新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

検閲の話

 JR東京駅丸の内南口を出て左側に見えるのが「KITTE」という商業施設ビルです。かつては東京中央郵便局として知られ、建て直した今も1階には同名の郵便局があります。ここにある「JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク」という博物館は、とにかく展示がカッコよくて面白いので、時間つぶしや東京観光、デート等々にお勧めの場所です(今はなかなかそうもいかないと思いますが)。簡単に言えば映画の「ナイトミュージアム」みたいな雰囲気が味わえます。特に素晴らしいのは無料という点です。

 昭和初期に建てられたという旧・東京中央郵便局が、戦後の一時期、まったく別の任務を負わされていたことを2月刊『検閲官―発見されたGHQ名簿―』(山本武利・著)で知りました。日本における検閲の基地としてGHQが使っていたというのです。
 著者は発掘した日本人検閲官の名簿や彼らの肉声をもとに、検閲官たちの仕事ぶりや日常を浮かび上がらせていきます。英語の能力が求められるため、それなりのエリート層が多く働いていたようです。待遇が良かったこともあり、青春の一コマのように振り返っている人もいます。
 一方で同胞の秘密を暴く仕事に良心の呵責を覚えた人も少なくありませんでした。本の中では、死ぬまでその経歴を隠した有名作家の存在も明らかにしています。

 他の新刊3点をご紹介します。

認知症の新しい常識』(緑慎也・著)は、多くの人が切実に感じている問題の基礎から最新研究事情までを網羅した1冊です。いまだ根治につながる薬は登場していませんが、希望を持てる研究も進んでいるようです。また、予防のために何をすべきかはかなりわかってきています。自身や周囲の方がそうなった、なりそうという方には強くお勧めします。

ロシアを決して信じるな』(中村逸郎・著)は、ロシア研究の第一人者による「新しいロシア論」。どこに「新しさ」があるのかというと、著者自身がロシアで体験したことと、ロシア人論、ロシア論が絶妙に絡み合っていて、どこか海外の小説のようなテイストも漂っている点かな、と思いました。
 不条理の国をさまよい、不可思議な人たちと接しながら、その理由、国民性を著者は深く考えていきます。印象的だったのは、ビルのエレベーターの階数ボタンがランダムに並んでいる、という場面でした。普通は1、2、3と下から上に並んでいますが(というかそれ以外の正解が無いと思います)、なぜかその数字が不規則に並んでいる。筆者はそこに「ロシアらしさ」を見出します。

だからヤクザを辞められない―裏社会メルトダウン―』(廣末登・著)は、「暴力団博士」の異名を持つ著者による、裏社会の男たちの苦境の生々しい報告。「暴力団なんて辞めろ」というのは簡単ですが、辞めたあとの生活について、当然他人は責任を持ちません。「多少の苦労は覚悟しろ」という意見もあることでしょう。しかし、本書によれば辞めたあとの就職率が3%程。これは覚悟とか努力の問題ではなくて、そもそも「辞めたあと」についてのデザインが存在しないからでしょう。もちろん「そんな奴が困っても知ったことか」という意見もあるのでしょうが、そうすると「そんな奴」はまた悪事に手を染めるので、結果として社会全体にとってもマイナスになります。著者は数多くのヤクザ、元ヤクザ、半グレの肉声を交えながら、この複雑な問題を論じています。

 4冊を出すにあたって、厳しい校閲の目は通しましたが、検閲はありません。その点は良い時代に生まれたと感じます。

 今月も新潮新書をよろしくお願いします。
2021/02