫉妬の世界史』の中で、著者の山内昌之氏は、この二人の微妙な関係を「嫉妬」という観点から解き明かしています。要は、「できすぎる部下」であった海舟を、慶喜が嫉妬していたというのです。将軍が嫉妬するくらいですから、幕府の役人たちの中で海舟がどんな立場に置かれていたか想像できます。まったく、海舟もたまったものじゃありません。天下の一大事にそんなことをやっている場合か、という気がしますが、まあそれが人間というもの。そのあたりは、いつの時代も変わりはないのですね。
 本書は、そうした誰しも無縁ではいられない「嫉妬」をキーワードにして、歴史を読み直したものです。部下を決して信用しなかったアレクサンドロス大王、有能な同士をねたみ、死に追いやったスターリンと毛沢東、できる弟を持ったからこそ心穏やかでいられなかった島津義久、源頼朝、徳川家光……。ときに国家を滅ぼしかねない「男の嫉妬」について、古今東西のエピソードをふんだんに盛り込んで描き出します。
 山内氏は国際関係史やイスラーム地域研究で著名ですが、じつは大の歌舞伎好き、時代小説好きで、お酒を飲んで興が乗ると、歌舞伎の科白も飛び出します。今回はそうしたもう一つの顔を大いに発揮していただき、これまでの著作とはちょっと違う読み物という形で歴史にアプローチしてもらいました。愉しみながら(そしてちょっと怖がりながら)、人間臭い歴史の物語として読んでいただければと思います。

 人間臭いといえば、同じく今月刊の『松下政経塾とは何か』(出井康博著)にもご注目を。本書は、かの松下幸之助氏によって創設され、今年で25周年を迎えた松下政経塾の実像に迫ったノンフィクションですが、ここに描かれた「政経塾をめぐる人々」の姿は、まことに興味深いものがあります。
 幸之助氏は晩年、政治をなんとかしなければという思いにかられ、「右手にそろばん、左手に政治」と言いながら、政経塾を設立します。本書によれば、幸之助氏は吉田松陰の松下村塾を強く意識し、坂本龍馬に憧れていたそうです。
 ここに集う人々は、みんな幕末維新好きです。1993年、日本新党ブームに乗って政経塾出身者も15名が衆院選に当選しますが、後に日本新党は消滅。この時、塾出身者たちの間で、「政経塾新党」の構想が持ち上がります。これを画策したメンバーたちの行動が凄い。彼らはひそかに「志士の会」を名乗り、その結成を祝う会では血判を押し、「船中八策」という銘柄の日本酒を酌み交わしたそうです。船中八策とは言うまでもなく、坂本龍馬が打ち出した新しい国家体制のための要綱のこと。志士の会趣意書には、「いま一度日本を洗濯致し申し候」という坂本龍馬の有名な言葉が最初に書かれていたといいます。
 現在、松下政経塾出身の国会議員は29名。これは政界においては一大勢力といっていいでしょう。むろん彼らも必ずしも一枚岩ではありませんが、この時代に、どのようなメンタリティの人間が政治家への門を叩くのか。本書では、その人間模様、群像があますところなく描かれています。

 政経塾の人々にかぎらず、政治家は不思議と幕末の志士たちが好きです。彼らを「幕末ごっこ」と笑ってしまうのは簡単ですが、私は『嫉妬の世界史』と『松下政経塾とは何か』を読みながら、勝海舟のこんな言葉を思い出してしまいました。
「時に古今の差なく、国に東西の別はない。観じ来れば、人間は始終同じ事を繰り返して居るばかりだ。(中略)今から古を見るのは、古から今を見るのと少しも変りはないサ」

2004/11