決定版 三島由紀夫全集 第28巻
6,380円(税込)
発売日:2003/03/10
- 書籍
新発見、未発表作品を完全収録する決定版全集!
芸術および芸術家にかかわる広汎な問題を縦横に論考し、警抜なパラドックスと示唆に満ちた「小説家の休暇」から、女性観をフランクに開陳した「好きな女性」等の軽妙なエッセイまで、185編を収録。
目次
卒塔婆小町演出覚え書
舟橋聖一の「木石・鵞毛」について
死せる若き天才ラディゲの文学と映画「肉体の悪魔」に対する私の観察
私の理想の女性――贅沢品として
ノラ・ケイの公演をみて
ロミオとジュリエット
無題 (「壇浦兜軍記阿古屋琴責の段」について)
蛸―猿―人間
現代にスネる――「肉体の冠」を見て
芸術ばやり――風俗時評
思ひ出の歌
福田恆存――今日の人
歌右衛門丈へ
洋服オンチ
経と緯
愉しき御航海を――皇太子殿下へ
日本の株価――通じる日本語
心ゆする思ひ出――「銀座復興」とメドラノ曲馬
あとがき (「夜の向日葵」)
南の果ての都へ
奇抜な結論――モーリス・テスカ作関義訳「女性に関する十五章」
蔵相就任の想ひ出――ボクは大蔵大臣
福田恆存
レイモン・ラディゲ
ジャン・コクトオと映画
無題 (ジャン・ジュネ著朝吹三吉訳「泥棒日記」推薦文)
海風の吹きめぐる劇場
あとがき (「三島由紀夫作品集」1~6)
伊東静雄
蝋燭の灯――今月の表紙に因んで
映画「双頭の鷲」について
作者の言葉 (「恋の都」)
伊東静雄氏を悼む
伊東静雄のこと
芝居の恐怖――文学座公演「夜の向日葵」を見て
「泥棒日記」――ジュネ作
日本人の乞食根性――文士の洋行是非
現代青年の矛盾を反映――保安大学
ジャン・ジュネ
女優
男は恋愛だけに熱中できるか?
溌剌とした生の呼吸を (森岡貞香歌集「白蛾」推薦文)
堂々めぐりの放浪
宮崎清隆「憲兵」「続憲兵」
私の洋画経歴
死の分量
無題 (「秘楽禁色第二部」)
道徳と孤独
「ラディゲ全集」について
「恥」
フロイト「芸術論」
疾走するイメーヂ――世界一アイスショウに寄せて
「室町反魂香」について
清新な戯曲を網羅――推薦のことば
折口信夫
私のペンネーム
「地上より永遠に」評
会見をへて (アンドレ・カイヤットとの対談「映画と文学のあひだ」)
無題 (武田泰淳著「天と地の結婚」推薦文)
渋谷――暮の東京
竹本劇「地獄変」
卑俗な文体について
芝居と私
好きな芝居、好きな役者――歌舞伎と私
フランス病第三期
作品を忘れないで……人生の教師ではない私――読者へのてがみ
男といふものは
美しいと思ふ七人の人
リルケと私
退屈な新年――新春雑記
無題 (映画「アンリエットの巴里祭」広告文)
岸田国士先生
アンリエットの巴里祭
ギリシア古劇の風味――俳優座「女の平和」評
馬――わが動物記
戸板康二著「歌舞伎ダイジェスト」
モラルの感覚
武田泰淳氏の文学
外遊精算書
お洒落は面倒くさいが――私のおしやれ談義
真面目くさつた祝辞
「志賀直哉論」――中村光夫著
あとがき (「潮騒」用)
ワットオの《シテエルへの船出》
「夜半楽」中村真一郎著
「草の花」――福永武彦著
荒唐無稽
「女神」――次号からの連載小説
女ぎらひの弁
好きな女性
「浮気は巴里で」
私の好きな……――芝居
ノラ・ケイ礼讃
鳥に託した女性の哀歓――ノラ・ケイの「白鳥の湖」
私の小説の方法
芸術時評
僕の「地獄変」
映画の中の思春期
私の顔――適当な長さ
大谷崎
まへがき (「創作代表選集14」)
新ファッシズム論
私の顔
近況報告
毒々しいカバーで――私の処女出版
解 説 (川端康成著「舞姫」)
学生の分際で小説を書いたの記
「潮騒」ロケ随行記
「鰯売恋曳網」について (「昨年、……」)
あとがき (「若人よ蘇れ」)
本書について (「若人よ蘇れ」)
「若人よ蘇れ」について
「ボクシング」について
「沈める滝」について
