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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

鉄道と夢想

 東京駅にある東京ステーションギャラリーで、いま面白い展覧会が開かれています。その名も「鉄道と絵画」展。一見地味なタイトルですが、鉄道をモチーフにした古今東西の多様な作品が集められていて、単に絵画への関心のみならず、近代史や技術史などの観点からの好奇心も満たしてくれる内容になっているのです。
 英国で世界初の蒸気機関車が走ってから200年近く経つわけですし、ひとくちに鉄道といっても、作者によってそのモチーフはさまざまです。駅という「人間交差点」に着目したり、客車内の人間模様を描いたり、都市の風景の一部であったり、あるいはまたスピードそのものをテーマにした作品もあります。その表現の仕方はまさしく多様なのですが、全体を通して改めて確認できるのは、「鉄道=近代」であったというそのことですね。特に今回の展示はほぼ1940年代までを対象にしているので、近代の象徴としての鉄道という側面がくっきりと浮かび上がってきます。
 例えばA・M・カッサンドルの「北方急行」「北極星号」といったポスター。1927年の作品とは思えないほどのメタリックで斬新な作品ですが、鉄道が当時、どれだけ最先端の技術であったか実感させられます。日本人の里見宗次による「JAPAN(国有鉄道)」というポスターも、レールと風景だけでスピードを表現したモダニズム溢れる作品です。海外向けの観光用ポスターとして1937年のパリ万博に出品され、名誉賞と金杯を受けた有名な作品ですが、そこからは「近代国家としての日本」と「鉄道」とが重なり合うように立ち上ってきます。

 そう、鉄道は近代の象徴であると同時に、国家と不可分のものでもありました。未来や文明という言葉を背負いながら、都市計画や国家計画へといざなう道具。それがいちばん顕著な形で現れたのが満州においてでしょう。国家建設と鉄道(南満州鉄道=満鉄)がまさに両輪のような形で動いたのですから。その発端はいびつなものでしたし、現地の人々には迷惑な話だったと思いますが、新国家建設という旗印の下に、満州には最先端の技術者、国家主義者、共産主義者、前衛芸術家、モダニスト……ありとあらゆる立場の人々が引き寄せられていきました。戦争云々は別として、私はあの時代に満州、特に満鉄に集った人間たちに強くひかれます。それは彼らが、おそらくは大いなる夢想家だったからです。
 世界史を振り返れば、そもそも19世紀的な植民地主義は夢想の産物といってもいい。まだ見ぬ世界を知りたい、世界を統御したい、そんな夢想に突き動かされて、欧米諸国は世界に出ていきました。いわゆる「未開の地」をおせっかいにも漁り回り、収奪を繰り返しました。大英博物館などはそうした行為の集積ですが、しかしながら、だからこそ博物学や冒険小説が生まれたともいえるわけです。
 考えてみれば、そんな「危ない夢想」につながりそうな要素は、現代においてもなお、私たちの心のどこかにあります。「A列車で行こう」「シムシティ」「信長の野望」といったシミュレーションゲームを愉しむ心理と、満州の国家建設に携わりたいという心理とどこが違うというのでしょうか(まあ、ほんとは現実かどうかでずいぶん違うんですが)。
「少年の心を持った男」などという表現があります。でもよく考えるとこれほど危ない奴はいない。「鉄道好き」「コレクション好き」「冒険譚好き」というのは少年に共通する要素だと思いますが、それは「鉄道経営」「博物学」「未開地探検」という植民地主義的発想と紙一重なのではないでしょうか。
 正直に白状しますと、これは自分のことでもあります(私の場合はこれに天文好き、SF好きというのが加わった子供でしたが)。自分の中にある夢想の芽を見つめたとき、私は歴史を暗転させた夢想家たちを単純に糾弾することはできません。未来を志向する夢想(ある種の理想主義)と、人間が生み出す災厄とは表裏一体。なにしろ、共産主義だろうが原理主義だろうが、とりあえずは「理想の世界」を目指して始まったわけですから。人間の夢想の光と影を考えると、残念ながら戦争がなくならないのもむべなるかなという気がします。
 刺激的な展覧会のおかげで、つい夢想ならぬ妄想が広がってしまいました。もちろん、これはあくまで私の個人的な与太話ですので、念のため。

 さて、9月20日刊の新刊にも自信作5点が揃いました。元阪神監督・吉田義男氏による緊急出版『阪神タイガース』、しゃべりのプロである梶原しげる氏が巷にあふれる奇妙な言葉を縦横無尽に切りまくる『口のきき方』、いずれも読み応え充分。子供の中学教育に関心のある方には『麻布中学と江原素六』(川又一英著)、歴史好きの方には『モナ・リザは高脂血症だった―肖像画29枚のカルテ─』(篠田達明著)がお薦めです。
 そして「鉄道と絵画」展に興味を持たれた方は、『路面電車ルネッサンス』(宇都宮浄人著)をぜひご一読ください。都市再生、街作りの切り札としての路面電車の豊かな可能性を、様々な実例や実証データから探ります。鉄道のフロンティアは意外なところにあったのです。そう、やっぱり鉄道は面白い!

2003/09