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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

打倒NHKスペシャル!

 なんだか勇ましいタイトルを掲げてしまいましたが、編集者という仕事について以来、ずっと思っているのは「NHKスペシャルに負けないものを活字で作りたい」ということです。NスペといえばNHKの看板番組であり、私も昔から親しんできました。あらゆるテーマを扱いますし、中身は玉石混淆でがっかりすることもありますが、傑作も数多い。
 今年の大型企画として月一回のペースで放映されている「文明の道」は、久しぶりに見応えのある企画です。ユーラシア大陸の興亡史の中からいくつかのテーマを選んで、最新の学術研究の成果を活かしながら、CGで当時の様子を再現してゆく。アレクサンドロス大王やローマ帝国の回など、見事な映像処理がほどこされていて、つい引き込まれてしまいました。
 中でも9月に放映された「シルクロードの謎・隊商の民ソグド」は出色の出来だったと思います。ソグド人というのは、アケメネス朝ペルシャ帝国の時代から一千年にわたって中央アジアで栄えた民族で、シルクロードの交易を担った人々です。その実像はよくわかっていなかったのですが、この番組では最新考古学の成果を駆使して、彼らのビジネスの仕方、都市国家ネットワークなどを再現するのに成功しています。彼らは周辺に拠点を広げて行き、次第に中国社会にも浸透していくのですが、唐代の安史の乱を起こした安禄山がソグド人で、それがソグド人の衰退にもつながっていった、という解説はとても刺激的でした。

 これだけの内容に仕上げるには、もちろん膨大な時間と手間、そしてコストがかかっていることでしょう。NHKだからできること、と言われればそれまでなのですが、活字でもこうした「新しい世界観、新しい歴史観」を提示することは可能なのです。活字には活字のやり方があるし、むしろ活字でしかできない描き方があるというのが私の信念です。
 例えばそれで思い出すのは、大学一年の時に出会ったアンリ・ピレンヌの『ヨーロッパ世界の誕生 -マホメットとシャルルマーニュ』(創文社)という本です。ピレンヌは歴史学の泰斗で、この本も古典的作品なのですが、そんなことはよく知らないまま、何か面白そうな歴史の本はないかと探しているときに見つけた1冊でした。彼の主張は「ピレンヌ・テーゼ」とも言われていますが、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」いう言葉で語られるように、要はイスラム世界が発展し、地中海の覇権がイスラム帝国に移ったために、ヨーロッパが大陸に閉じ込められ、「中世」が始まったのだという内容です。私は一読して、その壮大な「絵」に打たれました。高校の世界史の授業では決して教えてくれない内容で、歴史観がひっくり返るような衝撃を受けたのです。
 こういう「世界観の変更」を迫るような作品なら、活字であってもNHKスペシャルに充分対抗できるはずです。むしろ、活字の中から広がってゆくイマジネーションは、決して映像化はできない。新潮新書を始めるにあたって思ったのは、なんとかそうした作品を送り出したい、ということでした。

 その意味で、創刊時に出版した磯田道史さんの『武士の家計簿─「加賀藩御算用者」の幕末維新─』は、まさしく活字にしかできない、歴史観の変更を迫るような作品だと自負しています。加賀藩の経理担当役人が残した「家計簿」から浮かび上がる幕末士族の暮らしぶりは、まるで現代を彷彿とさせます。激変する時代を受けて、銀も土地も暴落する中で、あちこちから借金を繰り返し、それでも子供の教育にだけはお金を惜しまない……。教科書とも、歴史ドラマの絵空事とも違う、リアルな人間の歴史がここにあります。そして本書の白眉は、主人公である御算用者の一家が、教育と「身につけた技術」によって、維新政府にテクノクラートとしてヘッドハンティングされていく、というくだりです。明治を作ったのは、薩長の志士たちだけではなかった。むしろ、刀を振りかざさない、手に職を持った下級武士たちこそが、新政府の基礎を作っていったのです。本書を読めば、これまでとまったく違った「日本の近代史」が見えてくるはずです。
 こうした内容が評価され、本書は今年度の「新潮ドキュメント賞」も受賞いたしました。まだお読みになっていない方には、ぜひご一読をお薦めします。

 10月新刊の4点にも、活字にしかできない内容のものが揃いました。『国富消失』(葉山元著)はバブル崩壊後の「失われた十年」のプロセスを丹念に追い、今の日本経済を蝕んでいる根本問題に鋭く切り込みます。『法隆寺の智慧 永平寺の心』(立松和平著)は、実際の修行を通して、作家・立松さんが仏教の本質に迫った作品です。
 そして、これまでの新書には類を見ない2冊――。『小博打のススメ』(先崎学著)は、将棋界の異才として知られる先崎さんが、「愉しみとしてのギャンブル」の遊び方を伝授したもので、おそらく史上初(?)の「博打ガイドブック」でしょう。『現代老後の基礎知識』(井脇祐人・水木楊著)は、年金、保険、雇用問題など、私たちが定年後に直面する諸問題を、定年を迎える人物のストーリーを交えて、わかりやすく解説します。こちらはサラリーマン必読の「定年後ガイドブック」に仕上がりました。
 今月は22日発売となります。どうぞご期待ください。

2003/10