アメリカ映画ノオト
芥川龍之介について
真の花
受賞について (新潮社文学賞「潮騒」)
「異境」を推す (第一回「新潮」同人雑誌賞選後評)
田中千禾夫氏の二つの一幕物
「鰯売恋曳網」について (「この芝居は、……」)
私の十代
横光利一と川端康成
匿名批評是非
「熊野」について (「歌右衛門丈から……」)
欲望の充足について――幸福の心理学
解説 (福田恆存著「竜を撫でた男」)
あとがき (「青春をどう生きるか」)
無題 (望月衛著「欲望」広告文)
無題 (「伊藤整全集」推薦文)
フェティシズム――作者の言葉
危険な関係
わが衣食住
神島の思ひ出
川端康成ベスト・スリー――「山の音」「反橋連作」「禽獣」
無題 (川端康成著「みづうみ」広告文)
田中千禾夫氏の戯曲「教育・笛」
長島さんのこと――あるひは現代アマゾン頌
花鳥とは何ぞ
アメリカ的デカダンス――カポーテ著河野一郎訳「遠い声遠い部屋」
文明的錯雑そのもの――ヘンリ・ミラア作小西茂也訳「ランボオ論」
明治の逍遥・昭和の恆存 (福田恆存全訳「シェイクスピア全集」推薦文)
空白の役割
芸術にエロスは必要か
現代の名文――大岡昇平氏「歩哨の眼について」
映画「情事の終り」
上演される私の作品――「葵上」と「只ほど高いものはない」
「葵上」と「只ほど高いものはない」
黛氏のこと
あとがき (「ラディゲの死」)
「盗賊」ノオトについて
作家の日記
福田恆存氏の顔
「情事の終り」10の指摘
はしがき (「十代作家作品集」)
終末感からの出発――昭和二十年の自画〓
結婚概念の打破
演出覚書 (「三原色」)
八月十五日前後
ドラマに於ける未来
パリの体臭 (石井好子著「女ひとりの巴里ぐらし」推薦文)
「青春監獄」の序
加藤道夫氏のこと
戯曲の誘惑
巨いなる友――中村光夫氏
誨楽の書――吉田健一氏「酒に呑まれた頭」
見物客に重宝ですネ (「旅行の手帖」推薦文)
閑雅な「女の学校」 (「現代女性講座」推薦文)
ありのままの報道を――私の新聞評
「白蟻の巣」について
青年座の人々――明日のホープ
小説家の休暇
みづみづしい生命力――映画「暴力教室」評
「芙蓉露大内実記」について
頑張つて下さい、延二郎君
旧日本と新日本を結ぶもの
無題 (「山の上ホテル」広告文)
現代の教会 (「新心理学講座」推薦文)
信仰に似た運動――告知板
ゴジラの卵――余技・余暇
川端康成――百人百説
嶋中鵬二氏――現代の出版人
俳優のオリジナリティ――作者の言葉
武智版「綾の鼓」について
忘年記
舟橋聖一の「木石・鵞毛」について
死せる若き天才ラディゲの文学と映画「肉体の悪魔」に対する私の観察
私の理想の女性――贅沢品として
ノラ・ケイの公演をみて
ロミオとジュリエット
無題 (「壇浦兜軍記阿古屋琴責の段」について)
蛸―猿―人間
現代にスネる――「肉体の冠」を見て
芸術ばやり――風俗時評
思ひ出の歌
福田恆存――今日の人
歌右衛門丈へ
洋服オンチ
経と緯
愉しき御航海を――皇太子殿下へ
日本の株価――通じる日本語
心ゆする思ひ出――「銀座復興」とメドラノ曲馬
あとがき (「夜の向日葵」)
南の果ての都へ
奇抜な結論――モーリス・テスカ作関義訳「女性に関する十五章」
蔵相就任の想ひ出――ボクは大蔵大臣
福田恆存
レイモン・ラディゲ
ジャン・コクトオと映画
無題 (ジャン・ジュネ著朝吹三吉訳「泥棒日記」推薦文)
海風の吹きめぐる劇場
あとがき (「三島由紀夫作品集」1~6)
伊東静雄
蝋燭の灯――今月の表紙に因んで
映画「双頭の鷲」について
作者の言葉 (「恋の都」)
伊東静雄氏を悼む
伊東静雄のこと
芝居の恐怖――文学座公演「夜の向日葵」を見て
「泥棒日記」――ジュネ作
日本人の乞食根性――文士の洋行是非
現代青年の矛盾を反映――保安大学
ジャン・ジュネ
女優
男は恋愛だけに熱中できるか?
