新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

不見識な中年

 年末年始の休み明けというのは会社に出てくるのが億劫なものですが、今年の仕事始めは、会社に向かう足取りがことのほか重たいものがありました。休み中に持ち帰った仕事が終わっていないとか、年明け早々に難題が持ち上がりそうだとか、そんなまっとうな理由からではありません。実に情けない話ですが、仕事納めの日の「自らの姿」を知るのが怖かったのです……。

 わが編集部では、毎年12月28日の仕事納めの日には、午後2時を過ぎると社内の挨拶回りを済ませ、編集部で酒盛りをする、というのが恒例になっています。その日は社内のあちこちで同様の酒盛りが行われていますから、そちらにも顔を出したりしながら、日頃お世話になっている他部署の人たちとも杯を交わします。
「あっという間の1年だったなあ」「今年もなんとか終わったなあ」と、しみじみ感慨にふけりながら、お互い慰労し合う。いつもは仕事をしている場所で酒を飲むというのもなかなか楽しいものですし、独特の解放感があります。まさに本当の「忘年会」という感じで、私はこの雰囲気がけっこう好きです。
 そんなわけで、例年つい飲み過ぎてしまうのですが、この年末はちょっと酷かった。翌日、思い出そうとしても何時間分かの記憶がすっぽり抜けているのです。どうやって帰ったのかも憶えていません。恐る恐る何人かに電話してみると、「ええっ、憶えてないんですか?」「凄かったですよ」「みんなに聞いてみてください」。
 休み中は忘れていましたが、仕事始めが近づくにつれ、気が気ではありません。このまま休みが終わらなきゃいいのになあ……などと、学校に行きたくない子供のような気持ちで、新しい年を迎えたのでありました。

 仕事始めの日に判明した「あの日の私」については、とてもここに書く勇気はありません。幸いにして反社会的行為は行なっていないようですが(たぶん)、どうやら完全に酔いつぶれてしまっていたことだけは確かなようです。
 基本的にアルコールには強い方だと思いますし、酒癖もそう悪くはない(はず)。でも、何年かに一回くらいの割合で、とんでもなく飲み過ぎて羽目を外してしまうことがあります。だいたいいつも、「気心の知れたメンバーでの楽しい宴会」→「楽しいからつい調子に乗って飲み過ぎて自滅」というパターンです。翌日、七転八倒しながら後悔し、大いに反省するのですが、結果的に学習効果はあまり上がってないということでしょう。
 思えば学生時代からこのパターンを繰り返しており、人間としてまったく進歩がないと言うほかありません。人の子の親になり、社会でもそれなりに揉まれ、毎年少しずつはマシな人間になっているのではないかと期待していましたが、残念ながらあまり変わってないようです。

不動心』(松井秀喜著)、『人生の鍛錬―小林秀雄の言葉―』(新潮社編)、『人間を磨く』(桶谷秀昭著)、そして『大人の見識』(阿川弘之著)――。いずれも、生き方や人の在り方について、考える手がかりを与えてくれる素晴らしい本です。昨年1年間だけで、そんな本を4冊も世に送り出しておきながら、お前自身はどうなのかと問われれば、まことにお恥ずかしいかぎり。それぞれ深く頷きながら、かみしめるように読んだはずなのに、実際どれほど身にしみているかは自信がありません。
 それはなにも自分がいま関わっている本に限りません。これまで小説も含め、かなりの本を読んで来たはずですが、それによってどれほどの「教養」が身についたか、はなはだ怪しいものがあります。読んでも読んでも教養はなかなか身につかないし、まっとうな人間への道のりは遠い。
 そんな自らの「教養のなさ」を自覚していますから、個人的には「教養新書」という言い方があまり好きではありません。自分たちの取り組むジャンルを語る時も、私はなるべく「新書」という言葉を使うようにしています。まあそれは余談ですが、一方で教養がないからこそ、「本物の教養」への憧れも強いのです。

 おかげさまで『大人の見識』の評判がよく、仕事始めの日に、新たに5万部の増刷(累計25万部)が決まりました。
 私はと言えば、相変わらず酒の飲み方も学生時代とたいして変わらない半人前。40代半ばになっても、とても「大人」とは呼べない、不見識な中年ですが、今年もまた、少しでも世のお役に立てるような、何よりも自分自身を磨いてくれるような本を、送り出すお手伝いができればと思っています。
 本年も新潮新書をよろしくお願いいたします。

2008/01