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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「たかが野球選手」だと!?

 巨人・渡辺オーナーの「たかが野球選手」発言をネットニュースで見たとき、久しぶりに頭に血が上りました。「何様のつもりだ」「自分こそ、たかがオーナーじゃないか」……。あまりに腹が立って、編集部内をしばらくウロウロしていたような気がします。
 その夜の会合でもこの発言がひとしきり話題になり、「これは潮目が変わるかもしれない」などと話していたのですが、案の定、1リーグ制への一気呵成な流れは少し沈静化しつつあるようです。もちろん今回の球団合併、球界再編問題が最終的にどこに落ち着くのかはわかりませんが、とにかく野球に愛情のないオーナーたちの好きなようにさせては、ロクなことにはならないのは確かでしょう。

 渡辺発言で、私は二つのセリフを思い出しました。
 一つはベーブ・ルースの有名なセリフ。
「あんたの年俸はアメリカの大統領よりも高くなっている」
 そう言われたルースは、こう答えたそうです。
「それがどうした。俺の方が大統領よりもずっといい働きをしているぜ」
 もう一つは、細野不二彦氏の傑作野球マンガ『愛しのバットマン』のワンシーン。主人公の香山雄太郎は2メートル近い巨漢で豪快な打撃が身上、そのくせ几帳面で、毎晩日記をつけないと眠れない、趣味は読書で球場までは電車通勤……という愛すべきキャラクターなのですが、OBへの義理で出席した財界のパーティで実に痛快な場面があります。
 そのOBを公衆の面前で半人前扱いした財界の重鎮に、彼は堂々と言い放ちます。
「先輩は現役時代、素晴らしいプレーヤーでした。こういう会でそんな仕打ちを受けるいわれはありません」
 財界人からの祝儀も受け取らず、メンツを立てろと詰め寄られても、
「自分はバットも振らずに、金銭をいただくわけにはゆきません」
 と固辞。そして業を煮やした財界人に、「わしはなあ、その気になれば総理大臣も動かせる男だぞ!」と言われた後の答えがふるっているのです。
「しかし、自分は野球選手ですから」
 しびれるような矜持――。数ある野球マンガで一番好きなシーンです。

 なんだ大リーグやマンガの話かとおっしゃるなかれ。野球選手は、野球という世界において、やはり憧れの存在、誰も代わることのできないスターであると思うのです。それは現実の日本のプロ野球でも同じです。
 私は初めて実物の野球選手を見た時の感激は忘れられません。あれは中一の終わり頃だったと思いますが、友達と連れだって巨人の宮崎キャンプを見にいったことがありました(当時は鹿児島に住んでいたので、自分たちで行けたのです。幼い頃にも親に何度か連れていかれたらしいのですが、記憶に残っているのはこの時が最初)。球場について迷っているうちにダグアウトの裏に行ってしまい、そこでたまたま長嶋監督に出くわしたのです。当時の長嶋監督は、確か第一期の三年目に入るところで、まだ現役のような感じでした。間近で見た印象は、とにかく「でかいなあ!」。そして、記者を引き連れて颯爽と歩く姿がなんともカッコよかった。
 一塁側に陣取って、ネット際で選手を見ようとしたのですが、人だかりがしていて見えない。そこで皆で一計を案じ、ベンチの上で交互に肩車をして見ようということになりました。自分が上になった時、近くに王選手が見えたので「王さーん」と手を振ったら、「君たち、危ないよ」と注意される始末。でもこちらは、「王選手に声をかけてもらった」と、それだけでもう大騒ぎです。
 仕事で何度か野球選手とお目にかかりましたが、今でもあの頃の憧れの気持ちが抜けず、つい緊張してしまいます。

 プロ野球選手は、野球小僧の頂点に立っているというだけで敬意を払われるべき存在だと私は思います。オーナーごときに軽んじられる筋合いはないし、選手の側にも誇りを持って欲しい。
 もちろん、日本のプロ野球がこのままでいいとは思いません。内野席のチケットは高すぎる(新書なら5冊は買える値段ですよ!)。外野席はうるさい。だいたい野球を観にいって、なんであの騒々しい応援を聞かされなきゃいけないのか。本拠地は偏っているし、そもそも巨人にブラ下がっているような球界の構造そのものにメスを入れない限りどうしようもない。今回の騒動は、そうしたプロ野球の在り方を根本から検討し直すいい機会だと思うのです。外の意見も聞きながら大いに議論して、最善の答えを導いて欲しい。一野球ファンとして、切にそう願っています。

 故山際淳司氏は『野球雲の見える日』(角川文庫)の中でこう書いています。
「野球は――他のあらゆるスポーツもそうなのだが――自らプレイすることで楽しむことができるし、ゲームを見ることで心うきたつような気分を味わうこともできる。のみならず、あとで語りあうこともできる。もちろん、考えることもできる。つまり、われわれのあらゆる欲求に対応してくれるというわけだ」
 新潮新書も昨年、『真っ向勝負のスローカーブ』(星野伸之著)、『審判は見た!』(織田淳太郎著)、『阪神タイガース』(吉田義男著)と三冊も野球関係の本を出しています。いずれも野球の魅力が匂い立つような本です。
 私たちはそれこそたかが編集屋にすぎませんし、世の中にとっては何の役にも立たないような仕事ですが、活字に対する愛情だけは持っているつもりです。面白さには自信がありますので、未読の方はぜひ手にとってみてください。

 時は夏――。青い空、白い雲、むせ返るようなあの芝生の匂い。野球を楽しむ季節です!
 ああ、草野球がやりたくなってきたなあ(肉離れは怖いけど)。

2004/07