溌剌とした生の呼吸を (森岡貞香歌集「白蛾」推薦文)
堂々めぐりの放浪
宮崎清隆「憲兵」「続憲兵」
私の洋画経歴
死の分量
無題 (「秘楽禁色第二部」)
道徳と孤独
「ラディゲ全集」について
「恥」
フロイト「芸術論」
疾走するイメーヂ――世界一アイスショウに寄せて
「室町反魂香」について
清新な戯曲を網羅――推薦のことば
折口信夫
私のペンネーム
「地上より永遠に」評
会見をへて (アンドレ・カイヤットとの対談「映画と文学のあひだ」)
無題 (武田泰淳著「天と地の結婚」推薦文)
渋谷――暮の東京
竹本劇「地獄変」
卑俗な文体について
芝居と私
好きな芝居、好きな役者――歌舞伎と私
フランス病第三期
作品を忘れないで……人生の教師ではない私――読者へのてがみ
男といふものは
美しいと思ふ七人の人
リルケと私
退屈な新年――新春雑記
無題 (映画「アンリエットの巴里祭」広告文)
岸田国士先生
アンリエットの巴里祭
ギリシア古劇の風味――俳優座「女の平和」評
馬――わが動物記
戸板康二著「歌舞伎ダイジェスト」
モラルの感覚
武田泰淳氏の文学
外遊精算書
お洒落は面倒くさいが――私のおしやれ談義
真面目くさつた祝辞
「志賀直哉論」――中村光夫著
あとがき (「潮騒」用)
ワットオの《シテエルへの船出》
「夜半楽」中村真一郎著
「草の花」――福永武彦著
荒唐無稽
「女神」――次号からの連載小説
女ぎらひの弁
好きな女性
「浮気は巴里で」
私の好きな……――芝居
ノラ・ケイ礼讃
鳥に託した女性の哀歓――ノラ・ケイの「白鳥の湖」
私の小説の方法
芸術時評
僕の「地獄変」
映画の中の思春期
私の顔――適当な長さ
大谷崎
まへがき (「創作代表選集14」)
新ファッシズム論
私の顔
近況報告
毒々しいカバーで――私の処女出版
解 説 (川端康成著「舞姫」)
学生の分際で小説を書いたの記
「潮騒」ロケ随行記
「鰯売恋曳網」について (「昨年、……」)
あとがき (「若人よ蘇れ」)
本書について (「若人よ蘇れ」)
「若人よ蘇れ」について
「ボクシング」について
「沈める滝」について
アメリカ映画ノオト
芥川龍之介について
真の花
受賞について (新潮社文学賞「潮騒」)
「異境」を推す (第一回「新潮」同人雑誌賞選後評)
田中千禾夫氏の二つの一幕物
「鰯売恋曳網」について (「この芝居は、……」)
私の十代
横光利一と川端康成
匿名批評是非
「熊野」について (「歌右衛門丈から……」)
欲望の充足について――幸福の心理学
解説 (福田恆存著「竜を撫でた男」)
あとがき (「青春をどう生きるか」)
無題 (望月衛著「欲望」広告文)
無題 (「伊藤整全集」推薦文)
フェティシズム――作者の言葉
危険な関係
わが衣食住
神島の思ひ出
川端康成ベスト・スリー――「山の音」「反橋連作」「禽獣」
無題 (川端康成著「みづうみ」広告文)
田中千禾夫氏の戯曲「教育・笛」
長島さんのこと――あるひは現代アマゾン頌
花鳥とは何ぞ
アメリカ的デカダンス――カポーテ著河野一郎訳「遠い声遠い部屋」
文明的錯雑そのもの――ヘンリ・ミラア作小西茂也訳「ランボオ論」
明治の逍遥・昭和の恆存 (福田恆存全訳「シェイクスピア全集」推薦文)
空白の役割
芸術にエロスは必要か
現代の名文――大岡昇平氏「歩哨の眼について」
映画「情事の終り」
上演される私の作品――「葵上」と「只ほど高いものはない」
「葵上」と「只ほど高いものはない」
黛氏のこと
あとがき (「ラディゲの死」)
「盗賊」ノオトについて
作家の日記
