ホーム > 新潮新書 > 新書・今月の編集長便り > ポップカルチャーの力

新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

ポップカルチャーの力

 先日、吉野家で昼メシを食べていると、有線から何やら聞きおぼえのあるメロディが流れてきました。ピアノのイントロに続く甘い声……。おお、これは『冬のソナタ』の主題歌じゃないか! まさか吉野家でこの曲を聞こうとは。しかも、そのとき私が食べていたのが豚キムチ丼だったので、よけいに感慨深いものがありました。
 今さら書くのはちょっと気恥ずかしいのですが、私も今回の再放送で『冬のソナタ』にハマったくちです。第3話の放送をたまたま観たのが運のつき。「何がヨン様だ」と冷やかし半分のつもりが、すっかり引き込まれてしまったのです。テレビの放映を待てずに週末ごとに夫婦でビデオを借り、最終20話まで観てしまいました。とはいってもビデオを借りるのも一苦労。いつ行っても借りられていて、結局、見終わるまで一カ月以上かかり、その人気ぶりを身をもって実感したのです。

 冬ソナ人気の理由については、「純愛ブーム」「ヨン様の魅力」「十代の恋愛のような懐かしさ」など、雑誌等でいろいろ解説されていますが、私がむしろ感じたのは「かつての少女マンガと同じ匂い」です。いわゆる“文学系”少女マンガではなく、もっと大衆的で一世を風靡したような少女マンガ。物語の作り方にせよ、キャラクターの造形にせよ、それと相通ずるものを感じました。
 たとえば、このドラマを観ながら私たち夫婦の間ではこんな応酬がありました(以下、固有名詞連発につき、興味のない方は読み飛ばしてください)。
「チェリン(主人公のライバル)のキャラっていいよなあ。この縦ロールの髪型って、『エースをねらえ!』のお蝶夫人みたいだ」
「それより、『ガラスの仮面』の姫川亜弓に似てるんじゃないの?」
「ストーリーは『キャンディ・キャンディ』だね。主人公の恋人が死んじゃうのは、アンソニーと同じだろ? で、結局、記憶喪失のアルバートさんが、丘の上の王子様だったってオチ」
「私は『生徒諸君!』だと思うなあ。6人グループの学園ドラマって設定がそっくり。死んじゃったチュンサンが沖田君で、残されたサンヒョクは岩崎君」
「そうか! 死んだ恋人の幻影から逃れられないところも、ユジン(主人公)とナッキーって似てるなあ」

 もちろん、『冬のソナタ』が日本の少女マンガを下敷きにしているなどと言いたいのではありません。「観る側」から考えたときに、少女マンガに接するのと同じような感じで観ている人が多いのではないか、と思うのです。
 純愛だなんだと言われますが、実はこのドラマは細かいところでは綻びがたくさんあります。「サンヒョク、それじゃあストーカーだぞ」「ミニョンっていつ仕事してるんだ」「母ちゃんの動機ってそんなことだったのか」……と、ツッコミどころ満載です。
 しかしそれが作品の魅力を損ねているかというと、決してそうではない。むしろ物語の世界に浸りつつ細部をツッこめるから楽しめるのです。私は、中学時代に『エースをねらえ!』を読んだ後、友人たちと「宗方コーチって27歳なのに、なんで和服着てるんだ? 岡ひろみ以外は、とても高校生には見えないよ」などと盛り上がったことを思い出しました。あの頃は、流行の少女マンガを女子たちから借りて回し読みしたものです(もちろん少年マンガは言うまでもありません。そういえば、『俺の空』なんて必読の秘本として男子の間で回覧されていたような……)。
『冬のソナタ』を話題にするとき、私はあの、少女マンガについて男女一緒に語り合った中学の休み時間のシーンがオーバーラップします。このドラマが40代前後の女性に受けているのも、そのへんに秘密があるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、冬ソナや韓国映画の人気で感じるのは、韓国という国がぐっと身近になったということです。私自身、今までどこか遠い国という意識がありましたが、同じポップカルチャーを共有していることが実感できました。韓国で日本の大衆文化開放が実現したのは金大中政権が誕生した1998年からですが、それまでも、マンガ、ドラマ、映画、音楽など、さまざまな日本の大衆文化が水面下で流通していました。そうした現実レベルでの交流の積み重ねが、政治的な関係をひょいと飛び越えて、両国の新しい関係をつくり始めているのを感じます。
 台湾で始まった「哈日(ハーリー)族」が中国の若者の間にも広がりつつあるように、「韓流」の流行も日本にとどまらないでしょう。同じポップカルチャーの「言語」を解する文化圏が東アジアに形成されていけば、政治的な「表」の関係も変化していくのではないか、そんな予感さえします。
 ちなみに、新潮新書でも『バカの壁』など2冊がすでに韓国で翻訳出版され、ほかにも韓国、台湾、中国の出版社からのオファーが目白押しです。そうした「文化圏」の形成に少しでも役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。

 さて、では7月刊の4冊のご案内を――。
 今月はまず、昭和史ものを2冊用意しました。『昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか』(斎藤充功著)は、「だまし討ち」と言われてきた真珠湾攻撃の謎を明らかにします。これまで日本大使館の怠慢が理由とされてきましたが、開戦通告予定のその時間、じつはワシントンではある陸軍大佐の葬儀が営まれていたというのです……。独自の取材でたどりついた「真実」にご注目ください。『タカラジェンヌの太平洋戦争』は、宝塚ファンでもある作家の玉岡かおるさんが、貴重な証言と資料によって戦時下の宝塚に迫ったものです。華やかな世界に戦争がどのような影を落としたのか。知られざる「もう一つの昭和史」としてじっくり味わっていただきたい1冊です。
団塊老人』は、自らも団塊世代の一員である作家の三田誠広さんが、まもなく定年を迎える同世代に向けて、明るい老後のための心構えや手立てを説きます。団塊世代には応援歌として、それ以外の方には一味違う団塊論としてお読みいただければと思います。
 最後に『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(黒川伊保子著)。なんだかふざけたタイトルだと思われるかもしれませんが、言語学や脳の研究に基づいて、「ことばの音」のサブリミナル効果を明らかにした意欲作です。子供の名づけに迷っている方、新製品のネーミングで悩んでいる方はぜひご一読を。身近なテーマですが、「確かにそうだよなあ」と思わず納得させられること請け合いです!

2004/07