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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

ある地方公務員の戦後史

 私事で恐縮ですが、先日、父が亡くなりました。このようなことを、メルマガという仕事上の場で書くのはいかがなものかと思いましたが、今はほかに書くべきことも思いつきません。父の死は、私にとっては「戦後」という時代の終わりでもあります。今回は、しばし個人的な昔語りにお付き合いください。むろん、そのようなことを書くのはけしからんとお思いの方は、どうぞ読み飛ばしていただければと思います。

 私の故郷は鹿児島県北部の山間部にある小さな町です。特別の産業はないし、地方都市のベッドタウンでもない。典型的な農村といっていいでしょう。私は大学進学で故郷を離れましたが、父は67年の生涯をずっとこの地で過ごしました。
 もともとは別の村にいた曾祖父が、日清戦争後に台湾で失敗し、遠戚を頼って移り住んだのが我が家の地縁の始まりです。曾祖父は小作農としてこの地に定着、私の祖父はその三男でしたから、これまた典型的な小作農でした。戦後の農地改革で6反の田圃を得て自作農になりますが、6反ではコメだけで生計を立てるほどではありません。祖父は現金収入を得るために、農協の俵担ぎや郵便配達夫などをコツコツやっていました。
 父はそんな家に、昭和14年に生まれました。小学校1年が終戦ですから、まさしく「戦後」第一世代。貧しくはあっても、中学・高校では野球に熱中するなど、上の世代に比べれば開放的な少年時代を送ったようです。学校の成績も悪くなかったことから、できれば大学へ進み、教師になりたいと思っていたそうです。
 しかし、当時のわが家にはそんな経済的余裕はありませんでした。父の同級生で大学に進学した人たちも、みな働きながら苦学しています。農村から大学に進むのは、まだまだたいへんな時代だったのです。しかも祖母が身体が弱く、父は一人っ子でしたから、両親を置いて町を出る訳にはいかなかった。当時は就職難でロクな仕事もなかったらしいのですが、とりあえず高校卒業後も地元に残り、1年後に町役場の職員募集で採用されます。以来、40年にわたって、役場勤めの傍ら田圃も作るという生活を続けてきました。

 父にとって役場職員という仕事は、単なる「安定した仕事」というだけではありませんでした。町を運営するスタッフとして、仕事にはいつも誇りと責任感を持っていましたし、地域社会のために役立つのも務めだと思っていました。若い衆の嫁探しや婿探し、親子喧嘩や離婚問題の仲裁……親類縁者や隣近所からいろんな相談がよく持ち込まれましたが、なんやかんやとお節介を焼いたり、面倒をみたりしていました。
 若い時は自治労の活動にも熱心で、自治労の支部作りに関わり、職員の待遇改善に奔走しました。別に左翼理論や労働運動を理解していたわけではありません。管理職になるまでは社会党支持で通し、管理職になったら自民党を応援する。当時から社会党と自民党はコインの裏表だと見ていましたし、組合運動をやるのも、要は周りに世話を焼くのと同じ感覚だったのです。
 勤め始めてから野球熱がますます昂じ、地域の草野球チームを作って、休日にはよく試合をやっていました。ポジションはサードで背番号は3。長嶋茂雄が好きで、実際、草野球としてはかなり上手い部類でした。
 農村には飲み屋などありませんから、職場の宴会でも野球の打ち上げでも、当然誰かの家で飲みます。我が家が宴会場の時は夜中まで、ほかの家で飲んでも最後はやっぱり誰かを連れてくる。陽気な酒でしたが、ともかく客が絶えないので、母はやりくりに苦労していました。
 それでいて、飲んだ翌朝でも、田圃の草取りや農薬撒きに出かけていく。朝飯前に農作業を済ませてから出勤するわけです。私が小学校の頃までは、牛も鶏も蚕もいましたし、お茶も自前で作っていました。まあ、「三ちゃん」が元気だったからできたことですが、当時は安月給でしたし、零細農家としては何でも自前でまかなうのが普通だったのです。
 役場の板張りの廊下と、キャッチボールの音と、組合の歌と、宴会のざわめきと、農薬の匂いと、脱穀機の音と、お茶の葉の濃い緑……。私が幼い頃、まだ30代だった頃の父の記憶は、それらが渾然一体と混じり合っています。まだ農村社会が残り、大量消費文化が入ってくる以前の、昭和40年代の風景です。

 定年直後に祖父母が相次いで逝き、しばらくして父は田圃をすべて人に貸しました。祖父母の死で、父にとっての一つの時代が終わったのだと思います。
 スポーツ好き、酒好きでしたが、根は私とは比べものにならないくらい生真面目な性分で、「人の陰口を言うな」「人のためになる仕事をせえ」というのが口癖でした。定年後も結局、町の教育委員を頼まれて、亡くなる間際まで卒業式や入学式に出席できないのを気にしていました。
 何の変哲もない、どこにでもありそうな人生かもしれません。しかし、日本の戦後は、このような無名の人々の、日々の営みによって築かれてきたのです。
 決して楽ではない家計の中から、よく東京の大学に行かせてくれたと思います。親孝行らしいことは何もしてやれませんでしたが、3月に見舞いに帰った時、「よか仕事をしたね」と言ってくれたことが、私にとってはせめてもの救いでした。

 今回はどうも感傷的な文章になってしまい、すみません。4月刊は創刊3周年ですので、本当は何か気の利いたことを書こうと思っていたのですが……。なにとぞ御容赦ください。

 それでは、力作揃いの4月新刊のご案内です。
★『本気で言いたいことがある』(さだまさし著)は、文章家としても知られるさだ氏による初の新書です。家族や教育の問題から、政治やメディアの問題まで、日本を愛すればこそ、あえて物申すエッセイ集。「身を惜しむな」という提言には深く共感しました。
★『ひらめき脳』(茂木健一郎著)は、最近各メディアで引っ張りだこの脳科学者が、「ひらめき」のメカニズムを解き明かします。実はど忘れを思い出すのと、ひらめきは同じ仕組みなのだそうです。自分もきっと捨てたもんじゃないと思えてくる、元気が出る1冊。
★『池波正太郎劇場』(重金敦之著)は、さまざまな「人物」から池波作品の魅力に迫ります。鬼平や秋山小兵衛といった作中人物から、人間・池波正太郎を取り巻く実在の人物まで。熱烈なファンにも初心者にも最適の、池波正太郎読本です。
★『日本共産党』(筆坂秀世著)は、かつて最高幹部の一人であった著者が、この組織の等身大の実像を明らかにします。意志決定の仕組み、宮本顕治引退の真相……。特に会議や地方組織の現実には驚かされます。元幹部にしか書けない必読の組織研究です。

2006/04