福田恆存氏の顔
「情事の終り」10の指摘
はしがき (「十代作家作品集」)
終末感からの出発――昭和二十年の自画〓
結婚概念の打破
演出覚書 (「三原色」)
八月十五日前後
ドラマに於ける未来
パリの体臭 (石井好子著「女ひとりの巴里ぐらし」推薦文)
「青春監獄」の序
加藤道夫氏のこと
戯曲の誘惑
巨いなる友――中村光夫氏
誨楽の書――吉田健一氏「酒に呑まれた頭」
見物客に重宝ですネ (「旅行の手帖」推薦文)
閑雅な「女の学校」 (「現代女性講座」推薦文)
ありのままの報道を――私の新聞評
「白蟻の巣」について
青年座の人々――明日のホープ
小説家の休暇
みづみづしい生命力――映画「暴力教室」評
「芙蓉露大内実記」について
頑張つて下さい、延二郎君
旧日本と新日本を結ぶもの
無題 (「山の上ホテル」広告文)
現代の教会 (「新心理学講座」推薦文)
信仰に似た運動――告知板
ゴジラの卵――余技・余暇
川端康成――百人百説
嶋中鵬二氏――現代の出版人
俳優のオリジナリティ――作者の言葉
武智版「綾の鼓」について
忘年記
解題・校訂
書誌情報
読み仮名 | ケッテイバンミシマユキオゼンシュウ28 |
---|---|
シリーズ名 | 全集・著作集 |
全集双書名 | 決定版 三島由紀夫全集 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 706ページ |
ISBN | 978-4-10-642568-4 |
C-CODE | 0395 |
ジャンル | 全集・選書 |
定価 | 6,380円 |
書評
波 2003年12月号より 三島由紀夫全集の現在 決定版 三島由紀夫全集
さしも広大な三島由紀夫の世界も、この十一月に、第三十六巻(評論十一)までまとめられて、一段落。平成十二年十一月の刊行開始からまる三年、私たちは山坂を越え、息もつかずにここまで登りつめた、という感慨が深い。
今回の決定版全集は、没後の第一回全集を経て三十年、山中湖村に開設された三島由紀夫文学館の協力を得て、少年時代の習作、草稿、創作ノートなど、久しく待たれていた未公開資料が収録できたのは、何よりもうれしいことである。
当時に比べて研究が充実深化するのは当然としても、三島文学には、これを取り巻く一種魔的な磁界があって、絶えずマニヤックな研究家、コレクターをひきよせるかのようであり、佐藤秀明、井上隆史、山中剛史氏をはじめ、編集協力の諸氏は、いずれも“考古学者の執念をもつ”資料発掘の鬼であり、時には古代文字解読のアクロバット的努力をも要して、全体像は雲間から徐々にその威容を現しつつある。
「全集には断簡零墨まで収録すべし」というのが、そもそも旧全集からの著者の遺言だが、無論これは“三島由紀夫ならでは”の自負の言と読める。四方に飛び散った飛沫の一粒々々が、ことごとく小さな光を宿して燦めくように、呪術にかかった言葉たちは読者の魂を痺れさせ、誰しも一滴まで、その醍醐味を追求せずにはいられないのだ。
さて因縁の十一月、無事「檄」までを収め終って一息いれ、次の巻からはいよいよ第二段階に入る。
詩歌(第三十七巻)、書簡(第三十八巻)、対談・鼎談・座談(第三十九・四十巻)、音声(CD)(第四十一巻)、作品年表、著書目録、被翻訳作品目録、上演・上映・放送目録、年譜(第四十二巻)、さらに、当初の予定にはなかった補巻を追加する予定で、補遺(小説、戯曲、評論、翻訳、創作ノートなど、刊行途中で発見されたもの)、参考文献一覧、索引などが収録される。いずれも新しい収録編纂で、完璧を期するため、今後は、原則として隔月刊の予定である(旧全集では不可能だったCDによる自作朗読なども、時満ちての収録である)。
