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新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

見出しにならない話

 このところ「新潮新書1000万部到達」「『国家の品格』100万部突破」など、メモリアルな出来事が続いたこともあって、取材を受ける機会が増えています。近年は各社の新書からベストセラーが生まれていますから、新書全体の活況を報じる企画の一環としての取材も多くなりました。
 もともと創刊の頃から、「新潮新書の創刊をきっかけに、新書全体が活気付いて欲しい」と考えていましたので、こうした事態は願ったり叶ったりなのですが、たまに不思議な質問を受けて戸惑うこともあります。

 先日、某ラジオ番組で、生の電話インタビューに応じた時のこと。番組スタッフからは「新潮新書の快進撃について話を聞きたい」とのことでしたので、広く読まれている理由について自分なりに考えていたのですが、いざインタビューが始まってみると、いきなりパーソナリティから「なぜこんなに新書が売れるのでしょうか」という質問。ううむ、そんな業界全体の話は書店の方か評論家に聞いて欲しいと思いつつ、「新書はコンパクトで手に取りやすいですし、書店でも探しやすい。何より今、各社が面白い企画で競い合っていますから」とそれなりに答えたのですが、話がタイトルの付け方に及んだ時の質問にはちょっとびっくり。
 「『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』というタイトルも、編集部でお考えになったんでしょう?」
 あのー、それは光文社新書なんですけど……と喉まで出かかりましたが、ニッコリ笑って(ラジオだから関係ないか)、「他社のことはよくわかりませんが、たぶん著者と編集者でいろいろ考えたんじゃないでしょうか」と、これまた真面目に答えておきました。
 まあ、新書が売れているといったところで、しょせんは出版界という小さな業界内の話ですし、世間から見れば新潮新書も光文社新書も岩波新書も大差ないのでしょう(トヨタ車もホンダ車も日産車も、端から見れば大差ないわけですから)。
 でも次回こそは、光文社新書じゃなくて、新潮新書のことを聞いてくださいね。

 さて、このようなことがたまに起こるのも、編集部への取材依頼については基本的に何でも応じることを原則にしているからです。著者への取材依頼については著者の意向を最優先に対応しますが、編集部レベルで済む話であればなるべく迅速にご要望にお応えしようと思っています。われわれも週刊誌や月刊誌の取材で苦労してきましたし、他人様の話題でメシを食っている以上、自分たちが取材に応じるのは当然のことだと考えるからです。
 ですから、どんな質問にも可能なかぎりお答えするようにしているのですが、答えたくてもなかなか答えにくい質問というのもあります。その最たる例が、「なぜ売れたのだと思いますか」という質問です。特に『バカの壁』や『国家の品格』など、ミリオンを超える本となると、答えに窮してしまう。
 われわれは作り手の立場ですから、どういう狙いでこの本を企画したのかとか、出版までのプロセスで留意したこと、あるいは苦心した点などはいくらでも語ることができます。しかし、それがなぜ多くの人に読まれたのかということになると、著者の魅力や本の狙いが伝わったからとか、内容が面白かったからとしか言いようがありません。マーケットのことはマーケットに聞いてもらうしかないのです。
 もちろん、それでも自分なりの分析や見立ては、できるかぎりお話しています。例えば『国家の品格』であれば、「誰もがボンヤリ感じていたことを、藤原さんがはっきり指摘くださったから」「読者の溜飲が下がる、胸のすく思いがする内容だから」「藤原さんならではのユーモアあふれるタッチだから」「ライブドア問題など、現代を考えるヒントが随所にあるから」「タイトルにインパクトがあったから」など、いくつか理由らしきものは挙げられますから。でも、こうした考え得る要素のどれがどのくらい影響したのか、実際にはよくわからないというのが正直なところなのです。

 そんな具合ですので、取材する側が何がしかの「物語」を作ろうとしているケース、特に「タイトルがよかったから売れた」などという物語を作ろうとしている場合には、なかなかストレートにご期待に添うことができず、ちょっと気の毒になってきます。
 当たり前のことですが、同じ内容に違うタイトルを付けて比較することなどできませんし、「タイトルがよかったから売れた」のかどうかは検証のしようがない。タイトルがよかったから云々というのは、後講釈の野球解説のようなもので、あくまで結果論にすぎません。「タイトルがよかったから売れた」のではなくて、「売れたものは、タイトルもよかった」という程度の話なのです。
 だいたい、タイトルだけで本が売れるのであれば、誰もこんなに苦労はしません。これまでも「文句なしの内容」で「会心のタイトル」という本は何冊も出していますが、それが必ずしも何万、何十万のヒットになるとは限らない。もし「本はタイトルで売れる」などというのが本当なら、われわれは毎月ミリオンセラーを連発しているはずです。でも世の中はそんなに甘くありません。ベストセラーには法則も近道もありはしない。だからこそ常にチャンスはあるし、やりがいもあるということなのです。

 とまあ、本音を書いてしまえば、見出しにならないことおびただしい。本音ついでに、もっと身も蓋もないことを言ってしまえば、ある本が100万部200万部も売れてしまうというのは、実は「運」の要素がかなり大きいのです。
 今から思えば、『バカの壁』も『国家の品格』もこれ以上にない刊行のタイミングでした。『バカの壁』刊行の時期はイラク戦争のまっただ中で、「話せばわかるなんて大ウソ」を誰もが実感していた。『国家の品格』の場合は、刊行後に耐震偽装問題やライブドア事件などが起こり、「日本人の品格」や「アメリカ型市場主義」を考えるムードが広がった。ともに本のタイトルやコンセプトが独り歩きして社会現象のようになり、養老さんも藤原さんも「時の人」になってしまいました。
 そうした事態は、編集部も著者も意図した訳ではありません。もちろん、いい本なので読んで欲しいし、売れて欲しいとは思いますが、100万部200万部などというのは狙ってどうにかなるものではありません。その本の持つ運の力、そういう星の下に生まれた本だとしか言いようがないのです。
 ううむ、これじゃやっぱり見出しにはなりませんね。芸もオチもない話ですみません。

2006/03