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新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「新潮新書」創刊号の密かな愉しみ

 この2月、週刊新潮が創刊50周年を迎えました。それを記念して、特別編集の別冊や書籍も刊行されています(詳しくはこちらの特設ページで)。もちろん新潮新書の2月新刊『昭和の墓碑銘』(週刊新潮編)も、この「50周年企画」の一つ。1974年(昭和49年)に始まり、今も続いている人気連載コラム「墓碑銘」から、昭和のうちに亡くなった54名分を厳選。評伝集としてだけでなく、あの時代のクロニクルとしても読むことができるように編集してあります。ぜひご一読のほどを。

 ところで、この「50周年企画」の数々、いずれも読み応えがあるのですが、新書編集者としては『創刊号完全復刻版』に面白い発見がありました。創刊号「タウン」欄の本のコーナーを見ると、「“新書”のたのしみ」と題して、いきなり新書が6冊紹介されていたのです。タイトルをちょっと並べてみましょう。
 ○『金銭』(望月衛著) 光文社 カッパ・ブックス 130
 ○『紡績』(横井雄一著) 岩波新書 100円
 ○『裁判今昔ものがたり』(関根小郷、新村義広編) 河出新書 100円
 ○『猫の裁判』(内田亨著) 講談社 ミリオン・ブックス 120円
 ○『あまから随筆』(谷崎潤一郎他著) 河出新書 120円
 ○『銀心中』(田宮虎彦著) 新潮社 小説文庫 130円

 週刊新潮が創刊されたのは1956年(昭和31年)。当時の出版界は1954年の『女性に関する十二章』(伊藤整著、中央公論社)に始まる50年代新書ブームの真っ直中でした。新しい週刊誌の創刊号で新書をクローズアップせざるを得なかったところにも、当時のブームの熱をうかがい知ることができます。
 6冊とも今では古書店でしか入手できないものばかりで、シリーズそのものがなくなってしまったものもあります。たとえば「河出新書」は河出書房から1948年に創刊されていた新書シリーズ。私の手元にある同新書の奥付広告によれば、整理番号1は『恋愛について』(古谷綱武編)、以下初期のラインアップには『若き日の思索』(串田孫一編)、『人生と思想』(清水幾太郎著)、『若き日のために』(武者小路実篤著)、『青春と革命』(野間宏編)などのタイトルが並んでおり、青年層を意識して編集されていたようです。河出新書からは小説作品も出ていて、背表紙に「教養」「文芸」と区別されていました。
 「ミリオン・ブックス」は講談社から1955年に創刊されていますが、なにしろ週刊新潮が取り上げた『猫の裁判』の謳い文句が「動物随筆」(!)。ほかの書目を見ても『晶子曼陀羅』(佐藤春夫著)、『悪の愉しさ』(石川達三著)、『小説家の休暇』(三島由紀夫著)といった文学者の小説・評論から、『秩父困民党』(西野辰吉著)、『異常社会』(村田宏雄著)、『ある党員の告白』(窪田精著)などの社会評論、告白手記まで何でもあり。これが1964年(昭和39年)創刊の現代新書では明確な教養路線に変わるわけですから、あるいはこの変貌こそが「昭和30年代」という時代を映し出しているのかもしれません。

 さて、もう一つ、これも今ではなくなってしまったのが、新潮社の「小説文庫」です。「文庫」という名前が付いていますが、これも歴とした新書判でした。
 前回のこの欄でも触れたように、新潮社は1950年代に「一時間文庫」(1953年~56年)というシリーズで新書分野に挑んでいます。河盛好蔵『新潮社七十年』によれば、「(出版界の全集合戦が飽和状態に達したので)新潮社は矛先を転じて、次第に機運の熟しつつあった新書合戦に乗り込んでいった」とあります。版型は新書サイズより少し大きめで、正確には全集と新書の間くらいの位置づけだったようです。『革命か反抗か』(カミュ・サルトル論争)、『性の世界』(ヘンリー・ミラー著)、『私は流行をつくる』(クリスチァン・ディオール著)、『世界と西欧』(アーノルド・J・トインビー著)、『中国の知慧』(吉川幸次郎著)、『明日への歴史』(林健太郎著)など、錚々たるタイトルが続きました。
 一時間文庫はカバーはなく、表紙は全て同じデザイン。格調高い教養新書という趣がありました。しかしおそらく、その路線は当時の新書ブームの中では浮いていたのでしょう。定着しきれないまま、3年間66冊を出したところで刊行が打ち切られています。
 その一時間文庫よりも、より積極的に新書ブームを意識して企画されたのが、1955年創刊の「小説文庫」でした。第一弾は『霧の中の少女』(石坂洋次郎著)と『目白三平ものがたり』(中村武志著)。ちなみにこの年、小説文庫から刊行された五味康祐の『秘剣』『柳生連也齋』が、「剣豪小説ブーム」を巻き起こします。週刊新潮の創刊号から五味の『柳生武芸帳』が連載された背景には、こうした小説文庫による地ならしがあったのです。
 小説文庫はカバー付きで、一冊一冊デザインが違いました。これが50年代新書ブームの標準的な意匠だったようです。しかし小説文庫も結局、3年間37冊でその使命を終えることになります。

 その後、新潮社では1961年(昭和36年)から1965年(昭和40年)にかけて、「ポケット・ライブラリ」という新書シリーズを刊行します。小説、ノンフィクション読物、手記など、何でもありのコンセプトで、『歪んだ複写』(松本清張著)などのヒット作も出しましたが、これもまた4年間68冊で幕を閉じます。
 この間、1962年には戦後2度目の新書ブームがピークを迎えます。各社が軒並み参入した中で、教養路線への特化という独自のカラーを打ち出した中公新書(62年創刊)と講談社現代新書が生き残りました。この第2次ブームのことは、いずれまた書く機会もあると思いますが、新潮社の試みについて言えば、「一時間文庫」は早すぎた、そして「ポケット・ライブラリ」は遅すぎた、ということではないかと個人的には思っています。
 出版史に関する本を読んでいると、先輩たちの苦闘の跡がしのばれます。どの時代に生きる編集者も、それぞれの時代を見据えて、必死に格闘するしかありません。
 そういえば、創刊号の面白さに味をしめて週刊新潮のバックナンバーをめくっていたら、創刊10号目の「タウン」欄に、「世界一になった日本の出版」という記事がありました。要は前年の出版点数が2万1653点に達し、イギリスを追い越して世界一になったという内容なのですが、この書き方が週刊新潮らしい。
  「全世界に公表して世界記録を認めてもらいたいところだが、この驚異的記録樹立の理由が、例の“新書判ばやり”のおかげで、チャチな新書がハンランしたためだということは伏せておきたい」
 チャチな新書を作らないよう、がんばります。

2006/02