第三十七巻の詩歌では、今回初収録のものが四八六篇(旧全集一七二篇)で、これは主に幼・少年時代に書かれたものであり、手づくりの詩集やノート十六冊から収録された(三島由紀夫文学館蔵の二冊以外は、あとで三島家から発見されたもの)。
これらは、あの短篇小説「詩を書く少年」の背景をなすもので、作中の「一週間詩集」なども実際に存在したことが確認される。十代後半には殆ど終息してしまうその旺盛な詩作活動は、たしかに三島文学形成期の秘密の鍵であることはまちがいがない。
第三十八巻の書簡。戦時中、勤労動員先の工場から両親宛に出された二十七通、「花ざかりの森」刊行時、世話になった富士正晴宛の十九通、戦中戦後の文学活動の一端が知られる中河与一宛八通、中村光夫宛二十八通は、心安い先輩への打あけ話。眷恋の「サロメ」上演のため、台本の使用許可依頼から公演まで一連の経過がわかる日夏耿之介宛の六通。幸福な同時代者・澁澤龍彦宛三十六通、だが友情にヒビの入りそうなモデル問題(「暁の寺」の独文学者)にはいち早く弁解の一通。神風連取材にまつわる荒木精之宛九通など、大半は未公開の書簡であり、その時々の生活や執筆の背景があざやかに浮かびあがってくる。
北杜夫宛十通の内の一通などはいかにも微笑ましく、公表すれば悪口となるべき書評が、雑誌にはあえて別のものと差し替え、そのまま友情溢れる私信に化けてしまうという経緯が分かる。
第三十九・四十巻。対談・鼎談・座談は、全体で三百篇以上もある。大方は評論と遜色のない充実したもので、旧版では割愛せざるをえなかった単行本、たとえば林房雄との「対話・日本人論」、中村光夫との「対談・人間と文学」、伝説の「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘」、さらに、対談集「尚武のこころ」「源泉の感情」。また文壇のみならず、演劇界、映画界、政財界などにわたる、当時の華やかな交友関係が偲ばれる。
補巻は拾遺集で、三島由紀夫の潤色・NLT公演「リュイ・ブラス」台本、また三島由紀夫文学館蔵の新発見の作品では、中等科四年時代の作文「神官」「冬山」、さらに「梅枝」「菊薫る環物語」「二令嬢」、幻の作「模倣の恋」創作ノートなど解読すべき作品が山積しており、当分資料探索の旅が続きそうである。「僕は鯨と同じで、骨も筋も皮も無駄に捨てられるものは何もないんだ」という三島由紀夫の言葉を噛みしめている現場である。
今回の決定版全集は、没後の第一回全集を経て三十年、山中湖村に開設された三島由紀夫文学館の協力を得て、少年時代の習作、草稿、創作ノートなど、久しく待たれていた未公開資料が収録できたのは、何よりもうれしいことである。
当時に比べて研究が充実深化するのは当然としても、三島文学には、これを取り巻く一種魔的な磁界があって、絶えずマニヤックな研究家、コレクターをひきよせるかのようであり、佐藤秀明、井上隆史、山中剛史氏をはじめ、編集協力の諸氏は、いずれも“考古学者の執念をもつ”資料発掘の鬼であり、時には古代文字解読のアクロバット的努力をも要して、全体像は雲間から徐々にその威容を現しつつある。
「全集には断簡零墨まで収録すべし」というのが、そもそも旧全集からの著者の遺言だが、無論これは“三島由紀夫ならでは”の自負の言と読める。四方に飛び散った飛沫の一粒々々が、ことごとく小さな光を宿して燦めくように、呪術にかかった言葉たちは読者の魂を痺れさせ、誰しも一滴まで、その醍醐味を追求せずにはいられないのだ。
