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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

ナンシー、カムバック!

 今年のゴールデンウィークは、どこもかなりの人出だったようですね。私も日頃の罪ほろぼし(?)を兼ねて、家族と都心に出かけました。最大の目的地は、恥ずかしながら六本木ヒルズ。夜分にこの界隈をウロウロすることはあっても、これまで中に入ったことがなかったのです。幸い思ったほど混んでおらず、展望台や50Fにある都心部の模型など大いに楽しめたのですが、あまり愉快でないこともありました。
 展望台行きのエレベーターに30分ほど並んでいたときのことです。私たちの前には20代前半とおぼしき若いカップルが肩を寄せ合っています。はじめは「若いっていいねえ」などと微笑ましく見ていたのですが、あれよあれよという間にすっかり「二人の世界」に入ってしまい、キスをせんばかりの状態に……。「おいおい、時と場所を考えろよ。どこか余所でやってくれ」と、こちらは心中で悪態をつきながら、パンフレットを開いたり、景色を指さしたり、子供の気をそらすのに必死。チケット売場が見えてきたところで、ようやく「密着」は終わったのでした。

 もちろんこうした光景は、いまや「日常」です。電車に乗っても、化粧はするわ、床に座り込むわと、人目を気にしない若者ばかり。日本社会から「みっともない」という感覚や、節度というべきものが失われつつあるのですね。
 こんなことを言うと、「何をいまさら」と言われるのかもしれませんが、先のイラク人質事件をめぐる一連のできごとにも、私は同じような印象を持ちました。あのとき感じた違和感は、街中の光景で感じる常識や節度の喪失感と、どこかつながっているような気がしてなりません。
「何をいまさら」で思い出すのは、故ナンシー関さんのコラム集のタイトル。そういえば、あの事件の推移を見ながら私の頭の中をこだましていたのは、ナンシーさんの著作のタイトルでした。
「何様のつもり」――。例えばもし人質の家族の第一声が「うちのバカ息子がご迷惑をおかけしまして」「バカな姉貴ですが私たちにとっては大事な家族です。どうか力を貸して下さい」といったものであれば、彼らを見る目はずいぶん違ったはずです。思想的背景とかそんなことではなく、「自分たちの家族のために国家が動いて当然、世の中が理解を示して当然」という態度、常識を欠いた物言いが反発を招いてしまった。それだけのことではないでしょうか。
「何もそこまで」――。家族の態度が変わったにもかかわらず、鬼の首でも取ったかのように振る舞う政治家たちの姿も、いかがなものかという気がしました。すでに勝敗は決しているのに、一国のリーダーたちがマスメディアの尻馬に乗って追い打ちをかける。「武士の情け」「惻隠の情」という言葉は、もはや死語なのかと思ったものです。
「何をかいわんや」――。高遠さんはPTSDとやらで、郡山さんと今井さんだけが4月30日に記者会見。冒頭で「ありがとうございました」と言いはしたものの、あれだけいろんな人に世話になっておきながら、「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」の一言がない。「家族が救出を願うのは当然」「自分たちの場合は自己責任という言葉は当たらない」という発言に至っては、まさに何をかいわんや。
 不思議なことに、彼らには「恥ずかしい」という感覚が欠落しているのですね。ジャーナリストを名乗り、自らの責任で行動したのだというのであれば、他人の世話になったというだけで、「みっともないことになってしまって」というセリフが出てもよさそうなものですが。私には、人目をはばからず抱き合う若い男女と、どうにもダブって見えてしまうのです……。

 ナンシーさんが生きていたら、人質事件をめぐる様々な「いかがわしさ」を、鋭く切ってくれたに違いありません。決して大上段には振りかぶらず、しかしツボは外さずに、クールにクサリと(グサリとじゃなくて)突き刺す。あの消しゴム版画の題材にも事欠かなかったことでしょう。まことに惜しい人を亡くしたものです。
 ついでに言えば、米軍によるイラク兵虐待事件についても、こんなタイトルで書いて欲しい気がします。「何ともはや」――。

 さて、連休ボケの戯れ言はこのくらいにして、5月刊のご案内を。
「挫折しない整理」の極意』(松岡英輔著)は、この連休中に家の片づけにトライして、また挫折してしまったという方にお薦めです。これまでいろんな整理本を読んで、「捨てられないから苦労してるんじゃないか」とお嘆きの方は、ぜひ本書をお読みください。あらゆるモノを三つに分類し、それぞれの特徴に合わせた無理のない整理法が提案されており、まさに目からウロコが落ちます。
朝鮮総連』(金賛汀著)は、かつて組織に属していた著者が、その「変質」と「本質」について赤裸々に綴ります。北朝鮮問題に関心のある方には必読の一冊といえるでしょう。『妻に捧げた1778話』(眉村卓著)は、ガンの妻に毎日一話、ショートショートを書き続けたSF作家による「病妻記」です。少年時代に『なぞの転校生』のファンだった方は、ぜひご一読を。そして『世界中の言語を楽しく学ぶ』(井上孝夫著)は、趣味としての「他言語同時学習」の魅力に迫ります。学んだ言語はいつのまにか100以上、これぞ「現代のシュリーマン」と呼びたくなるような、驚嘆すべき生活ぶりにご注目ください。

 最後にお詫びをひとつ。おかげさまで4月刊はいずれも大好評で、特に『死の壁』は連休中に品切れとなったお店も出たようです。ご迷惑をおかけいたしました。今週末には緊急増刷分が出来上がりますので、お求めになれなかった方は書店までどうぞ。

2004/05