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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

80年前のアメリカ論

 昭和初期に活躍した伝説的な流行作家に林不忘という人がいます。
 いや、こう書くと正確ではありません。林不忘はあくまでペンネームの一つで、ほかに牧逸馬、谷譲次というペンネームを使い分け、しかもそれぞれの名義でヒットを飛ばしていた恐るべき人物です。林不忘としては『丹下左膳』などの時代小説、牧逸馬名では『地上の星座』などの恋愛小説、そして谷譲次の名では『踊る地平線』(「踊る大捜査線」はここから頂戴したものですね)などのルポ風読み物が知られています。
 本名は長谷川海太郎。『シベリヤ物語』などで知られる作家・長谷川四郎は彼の弟です。海太郎は35歳で亡くなり、四郎は戦後、安部公房らと同時期に活躍しましたから、今では四郎の方が通りがよいかもしれません。この一家の物語もなかなか波乱万丈なのですが、それを書くと長くなりますので、興味のある方は四郎のご子息が書かれた『父・長谷川四郎の謎』(長谷川元吉著、草思社)を読まれることをお薦めします。

 さて、三つの顔を持つ長谷川海太郎ですが、やはり何といっても面白いのは谷譲次名での読み物です。海太郎は1900年(明治33年)に生まれ、函館中学に進むも訳あって中退、18歳で単身渡米します。コックやポーターなどの仕事をしながら大学で学び、24歳で帰国。そして『新青年』主筆の森下雨村と知り合い、7年間に見聞きしたアメリカのルポを谷譲次名で同誌に発表するのです。
 この一連のルポは「めりけんじゃっぷ」ものと呼ばれており、代表作は昭和2年に連載した「めりけんじゃっぷ商売往来」(以前は社会思想社の現代教養文庫で出ていました)。才気がほとばしるようなモダンにして気風のいい文章で、当時としては異彩を放つルポなのですが、何よりも驚かされるのはそのアメリカ観です。昭和2年という時代に20代の若者が書いたとは思えないほど、洞察に富んでいるのです。

 例えばこんな一節。
「あめりか人は外にも内にも無理解であるがゆえに、ああ傍若無人に幸福であることができるのだ。われわれ日本人の想像もできない幼稚な心境のなかで、われわれ日本人の想像もできない、豊富な物質生活を営んでいるのが今日の亜米利加である。だから亜米利加が、その生産のうえに科学を効用化して、個人の生活を、ものを考える暇のないほど便宜に装飾してやっているあいだは、市民はその報酬として無意識のうちに帝国主義的になっていき、両々相待って今後ますます無思想に、非芸術に肥えふとり、資本主義自然崩壊のごとき先哲の予言をして、当分予言の範囲内に閉じ籠らざるをえなからしめることであろう。考えること、疑うことをしない民族のばかばかしい力が亜米利加である」
 彼は、アメリカという国は「世界における図々しい道化役――成上り者の、お坊ちゃん」だから、「大嫌(でえきれ)えである」と書いていますが、そう書きながら、アメリカ社会の懐の深さに一目置き、必死で生きる「めりけんじゃっぷ」たちを愛情深く観察しています。単なる礼賛でも反発でもない、愛憎相半ばするいわく言い難い感情が底に流れているのです。そして、こんなふうにも書いています。
「亜米利加は一つの現象であると私は思う。その証拠には、今日私たちは銀座とGinza Folksとのあいだに、巴里とともに多分の亜米利加を見る」

 この文章が書かれてから、およそ80年。この間、日本はアメリカと戦い、敗戦、占領を経験してきたわけですが、谷譲次こと長谷川海太郎の指摘したことや愛憎相半ばする思いは、基本的にはほとんど変わっていないのではないでしょうか。
 好き嫌いはいろいろあるとしても、現代の日本が「アメリカ」の影響下にあるのは紛れもない事実です。映画、小説、音楽、野球、マクドナルド、ファミレス、スーパー、金融マーケット、政治文化、教育……。自分がこれまで享受してきた文化や、日常の暮らしを見渡してみると、「アメリカ」がいかに多いことか。
 まさしくアメリカは「一つの現象」であり、私たちは日本や世界の至るところに「多分の亜米利加を見る」のです。
 だからこそ、私たちは「アメリカ」を研究し、解読し、注視し続けなければならないと思います。近しいからといって訳知りになるのではなく、身近な存在だからこそ手を変え品を変え、あらゆる角度からアメリカには迫りつづけなければならない。私はそんなふうに思っています。
 新潮新書はまだまだ微力ではありますが、創刊時期に『アメリカの論理』(吉崎達彦著)、『アメリカ病』(矢部武著)という二冊を刊行し、この10月には『中傷と陰謀 アメリカ大統領選狂騒史』(有馬哲夫著)を出しました。いずれも独自の角度から書かれた優れたアメリカ論です。大統領選は終わりましたが、今後もアメリカをウオッチし続けなければならないことに変わりはありません。これからもアメリカに迫る論考を折に触れて出して行くつもりですので、既刊本ともどもご愛読のほどよろしくお願いいたします。

 では、今月刊のご案内を――。
 まずは『嫉妬の世界史』(山内昌之著)。著者の山内氏はイスラム研究や歴史学が専門ですが、歌舞伎や時代小説好きという粋人でもあります。今回はそのもう一つの顔を存分に発揮してもらい、「嫉妬」という観点から世界史を読み直してもらいました。古代ローマや漢の劉邦の時代から、ヒトラー、東条英機に至るまで、「嫉妬」が世界史をどう変えてきたか。新潮新書ならではの歴史読み物をとくとご堪能ください。
松下政経塾とは何か』(出井康博著)は、近年政界でのプレゼンスが高まる松下政経塾を検証したノンフィクションです。ここに集う「政治家志望」の若者たちは、果たしていかなる人々なのか。その群像を描きながら、政経塾の歴史と功罪を浮き彫りにします。
切手と戦争―もうひとつの昭和戦史―』(内藤陽介著)は、「切手」が時には銃器や爆弾よりも強い「武器」となってきた戦争の現実に光を当てます。プロパガンダ戦、情報戦という観点から、昭和の戦争を振り返った好著です。
由布院の小さな奇跡』(木谷文弘著)は、いまや全国のトップ・ブランド温泉地となった由布院誕生の秘密に迫ります。「由布院」というブランドが確立するまでの物語は、自治体や温泉が変わりゆく今、さまざまな示唆を与えてくれるはずです。

2004/11