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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

ベクトルを合わせる

 2月に刊行した『キヤノンとカネボウ』(横田好太郎著)は、カネボウに23年、キヤノンに10年勤めた著者(現在もキヤノンに在職中)が、歴史も経営スタイルも全く違うこの両社を内側から描いた本です。世に比較文化研究の本は山ほどありますが、「フィールドワークを踏まえた比較企業文化研究」の本は、たぶんそう見当たらないでしょう。
 私も会社勤めの一人として興味深く読んだのですが、面白かったのはやはりキヤノンの社風です。役員は毎朝8時から「朝会」でフリートーク。銀座で接待なんていうのはほとんどなし。社員の飲み会も基本的に割りカン。そもそも会社帰りに一杯というのが珍しい……。なかでも印象的なのが、「ベクトルを合わせる」という言葉。キヤノンでは仕事を進める際、お互いの状況報告をしたり、方向性を確認することを、こう表現するのだそうです。さすが理系企業というべきか、うーん、かっこいい!
 かなり気に入ったので、編集部で流行らせようと何度か使ってみたのですが、残念ながら一向に流行る気配はありません。一度でいいから、会議の場で「この件はちゃんとベクトルを合わせて行こうよ」などと言ってみたいものです。

「ベクトルを合わせる」はともかくとして、ふと考えてみると数学用語はけっこう日常会話で使っています。
「足して二で割った意見だ」「それじゃ議論は平行線だよ」「その問題とこの問題は位相が違う」「それとこれは必ずしも比例しない」「それは必要条件であって、充分条件じゃないよ」「これは複雑な連立方程式だね」「なかなか解がみつからない」「それは帰納法で考えよう」「今の議論をベン図にしてみると」……。ベクトルにしても、「それはベクトルの向きが違う」という言い方はしますね。
 私は個人的には、「補助線」という言葉が好きです。図形の問題を解く時の補助線。ずーっと考えても解らなかったのに、一つの補助線を引くことで、あっさり解けてしまう。そういう経験が中学高校の時に誰でもあるはずです。補助線が見つかった時の、あの視界が開けるような感覚! 今も仕事をしている時、心の中でよく「補助線が見つからないなあ」と嘆いています。今日もさっきまでタイトルでさんざん悩んで、「ああ、補助線が欲しい!」とウンウン唸っておりました。

 数学用語が比喩として使いやすいのは、学校教育を通じて共通言語になっているからです。逆に言えば、比喩になるのは、社会に浸透している証拠、文化として成熟している証、ということでしょう。
 それは野球とサッカーを比べて見ればわかります。「この企画はホームランだ」「ちょっと暴投気味だな」「これはポテンヒット狙いで」「そんな変化球じゃなくて、ここは直球勝負で行こう」「彼はうちの四番バッターです」「打って走って守れる男」「あいつは三振かホームランばっかり」……等々、野球用語は日常会話でポンポン飛び出します。
 しかし、サッカー用語となると、比喩で使えそうなのはオフサイドとかファールくらい。「これはニアじゃなくてファーで」とか、「あいつは球出しが上手いからトップ下を任せよう」「彼はうちの部のボランチだ」なんて言われても、何が何だかさっぱりわかりません。いくらサッカー人口が増えたといっても、やはりまだ共通言語になるほどには浸透し切れていない、エッセンスを言語化できていないのだと思います。
 もちろん、これから先はわかりません。あまり想像したくないですが、「これは4-4-2の感じで」「ちょっとサイドを変えて議論しようよ」「よっしゃ、マイボ」なんて、職場の日常会話で使われる日が来るかもしれませんよ。なにしろ、フリーズ、リセット、OS、バグ、CC……20年前には考えられなかったようなパソコン用語が、今では日常会話で違和感なく使われているわけですから。

 さて、おかげさまで新潮新書はこの2月で累計1000万部に到達しました。これだけたくさんの方々に読んでいただけるとは、本当に光栄に思います。本が比喩として使われることはないでしょうが、これからも頑張って、せめて「謎かけ」に使われるくらいには浸透したいものです。

「ベルリン観光とかけて、新潮新書ととく」
「その心は?」
「壁が有名だが、ほかにも見所がいっぱい」

 ――それでは、今月刊のご案内です。
★『ルート66をゆく―アメリカの「保守」を訪ねて―』(松尾理也著)は、いわば「街道をゆく アメリカ・ハートランド編」。シカゴからロサンゼルスをつなぐ「ルート66」に沿って取材しながら、アメリカの保守とは何かを考えます。例えば公立学校に対する考え方一つとっても、日本の保守とはまったく違う。驚きと発見に満ちたルポです。
★『ラジオ記者、走る』(清水克彦著)は、文化放送プロデューサーによる、体験的ラジオ論。同じ放送とは言ってもテレビとラジオは大違い。永田町の大事な政局取材から地震、天災、芸能まで、ラジオ記者は孤軍奮闘。でも知恵と工夫でこんなに面白い作り方ができる。意外に知られていないラジオの舞台裏を明かします。
★『不老不死のサイエンス』(三井洋司著)は、そもそも老化はなぜ起こるのかといった素朴な疑問から、アンチ・エイジング技術の最先端までを分かりやすく解説します。アポトーシスなど生命と進化の根源に思いをめぐらしながら、ES細胞研究が今なぜ加熱するかという身近な問題もわかる、まことにお得な一冊です。
★『大阪弁「ほんまもん」講座』(札埜和男著)は、巷にあふれる間違った「大阪弁イメージ」を覆す画期的な本。「もうかりまっか」なんて誰も言いません。「がめつい」というのは造語だし、「こてこて」の大阪は本来、薄味文化。著者の軽妙な筆に導かれて、実は大阪弁が上品で豊かな言葉であることが分かります。
大阪人以外にもお勧めです。

2006/03