さて因縁の十一月、無事「檄」までを収め終って一息いれ、次の巻からはいよいよ第二段階に入る。
詩歌(第三十七巻)、書簡(第三十八巻)、対談・鼎談・座談(第三十九・四十巻)、音声(CD)(第四十一巻)、作品年表、著書目録、被翻訳作品目録、上演・上映・放送目録、年譜(第四十二巻)、さらに、当初の予定にはなかった補巻を追加する予定で、補遺(小説、戯曲、評論、翻訳、創作ノートなど、刊行途中で発見されたもの)、参考文献一覧、索引などが収録される。いずれも新しい収録編纂で、完璧を期するため、今後は、原則として隔月刊の予定である(旧全集では不可能だったCDによる自作朗読なども、時満ちての収録である)。
第三十七巻の詩歌では、今回初収録のものが四八六篇(旧全集一七二篇)で、これは主に幼・少年時代に書かれたものであり、手づくりの詩集やノート十六冊から収録された(三島由紀夫文学館蔵の二冊以外は、あとで三島家から発見されたもの)。
これらは、あの短篇小説「詩を書く少年」の背景をなすもので、作中の「一週間詩集」なども実際に存在したことが確認される。十代後半には殆ど終息してしまうその旺盛な詩作活動は、たしかに三島文学形成期の秘密の鍵であることはまちがいがない。
第三十八巻の書簡。戦時中、勤労動員先の工場から両親宛に出された二十七通、「花ざかりの森」刊行時、世話になった富士正晴宛の十九通、戦中戦後の文学活動の一端が知られる中河与一宛八通、中村光夫宛二十八通は、心安い先輩への打あけ話。眷恋の「サロメ」上演のため、台本の使用許可依頼から公演まで一連の経過がわかる日夏耿之介宛の六通。幸福な同時代者・澁澤龍彦宛三十六通、だが友情にヒビの入りそうなモデル問題(「暁の寺」の独文学者)にはいち早く弁解の一通。神風連取材にまつわる荒木精之宛九通など、大半は未公開の書簡であり、その時々の生活や執筆の背景があざやかに浮かびあがってくる。
北杜夫宛十通の内の一通などはいかにも微笑ましく、公表すれば悪口となるべき書評が、雑誌にはあえて別のものと差し替え、そのまま友情溢れる私信に化けてしまうという経緯が分かる。
第三十九・四十巻。対談・鼎談・座談は、全体で三百篇以上もある。大方は評論と遜色のない充実したもので、旧版では割愛せざるをえなかった単行本、たとえば林房雄との「対話・日本人論」、中村光夫との「対談・人間と文学」、伝説の「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘」、さらに、対談集「尚武のこころ」「源泉の感情」。また文壇のみならず、演劇界、映画界、政財界などにわたる、当時の華やかな交友関係が偲ばれる。
補巻は拾遺集で、三島由紀夫の潤色・NLT公演「リュイ・ブラス」台本、また三島由紀夫文学館蔵の新発見の作品では、中等科四年時代の作文「神官」「冬山」、さらに「梅枝」「菊薫る環物語」「二令嬢」、幻の作「模倣の恋」創作ノートなど解読すべき作品が山積しており、当分資料探索の旅が続きそうである。「僕は鯨と同じで、骨も筋も皮も無駄に捨てられるものは何もないんだ」という三島由紀夫の言葉を噛みしめている現場である。
著者プロフィール
三島由紀夫
ミシマ・ユキオ
(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
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