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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

歴史を輪切りにしてみる

 世界史の年表というのは、眺めているだけで楽しいものです。特に「この時期、ほかの地域はどうだったんだろう」と横に見ていくと、意外な発見があって面白い。教科書的な「一国史」とは違った世界が浮かび上がってきて、イマジネーションが刺激されます。
 例えば今から1000年前、紀元1000年頃を見渡してみると――。

 日本は平安時代で、『源氏物語』や『枕草子』が書かれたのがこの頃。中国は五代十国を経て、北宋が再び中国を統一、羅針盤や火薬、木版印刷などの発明がなされた時代です。一方で西夏や契丹といった周辺の北方民族の力も強まっており、朝鮮半島にあった高麗もたびたび契丹の侵入を受けていました。
 西に目を転じれば、イスラム系国家の伸張めざましく、1038年にはセルジューク=トルコが建国。キリスト教世界は1054年、ローマ=カトリックとギリシャ正教会が完全分裂、西ヨーロッパでは世俗の王権とローマ教会の綱引きが続き、「カノッサの屈辱」なんて事件も起きます。第一回十字軍は1096年のことです。
 1000年前は明らかに東アジアの方が文化度は高いような気がします。日本でも中国でも独自の成熟した文化が花開いていましたが、ヨーロッパは中世王国が力比べに明け暮れて野蛮な感じです。イギリスなど、1016年には北欧系のデーン人クヌート王に征服され、1066年にはフランスのノルマンディー公(ウィリアム征服王)に征服されてしまうわけですから、なんだか地方領主が勢力争いをやっているようなものです。

 時代は下って、今度は西欧列強が世界中を植民地化していた19世紀後半、日本の幕末維新の前後はどうか。中国は清の時代ですが、アヘン戦争で負け、アロー戦争で負け、国内では太平天国の乱が起きて、列強に食い物にされている状態です。
 インドではムガール帝国がイギリスに滅ぼされ、オスマン=トルコとロシア帝国が戦ったクリミア戦争の勃発が1853年。ヨーロッパでは民族主義が吹き荒れ、オーストリアはハンガリーとの二重帝国に(1867年)、イタリアでは統一戦争が起こりイタリア王国が成立(1861年)。普仏戦争に勝ったプロイセンはドイツ帝国を作り(1871年)、負けたフランスは第二帝政から第三共和政に(1871年)。
 新興国アメリカでは南北戦争が勃発(1861年)。ユゴーが『レ・ミゼラブル』を書き(1862年)、トルストイが『戦争と平和』を書き(1869年)、マルクスが『資本論』を書いた(1871年)のもこの頃のことです。
 スエズ運河の開通が1869年。もしこれが十年早ければ、列強進出の足取りは激変したでしょうし、日本の幕末もどんな形になっていたか分かりません。

 いやいや、年表を眺めていると楽しくて、つい夢中になってしまいました。
 世の中にはこういう「輪切り遊び」を徹底する人もいるもので、「ある年」の世界を克明に書き綴った面白い本もいくつかあります。
 例えば昨年刊行された『1688年―バロックの世界史像―』(ジョン・ウィルズ著、別宮貞徳監訳、原書房)は、まさしく「1688年の世界」を描き出した傑作。日本は元禄元年だったこの年、世界で活躍していた人を挙げれば、ルイ14世、ピョートル大帝、康煕帝、アウラングゼーブ帝、ニュートン、ロック、ライプニッツ、そして綱吉の治世の日本には井原西鶴と松尾芭蕉……。この人たちが同時代人だというだけで意外な驚きがあります。ちょっと前には『西暦 535年の大噴火』(デイヴィッド・キーズ著、畔上司訳、文藝春秋刊)というユニークな本もありました。世界規模の「自然災害」が「535年の世界」をどう変えたかを推理したもので、世界史を見る上で全く違った補助線を提供してくれます。
 この種の試みはなぜか翻訳書が多く、日本人によるものはなかなか見当たらないのが残念。だからというわけではないのですが、今月の新潮新書では、創刊時に『アメリカの論理』で注目された吉崎達彦氏に、「歴史を輪切りにする」という試みにチャレンジしていただきました。

 タイトルはずばり、『1985年』。なんだかジョージ・オーウェルみたいなタイトルですが、そんなディストピアものではなく、知的に楽しめる内容です。
 1985年といえば、何といっても8月12日の日航機墜落を思い出される方が多いでしょうが、じつは世界的に見ても「大きな変化」があった年なのです。ソ連でゴルバチョフが共産党書記長となり、レーガン大統領との米ソ首脳会談が行われ、冷戦終結への第一歩が踏み出されました。アメリカの双子の赤字を解消するために、先進5カ国がドル安へと協調する「プラザ合意」が行われたのもこの年の9月22日。これが後の円高と、日本のバブルにつながったのはご存じのとおり。日本は中曽根政権の時代で、電電公社がNTTに、専売公社が日本たばこ産業に変わったのもこの年でした。
 そのほか国内を見ていけば、スーパーマリオでファミコン・ブーム、つくば博の開催、タケちゃんマン、金妻のブームと、いろいろな意味で「戦後史の転換点」だったのだと思えてきます。吉崎さんは、日本近代史の「40年周期説」に触れながら、「1946年~1985年は上り坂の40年であり、1985年は日本人が最後に“坂の上の雲”を仰ぎ見た年」と位置づけていますが、本書を読むと確かに納得がいきます。

 ちなみに私は1985年当時、大学4年生でした。友人達はみんな就職活動に励んでいるのに、自分は留年がほぼ決まりで、なんとも所在なく、先行きの見えない毎日でした。金はないのに暇だけはあって、連日マージャンばかりしていたような気がします。当然ながら、まさか冷戦が終わり、こんな世の中が来ようとは思いもしませんでした。
 そういえば、1985年は野球も盛り上がった年でした。阪神優勝、甲子園で桑田・清原が活躍、ドラフトの意外な結末……。今年もまた阪神が調子よく、この原稿を書いている横では、甲子園中継のテレビが、辻内・平田の二大怪物擁する大阪桐蔭の準決勝敗退を伝えています。これもまた、「後の大選手」たちのエピソードになるのでしょうか。
 20年前という時代、あの頃の自分に思いをはせながら、『1985年』を是非読んでみてください。

2005/08