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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

“雑食”の愉しみ

 最近のベストセラー・ランキングで、『バカの壁』と並んで必ず顔を出す本に『トリビアの泉』(I~III、講談社)があります。ご存知のように、フジテレビの人気番組のネタを単行本化したものです。深夜枠だった頃には私も何回か見たことがあって、笑い転げながら、それこそ「へぇ」と感心しておりました(個人的には、「加納典明は昔、ムツゴロウ王国の一員だった」「昭和33年3月3日に生まれた人は平成3年3月3日に 33歳になった」などが「100へぇ」ですね)。

 トリビアとは「つまらない事柄、些事」の意味。番組の冒頭で使われる「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」というアイザック・アシモフの言葉のとおり、確かに何の役にも立たないような「ムダ知識」であっても、あれこれ知るのは面白いものです。私もクイズ番組はつい見てしまう方ですし、20年ほど前の学生時代には「トリビアル・パスート」という雑学系ボードゲームがあって、友人のアパートでワイワイ酒を飲みながら楽しんだ憶えがあります。
 考えてみれば、雑学の面白さと本を読む愉しみとは、どこか重なるところがあります。本から得られる知識なんていうのは、たいていは直接の生活には役に立たないムダな知識ばかりです。それでも、つい読んでしまう。読まずにはいられない。「ムダの効用」なんて野暮なことは言いません。たとえムダとわかっていても、自分の知らないことをあれこれ知るということはそれだけで楽しい。アシモフではありませんが、それが人間なのだと思います。
 その意味でも、私は新書の棚にもっと足を運んでいただきたいと切に思います。書店の新書コーナーには、哲学や歴史から政治、経済、文化、スポーツ……あらゆるジャンルの作品が揃っています。新書の棚そのものがコンパクトにまとまった「大いなる雑の体系」であって、「へぇ」どころか「なるほど!」「そうか!」と思わせるようなものが並んでいるのです。特に今の若い人たちには「新書は敷居が高い」というイメージがあるようですが、それは食わず嫌いというもの。『トリビアの泉』を読むのと同じ感覚で、もっと気軽につまみ食いすればいいのではないでしょうか。

 新潮新書も、ジャンルを限定したりせずに、あらゆるテーマのものを雑多に出していきたいと思っています。
 今月もバラエティに富んだラインナップになったと自負していますが、「トリビア」ファンの方には『モナ・リザは高脂血症だった―肖像画29枚のカルテ―』がお薦めです。医師にして作家でもある篠田達明さんが、「ドクター・シノダの人物画診断」と題して芸術新潮に連載したものをまとめたものです。歴史上の人物や著名な芸術作品など、今に残る肖像画を医学的に診断しようという試みなのですが、「ムダ知識」と言われれば、その最たるもの。でも、面白いのです。信長は? 秀吉は? 家康は? アレクサンダー大王は? ……一枚の絵を手がかりに、現代医学の知識を総動員して彼らの「病気」に迫るさまは、ミステリーを読む醍醐味にも通じます。ぜひご一読ください。
 病気といえば、最近読んだ中で面白かったのが、『健康帝国ナチス』(ロバート・N・プロクター著、草思社)という本です。書店でタイトルを見て「やられた!」と思ってつい手にとってしまいました。ナチスが国家としていかに国民の健康をコントロールしようとしたか、それを科学史の観点から実証的に解き明かした異色の研究書で、実に刺激的な内容でした。ナチスと優生学の関わりはこれまでもよく指摘されていますが、ガン対策や健康政策でも、当時のナチスが「最先端」であったのは驚きです。
「身体は国家のもの! 健康は義務である!」というスローガンが物語るように、「健康な身体」はナチスのイデオロギーそのものでした。ナチス・ドイツでは栄養学者が肉や糖分、脂肪の過剰摂取を攻撃し、野菜、果物など「より自然な」食事への回帰を求めたそうです。酒やタバコの禁止運動も行われ、特にタバコは不健全なものとして、ジャズやダンス、アフリカ、黒人、ユダヤ人、ジプシーなどと結び付けられ、強く否定されました。
 ファシズムと健康志向が重なり合い、純血主義、排他主義につながっていったわけです。私は本書を読み終えた後、今の日本にも何やら薄気味悪さを感じざるを得ませんでした。ヒステリックなまでの禁煙運動、「自然食」だの「スローフード」だののブーム。国家が「健康増進法」を制定し、国民の食生活にまで口を出す……。どこか符合していると思いませんか。だいたい、どうしてお上に自分の身体のことを指図されなきゃいけないのか。オレの身体のことなんかほっといてくれよ、と私は思います。
 以前、「新潮45」という雑誌で、ジャーナリストの斎藤貴男さんに「『禁煙ファシズム』の狂気」というレポートを書いていただいたことがありますが、斎藤さんの問題意識にも本書と同様の視点がありました。斎藤さんは『プライバシー・クライシス』(文春新書)という新書で、国家による個人情報管理の怖さにも迫っています。今の日本に薄気味悪さを感じている方に、お読みいただきたい1冊です。
「純粋」というのはほんとに怖いですね。やはり何事も「雑食」が一番。好き嫌いせずに、肉も魚も野菜も食べましょう。流行の小説だけじゃなくて、新書でも文庫でもマンガでも何でも読みましょう。あれこれ愉しみながら、死なない程度に元気であればそれでいいんじゃないでしょうか。
 というわけで、今日はそろそろ引き上げて、焼酎で一杯といくか。

2003/09