新潮新書
餅は餅屋
年末年始になると、いろんな雑誌で読書特集が組まれます。こちらも取材を受けることが多いのですが、先日はある男性誌から、ちょっと意外な電話がかかってきました。
「ビジネス書の特集を組むので、各新書編集部の一押しをお聞きしています。新潮新書で近々お勧めのビジネス書は何でしょうか」
電話をかけてきた編集者にとっては、「新書」は「ビジネス書」の一種という認識なのです。これには正直、驚きました。確かに、新書には経済モノのジャンルもありますし、ビジネスマンの読者が多いのも事実。しかし新書はあくまで、雑多な好奇心や読書欲を満たす「一般教養書」として読まれているのだと思っていました。仕事に直結する「ビジネス書」として見られているというのは、ちょっとした発見でした。
そういえば編集部に送られてくる原稿にも、ビジネス関連のものがけっこう多いような気がします。念のためにお断りしておくと、私どもの編集部では、原則として「持ち込み原稿」はお受けしておりません。どこの社も同じだと思いますが、少ない人数で作っていますので、原稿をいきなり送って来られても、とても対応しきれないというのが現状です。それでも中には熱心に売り込んで来られるケースがあって、それが特にビジネス関連のテーマが多いという印象なのです。
そういう場合、「新潮社のような文芸出版社には不得意な分野ですから」とお断りしています。実際これは正直なところで、どの出版社にも固有のブランドイメージがあり、どうしても得意不得意があります。新潮社は長年、文芸(及びその延長上にある雑誌ジャーナリズム)を中心にやってきていますから、その周辺の分野は得意なのですが、社会科学や経済書、ビジネス書を出す場合は、一工夫も二工夫も必要になってきます。もちろん新潮新書も、新潮社の刊行物ですから、そのイメージから離れることはできません。それが強みとなる場合もあるし、逆に弱点になる場合もあるということです。
一方で、ご存じのようにビジネス関連に圧倒的な強さを発揮する社もあります。日本経済新聞社、東洋経済新報社、ダイヤモンド社……いちいち挙げるまでもないでしょう。経済、ビジネス分野でのブランド力、信頼感は、他の追随を許さないものがあります。
やはり、餅は餅屋、ということなのです。
人気ブログとして話題になり、この秋に単行本化された『今日の早川さん』(早川書房)という面白い作品があります。5人の本好きの女の子たちの日常を描いたエッセイマンガなのですが、それぞれにマニアックな読書傾向を持つ彼女たちの名前がおかしい。SF好きの「早川量子」さん、ホラーマニアの「帆掛舟」さん、純文学読みの「岩波文子」さん、ライトノベルファンの「富士見延流」さん、レア本好きの「国生寛子」さん(無粋ながら念のため注釈を入れれば、早川、岩波、富士見は文庫の名前、「帆掛舟」は創元推理文庫の帆船マーク、「国生寛子」は国書刊行会のもじり)。こうした遊びが成り立つのも、それぞれの版元に強烈なブランドイメージがあるからです。
作者のCOCOさんには、今度はぜひ新書をネタに男の子版を描いて欲しいものです。岩波文子さんの弟で学問一筋の真面目学生「岩波新太郎」君とか、歴史好きで頼りになる渋い青年「中公男(なか・きみお)」君とか、いろんなキャラが作れるのではないでしょうか。
でも、新潮新書はと考えると意外に難しい。それだけまだ明確なブランドイメージが作れていないということでしょう。個人的には、岩波君が眉をひそめそうな本ばかり読んでいる、ちょっとやんちゃで落語好きな「新潮志ん生」君、なんていうのが嬉しいのですが。
新潮新書もまもなく創刊から丸5年を迎えます。この間、新潮社の持ち味である「文芸」「雑誌ジャーナリズム」は常に意識してきました。でも、それはあくまでスピリッツの部分であって、ジャンルとしてはあらゆるものにチャレンジしてきたつもりですし、これからも挑んで行きたいと思っています。
もちろん、ビジネス分野もその一つです。要はその際に、自分たちの弱点を克服するための工夫をどれだけこらすか、ということが肝要なのだと思います。『時価会計不況』や『40歳からの仕事術』、あるいは『御社の営業がダメな理由』など、これまで経済やビジネス分野で読者を獲得することができた書目は、いずれも「普通のビジネス書」とは一味違う、なにがしかのエッジがあるはずです。こうしたケースを積み重ねながら、いずれは「ビジネスものにも強い」と言われるようになりたいと願っています。
ちなみに、冒頭の取材に答えて「新潮新書一押しの近刊ビジネス書」として挙げたのは、12月刊の『江戸奉公人の心得帖―呉服商白木屋の日常―』(油井宏子著)です。時代小説ブームではありますが、江戸のサラリーマンというべき奉公人たちの本当の日常は、意外に知られていません。後に百貨店に発展する白木屋の古文書を読み解きながら、彼らの姿を活き活きと再現します。「お使いの途中で寄り道するな」とか「仕事中に浄瑠璃の練習をするな」といった「心得」に、いつの時代も同じだなあと、思わず苦笑させられること請け合いです。
ほかにも今月刊は、世界史をたどりながら教育の本質をとらえた『文明としての教育』(山崎正和著)、温泉と文学を結びつけた異色論考『温泉文学論』(川村湊著)、五十音といろは歌誕生に始まる日本語の独自の発展をたどった『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』(山口謠司著)など、新潮新書という「餅屋」ならではの美味しい餅が並びます。年末年始にきっとお楽しみいただけることと思います。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。